勇者になれない凡人達へ

和みたい

第1話 プロローグ



「くっそ、なんなんだよ……」


右腕から発せられる熱に顔をしかめ、右腕を左手で強く押さえつける。右腕の上腕部だけに凄まじい熱が帯び、それ以外の部分は、冷たく感じるという奇妙な現象に苛まれ、現実味が失われていく。


「ふざっけんじゃねぇよ」


額から冷や汗が流れ出て頰を伝う。奥歯を力強く噛み締め、右腕に渦巻く猛烈な熱を少しでも誤魔化そうとするが、意味はない。俺が歩くたびに、土色の地面に赤い模様を加えていく。


「いってぇ…」


押さえつけている左手の隙間から少しだけ覗いてみる。上腕部の真ん中の肉が抉り取られ、骨や筋肉が見えてはいるが、きちんと俺の右腕は繋がってはいる。ちぎれてはない。タオルを右腕にきつく縛り付け、失血を最小限にとどめてはいるが、失血が止まる訳ではない。真っ白だったタオルが今は赤黒く染まっている。


「なんで、こんな目に……っ」


温かさを伴った血が腕を伝い、外に流れ出ていく。それに比例するかのように右腕の熱はさらに肥大化していくが、右腕以外の部分は、血が抜け出るたび、急速に冷えていく。


「くそが……っ」


自分の足で地を踏みしめ歩いているのに、地面を踏みしめる感触はあやふや。まるで足元から自分の存在が消されているように感じる。


「やっばい、辛い」


吐く息は荒く、汗が流れて止まらない。足取りは覚束なく、足がまるで鉄塊のように重い。確かに俺はいるはずなのに、生きているはずなのに、体の中が妙にフワついて今にでも魂が肉体から離れてしまうような、そんな気がして仕方がない。


「俺がなにをしたっていうんだ……っ!?」


足がもつれて、無様に地面に倒れこむ。顔面から地面にキスし、体全体を地面に叩きつけた。立ち上がろうにも、四肢に力が入り込まず、ピクリとも動かない。


「ちくしょうっ」


体が怒りに震えてくる。俺が何をしたというんだ。俺がどうしたっていうんだ。なぜ、俺がこんな理不尽な目に合わなければならない。ふざけるな。なぜ、こんな苦しまなければならない。なぜ、こんな辛い目に合わなければならない。


「もう嫌だ……っ」


諦めたら、この苦しみから解放される?もしやこれは夢で、死ねば俺はいつも通り目を覚ますんじゃないか?搔きむしりたい腕の痛みからも解放されて、こんな薄暗い森の中ではなく、自室に本当はいるのでは?


「眠い…」


このまま、睡魔に誘われるままに寝ればこんな苦しみから解放されるのでは?瞼が重い。空気が肌にへばりついて、体全体が重く感じる。眠い、寝たい。


「ウオオオォォォォォンッッ!!!」


しかし、それはある獣の遠吠えにより阻まれた。


「っ!?」


閉じかけていた瞼が開く。冷や水を浴びせられたかのように、眠気が一気に冷める。遠ざかっていた意識が戻り、正常な判断をし始めた。


「ぬ、ああぁぁぁっ!?!?」


唇の端を噛み、離れかけていた意識を保つ。

馬鹿か、俺は。この痛みも苦しみも、血の温度も味も。奴に喰われて肉が抉り取られた腕もが、これは現実だと証明しているだろうが!?


「ぐ、うううぅぅぅぅっ!」


張り裂けそうな四肢に力を入れ、ヨロヨロと立ち上がる。俺をこんな目に合わせた元凶がすぐそばに来ている。見えなくとも、聞こえるのだ。獣の遠吠えが。草木を踏み潰し駆ける音が。


「逃げ、ねぇと」


悲鳴をあげる体に鞭を打ち、走り出す。その速度自体は走っているとは言い難いが、俺の恐怖の元凶から少しでも離れることを期待して、逃げる。風が吹くたび、分厚い膜を通り抜けるかのように、息苦しい。


「早く、もっと早くっ」


風が吹き、木々がざわめくたび鼓動が早まる。もしかしたらあの影から飛び出すのでは。ちゃんと方角はあっているのか。果たして、俺は本当に逃げれているのか。そんな不安が頭の中をぐるぐると回って、思考がぐちゃぐちゃになる。


「はぁ…っ、はぁ…っ」


ひたすら走って走って走り続けた。方角も分からぬまま逃げて逃げて、逃げ続ける。恐怖に理性が飲み込まれそうだ。


「出口……?」


すると、薄暗い森の向こう側に開けた場所があるのが目に入った。ゴオォォォッと勢いよく水が流れる音が聞こえる。目を凝らしてみると、吊り橋が見えた。森の外だ!!


「オォォンッ!!」


しかし、そんな希望を打ち砕く咆哮が先程より、鮮明に明瞭にはっきりと聞こえた。


「くっそ!?」


背後からの雄叫びを聞いて心臓が飛び跳ねた。ぶわっと毛が逆立ち、鳥肌が浮かび上がる。千切れそうな腕のことなんか気にしている暇はない。背後に、俺のすぐ背後に……っ


「来てんじゃねぇよ!?」


奴が来てる!?


悲鳴をあげて、脱兎のごとく走る。恐怖に顔が歪み、今どんな顔をしているか分からない。静謐な森に紛れて大地を駆ける静かな音が、真後ろにまで迫る。


「あっ……」


背後に意識が向き、おざなりになった足元を掬うかのように木の根元に足を取られ、転倒。その瞬間、俺の上をなにかが通り過ぎた。


「まっず……っ」


あれほどうるさかった鼓動が収まり、嘘のような静けさが訪れる。諦めか絶望か、もう自分でも分からない。頰をひくかせ顔だけ上げて、前方を見る。


「グルルルッ」


夜の闇に紛れる漆黒の毛皮に、ギラついた血のように赤い目。大型犬ほどある巨体に、筋肉質な四つの足。だらしなく空いた口元からは涎が流れ落ち、白く鋭い牙がヌメッて光っている。狼ってあんなんだっけ?


「美味しくねぇぞ、俺は…っ!?」


「ガゥッ!!」


「くっ!?」


襲いかかってきた狼の側頭部をうつ伏せの状態のまま両手で受け止める。眼前にまで大きく口を広げた狼の顔が近づき、ムワッと獣臭い口臭も舌も牙も全てがはっきりと見えた。


「ぐ、ぐうううぅぅぅっ!?!?」


ミシミシと骨が軋み、食われた腕からさらに血が流れていく。この体勢での防御はきつい!


「やべっ!?」


限界を越えた右腕の力がふっと抜けた。時の流れがスローになり、周囲の喧騒もうるさかった狼の声も聞こえなくなる。あ、死ぬ。


「ぬ、あああぁぁぁぁっ!?!?」


しかし唯一力の入る左腕で、思いっきり横に力を込めて僅かに軌道をずらす。すると俺の真横で狼は自身の鼻孔を地面に叩きつけた。


「ギャウンッ!?」


「っ!」


その隙をついて、素早く立ち上がり狼の背を飛び越える。そして最後の気力を振り絞り、一気に走り出す。


「はぁっ…はぁっ…」


一心不乱に、死にたくないただ一心で駆け抜ける。背後で怒りに雄叫びを上げる狼の声も置き去りにし、ついに薄暗い森の中から抜け出した。


「吊り橋だ……」


すると、目の前には大きな川が流れていた。ゆったりと流れる川の上に吊り橋がかけられ、向こう岸にたどり着けるようになっている。どういうことかと、周囲を見渡してみるとまるでこの森を囲むかのようにぐるりと弧を描いている川が目に入る。


「これを、渡るのか……」


人口なのか天然かはわからないが、川幅はかなり広く小さな船1隻ぐらいならば浮かばずことができそうだ。遠回りは出来そうにない。吊り橋は見るからにオンボロで大分経年劣化しているが成人男性の一人か二人くらいならば、なんとか歩いて渡れそうだが地味に長いので、渡っている最中に、なにかの拍子で落ちてしまわないか心配だ。


「……行くか」


しかし、この橋を渡らなければ俺はあの狼いずれ追いつかれて食い殺される。ゴクリと唾を飲み込み、意を決して俺は吊り橋に足を踏み出した。


「大丈夫、そうだな」


ギシィッと軋む音が聞こえるが、俺の体重ならばなんとか耐えられそうだ。一歩、二歩、散歩と歩みを進める。歩くたびにギシィッ、ギシィッと嫌な音はなるが落ちる気配はない。


「早く人に合わないと」


腕の痛みは未だ継続中。しかし、あの狼から逃げ出せた安堵で俺の心は未だかつてないほど、落ち着いていた。


「うぉっ」


吊り橋の真ん中ら辺にまで進んだところ、強い風が吹き、吊り橋が揺れ、ささくれ立った綱にしがみつく。その拍子に下を見てしまい、足が竦む。


「あっぶねぇ……」


高さはおよそアパートの5階くらいか。吊り橋の真下で、激流が流れている。さすがにこの高さから川に落ちたら、首の骨を折って死ぬかもしれない。それか、足を折り溺れるかもしれない。そんなのは勘弁だ。


「落ちねーようにしないとな…」


綱を握りしめて、そろり、そろりと歩みを進める。その時、川の中から大きな音を立ててなにかが飛び跳ねた。


「は?」


思わず、気の抜けた声が口から漏れた。それは先程の狼など比較にはならない。民家一軒程の怪物が俺の頭上を飛び越えていった。魚、鯨?川に鯨などいるはずがないが、鯨だったらまだ良かった。こんなん、動物じゃねぇ。


「ふざけろっ!?!?」


見たことのない怪物が今、目の前にいる。その怪物の尾びれがうちわのように迫り来る。慌てて吊り橋から手を離し、吊り橋を走り抜けようとするが時すでに遅し。


「くそがっ!?」


怪物の尾びれが吊り橋に直撃。オンボロな吊り橋が怪物の強烈な攻撃に耐えられる筈もなく、一撃で破壊される。ふわっと身体が重力から解放されるが、それもつかの間。木片と化した木板とともに、身体が川面に一気に引っぱられ落ちていく。


「あ……っ」


羽根をもがれた鳥のように宙をもがく。体勢は安定しない。風の音がうるさい。世界は色を失い、自分がなにを叫んでいるのか聞こえない。


死ぬ、死ぬ、死ぬ……死ぬ?


「あああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!?!?」


身体に衝撃が走り、俺の意識は暗転した。




ーーーーーーーーーーーー



と、まぁこんな感じの踏んだり蹴ったりな目にあった訳だが


「あの……」


最初はなんで俺がこんな目になんて愚痴もよく零した。今も神様なんていう偶像に、恨み辛みなどといった罵詈雑言を心の中でよく吐いている。だけど


「大丈夫ですか?」


君に会えたことに関しては、感謝してるんだ。


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