きみに会うための440円 ③

 鳴海は、実質的にクラスの支配者だった。


 リーダー足り得る人種には、わかりやすい指標がある。例えばクラス委員だとか、とにかく目立つとか、積極的だとか。誰が言い出したわけでもないが、いわゆるカリスマ性がにじみ出ている者が指導者になる。俺はそれは、群がリーダーに付き従うそれに似ている思っている。


 でも鳴海は、違う。そういう、あからさまなリーダー感を振りかざしたりはしない。


 どちらかと言えば、彼女は目立たない方だ。決して、派手ではない。

 彼女は痩せていて、身なりもどちらかと言えば貧相だった。声が大きいわけでもなければ、多弁でもない。授業中はとても大人しかったし、注目を浴びるような生徒ではなかった。


 では彼女が地味だったのかと言われれば、そうではない。


 身なりが貧相でも、彼女には品格があった。姿勢は良く、行儀も良かった。言葉は柔らかだが明瞭で、落ち着いた話し方はすっと入ってくる。彼女が授業で指された時、淡々と正当していく様子は、なんだか俺に不思議な感情を抱かせた。


 そんな彼女は、クラスの誰からも信用されていたし、頼りにされていた。

 例えば林間学校でのグループ課題を決める時、行き先が重複するグループ同士で少し揉めた。どちらも行きたいところが同じだから、譲らない。それを解決したのが、鳴海だった。今ではなんて言ったかは思い出せないが、彼女の提案で、皆がすんなり納得したのだ。それだけじゃない。全てのグループが、きちんと課題を提出したのだ。林間学校を名目にあそびほうける生徒が多い中、そんなことは俺たちのクラスだけだった。


 鳴海は、そういう手法で、クラスを導いていた。決して表には立たず、先導する訳でもない。だけど、要所要所の提案によって、結果的に彼女の言う通りにクラスは流れていっていた。


 そんな鳴海はどういう訳か、俺に関わり続けた。

 例えばクラス対抗リレーのアンカーに俺を推薦したのも彼女だった。確かに俺は足が早かったが、クラスには他に陸上部もいたし、何より校内イベントに積極的に参加するようなガラでもない。しかしこの時も、結局鳴海のいう通りになった。クラスは鳴海の提案を受け入れ、一致団結し、結果、一位になった。



 中学に進学すると、鳴海はより俺を構うようになった。

 鳴海は学校行事がある度に、俺を巻き込もうとした。俺が風邪を引けば、プリントを届けに来るのは彼女だったし、俺が不機嫌にしていれば、それを彼女は見過ごさなかった。ストレスがたまり、そろそろ学校をサボろうかと思う頃には、それを見越していたかのようにメールが届いた。それでも俺が応じない時は、なんと家まで迎えに来た。

 しかし学校生活での彼女は、俺に必要以上のコミュニケーションを取ろうとはしなかった。いつも一緒にいた訳でもないし、何より、年頃の男女が会話するようなキャピキャピ感と言うのが、俺たちには皆無だった。だから俺と鳴海の関係が取り沙汰されたりすることは一度も無かった。


 俺は全くわけがわからなかった。いったい、この女はなんなんだ?


 俺と一緒にいたい、とか、そういう雰囲気は絶対に出さない。それでいて、やりとりはいつも業務的で、端的にだった。この頃に彼女と長時間話した記憶が全くない。曖昧な俺の記憶にあって、しかしこの部分だけは紛れも無い事実だ。



 鳴海とは高校も同じになった。

 中学の頃、相変わらず俺はテストの成績だけは良かったが、彼女のお陰で登校日数も安定していて、通知表だけで見るなら、完全に優等生だった。そんな俺に担任は公立の進学校への推薦入学を提案し、俺は面倒な受験が回避できると知ってそれを快諾した。そうしたら、同じ学校に鳴海が居たのだ。彼女も、同じ推薦枠からの進学だった。

 高校はそこそこに遠く、電車登校だった。学校に最寄り駅は二つあり、と言ってもそこそこに歩くのだが、俺たちが使う駅は少し遠いマイナーな方だった。その道をよく二人で帰った。入学式で鳴海と再会してから、その日はなし崩し的に一緒に帰ったのだが、それ以来、特に決めた訳でもなく、登下校を共にした。

 母校からの進学生は、俺と彼女だけだった。双方、それなりにうまくクラスに溶け込み、友人関係を構築してはいたが、勉学一辺倒の連中とつるむのは俺には荷が重かった。辟易とするのだ。彼らを前にした時、俺はそのスカスカの内面ばかりが気になってしまうのだ。

 鳴海との登下校は、そんな俺に平穏をもたらすものだった。

 鳴海と時間は、無防備で入られた。飾らず、肩肘張らず、空気も読まず。盛り上がらない会話を拾い上げる必要も無い。クラスに溶け込むために必要な、強固な鎧のような対人スキル、まぁ、溶け込むのに固いもの纏うというのもおかしな話だが、とにかく、そういう重苦しくて仕方がないものを、俺は彼女の前では脱ぎすてることができたのだ。

 だから、なにを話した、とか、どこへ立ち寄ったとか、どんな表情だったか、とか。そういう映像的な思い出というのが、俺の中には残っていない。もしかしたら、本当に一言も話していないのかも知れない。



 唯一、はっきりと覚えていることがある。それは高校二年生の、夏休み明けのことだ。


 俺はバイトに勤しんでいた。場所は駅前のパン屋だ。金に苦労していた訳ではないのだが、父という絶対権力者から少しでも自立しようと、雑費くらいは稼いでやろうと考えていたのだ。それは、俺なりの反抗だったのかもしれない。

 それは日曜日の夕暮れで、人通りの割には店内は閑散としていた。パン屋だからなのか、おやつ時を過ぎると客は激減する。平日なら仕事帰りの人が立ち寄るが、休日ともなればそんなことはない。俺は早くも暇を持て余し、閉店準備を始めていた。

 そんなところに、鳴海は現れたのだ。


「いらっしゃいませ」


 驚く俺に鳴海は、小さく会釈をしたあと、小さな店内を物色している。普通の客のように、陳列されたパン達を、少々珍しそうに眺めているのだ。カウンターには俺しかおらず、店内には鳴海しかいない。その空間を、アンティークなドアベルが奏でる音と、彼女のヒールの音だけが響いているのだ。

 思えば、彼女の私服を見たのはこれが初めてだった。正しく言うなら、高校入学を迎えて制服生活になってから、女性としての魅力をひきだす、それを目的とした私服を見るのが初めてだ、ということだ。

 それは、強烈な印象だった。まるで、今までが曇りガラス越しだったかのように、それがたった今取り除かれたかのような、そういう、透明感と鮮明度を持って、俺の目を通り越して、網膜に焼き付いたのだ。

 それは、俺をひどく緊張させた。


「これ、ください」


 鳴海は、いくつかのパンを乗せたトレーを、丁寧にレジ横に置いた。客によっては乱雑に置かれるトングが、綺麗に添えられている。こういう時、彼女の品格を感じるのだと意識した時、過去の出来事が脳裏に押し寄せ、俺の気道はきゅっと引き締まった。


 何を話したらいいのか、わからない。


 いつもは特に話してもいなかったのに、今は、何かを話さなければならない気がする。そう思うと、急に言葉が出てこなくなった。思い浮かんだ言葉達も、いずれも喉から出ることは無く、俺は結局、会計を伝えた後、無言でパンを袋詰するしかなかった。


「円翔は、決めたの」


 質問とともに、視線が向けられる。俺は質問の意図がわからず、文字通り、固まってしまった。


「決めた、って、何を」


「修学旅行のコース。まだなんだろうなと思って」


 そういえば、すっかりと忘れていた。俺達の学校は課外活動に力を入れていて、修学旅行も複数のコースが用意され、生徒ごとに選択できた。実施は秋も深まった頃だが、その締切は意外にも早い。数日前、同じことを帰りに言われていたのを思い出す。彼女がここに現れた理由は、もしかしたらそれなのかもしれない。


 なぜだろうか。その理由に思い至った時、俺の心臓は跳ねた。それは一瞬、自分の視界がくらむほどの、強い拍動だった。


「決めてないなら、一緒のところにしようよ」


 彼女は小銭を俺に手渡した。百円玉が四枚と、十円玉が四枚。それはお釣りなしのぴったりの料金だった。


「円翔と、行きたいところがあるんだ」


 その時の俺は、自分に起きた変化というものを対峙するのに精一杯で、ろくに会話すらできなかった。ただのやり取りのはずなのに、言葉の一つひとつが、俺から冷静を奪っていく。


「じゃあ、それで先生には出しておくね」


 俺の手から袋を受け取った彼女は、そう言い残して、出ていった。またしても、店内にはドアベルが響き渡っていた。


つづく

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きみに会うための440円 ゆあん @ewan

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