きみに会うための440円 ②
先にも言った通り、俺には友達が少なかった。これは今だから断言できることではあるが、それは環境や周囲のせいではなく、間違いなく、俺のせいだった。
親父は仕事ができるだけでなく、情に厚く、人望があった。世間的にみれば、間違いなく、いい男だった。それは俺が二十歳を迎えた今日、そこそこの規模の会社においてすでに役員の座に就いていることが証左である。
しかし、そんな親父と俺との折り合いは最悪だった。記憶にある限り、良好な関係だったことは一瞬たりともないだろう。なぜそうなのか、それを分析しろと言われれば、俺は二つの要因を提示する。一つは、俺が感性派の人間だったこと、もう一つは、父が徹底した理論派だったことだ。
父は頭がいい。あらゆる状況を分析し、最適解を導き出すことに長けている。我が家において、父の言うことは絶対だ。なぜなら、たいていは父の言った通りにことが進むからだ。父にしてみれば、それは現状から分析した結果から予測しているに過ぎないのだが、それのできない人間にとって見れば、父のそれは完全に未来予知、オカルトのそれである。
だから父は、失敗についても寛容だ。失敗する確率や状況を理解しているから、失敗してしまった者を許すことができる。その上で、次に何をすべきかを、その者の立場にたって諭すことができる。このあたりが、情の厚さにつながるところだ。
そんな父にとって、何よりも許せないのが、「成功に向かって努力しない」者だ。これに該当する場合、父にとってそれは人間ではなくなる。父にとってみれば、努力とはがむしゃらに取り組むことではなく、成功に向かって最適な手段を取り続けることなのだ。
さて、話を戻せば、俺は母譲りの感性派だった。感受性が豊か、と言えば聞こえは良いが、父から言えば、感情を優先するタイプだ。俺は幾度となく失敗を繰りかえし、父に叱責を受けてきた。
父の叱責は理論武装が完璧の、逃げ場の無いものだった。一言でいうなら、正義である。父はこの究極たる正義を振りかざし、俺の感性からくる判断基準を、もっというなら、俺という人格そのものを幾度となく否定した。父にしてみれば、俺の行いに対しての注意でしか無いのだろうが、感性派の俺にはその理解は遠く及ばず、結果的に、心に深い傷を追うだけだった。俺は、完全な正義とは、使い方次第でどんな暴力をも越えうるものだということを、父から学んだ。
そんなことを繰り返せば、どうなるか。最初に述べた通り、最悪な関係ができあがるのだ。父は自分の息子は理解のない無能として愕然とし、俺は、そこにある理論を理解できないまま、ただただ振りかざされる正義に畏怖と嫌悪を深めていった。
そんな幼少期を送った俺に、ある価値観が芽生える。それは小学校の中学年になる頃には、俺の判断基準のすべてという程にまで膨れ上がり、ひいては、人格を構成する主要な成分になっていた。それは、「結果が全て」ということだ。
感性派であった俺には、残念なことに、父のいう成功に向けてのプロセスや分析が、まったく理解できなかった。父はそれをせずに幾度と失敗する俺を諭していたつもりであろうが、俺には理解できないのだから、関係ない。俺からすれば、結果が良ければ怒られず、その逆は正義という暴力を受けていたに過ぎないからだ。
そんな俺に宿った「結果が全て」は、感性派の少年の行動力と合わさり、それはもう、酷くねじれて大変なことになった。結果を出すまでの過程を考慮しないのだから、無法地帯もいいところだった。例えば、俺にとってテストとは、いかに高得点を出すかのゲームに過ぎなかった。それはつまり、職員室に忍び込んだり、学年が上の生徒から情報を聞き出したり、教師の言動から予想し、さらには効率よくカンニングする技術を身につけることだった。
そういう、間違った努力を続けていた俺は、悲劇的なことに、成績が向上し続けた。俺は学年トップクラスの成績を維持し続けていたのである。
そして俺は完全に調子に乗っていた。なにせ、俺は結果を出し続けていたのだ。愚かにも授業中に一生懸命にノートを取り、寝る時間を惜しんで勉強机に向かっていた誰しもが、この俺に勝てなかった。肉体でもそうだ。俺はそういう「無駄な」努力に時間を使わず、外で十分に体を動かしていた。祖父と畑仕事やら川遊びやらで身につけたスキルは、体育科目の運動でも大きく役立った。
ここまで言えば、なぜ俺が喧嘩っぱやかったのかが十分理解できたと思う。単に、相手を黙らせるのに手っ取り早かったからだ。そうして挑んできた相手のほとんどは、実際に二度と俺に逆らうことはなく、近づいて来なかった。
つまり、俺は周囲を馬鹿にしていたのだ。結果を出せない奴はクズ。俺にとって周りはクズばかりだった。そんなクズと友達になる必要がどこにあるというのだろうか。そんな俺が、校内で浮いてしまうのは時間の問題だった。
そんな、目を覆いたくなるようなガキ時代を過ごした俺だが、しかし、孤立はしていなかった。稀に野球に誘われたりもしていたのだ。それは一部の生徒達が俺に憧れを抱いていた、ということも無くはないだろうが、言いたいのはそういうことではない。俺という孤高の馬鹿と、烏合の衆。その間を取り持つ存在がいたのだ。それが、加瀬鳴海という少女だった。
加瀬鳴海がいつからそこにいたのかは、はっきりと覚えていない。もしかしたら、はじめからいたのかもしれないし、あるいは、転入してきたのかもしれない。いずれにせよ、俺が烏合の衆から「加瀬鳴海」という個体を認識したのは、祖父が死んでから、つまり、小学校五年生の、夏休みを明けた頃だ。
加瀬鳴海は、同じクラスだった。そして、風紀委員だった。果たして義務教育世代にどんな風紀が必要なのかはわからないが、間違いなく言えるのは、当時の俺が風紀において要注意人物だったことは疑いようもない事実だということだ。たいして勉強しているように見えないのに、成績はいい。そんな相手に人間が抱く感情は二つに一つだ。こいつは天才だ、と肯定的に捉えるか、何か不正な手段を取っているに違いないと、否定的に捉えるかだ。鳴海は多分、後者だったはずだ。
「
それは夏休み明け、最初の投稿日。ホームルーム開始時刻ギリギリに現れた俺に鳴海は、そう、声をかけたのだ。
先にも言ったが、俺は浮いていた。そんな俺が教室に入ると、少しばかりか、空気が変わる。その空気の変化を感じることが、俺にとっての登校であった。だから、烏合の衆が何か話しかけてきていることなんて、実際のところは覚えていなかったし、果たして俺がちゃんと挨拶をするガキだったのかは、今でも思い出せない。
だが、鳴海のこの言葉だけは、そういう内面的な俺のフィルターを突き破り、確かに鼓膜に届いたのだ。大好きな祖父の死によって荒んでいた俺の心には、それはヒリヒリと十分に印象的に届けられたのだ。
「当たり前だろ。学校は来るもんだろ」
酷く動揺した俺は、一見ふくみが有りそうで実はまったくない一言を返すのが精一杯で、それを悟られまいと、俺はポケットに手を突っ込んだまま、猫背をより一層深くして、ガニ股で退散した。席についた後、こちらを凝視するその視線を懸命に
こいつは誰だ? それが俺の第一印象である。
いきなり知らない人間に、さも前から知っているかのように話しかけられた。それも、女からだ。そもそも、ちゃんと、って、いったいどういうことだよ。
当時の俺の至らなさは、所詮こんなもんである。考えてみれば、わかることだ。別に途方もなく広い街じゃない。俺の祖父の訃報を知っている生徒がいて、気遣う人がいても何もおかしくない。だが、俺には思いもつかなかっただけなのだ。俺の性格を知り、これをきっかけに不登校になってしまうのではないか。そう身を案じてくれる、稀有な人間がいるということに。
つまり、加瀬鳴海という少女は、そういう奴だった。
◇
家に戻った後も、母との話が片時も頭を離れなかった。正直、夕食の飯の味がわからなかった程だ。それほどまでに、俺はその事実に狼狽えていた。
携帯画面には、加瀬鳴海の電話番号が映し出されている。無駄な機能により、最後に通話した履歴が表示されているが、それはもう一年以上も前の日付になっている。むしろ、その時、どんな用事で電話をしていたのかさえ、思い出せない。
今さら、何を話すというのだろうか。話して、何を得ようというのだろうか。
そんなことを考えながら、随分経つ。いつの間にか、窓から差し込む光は夕暮れから街灯になっている。
ただ、徐々に明確になってきたのは、そこに理屈は無いということだった。湧き上がる好奇心に、俺は逆らえそうにない。
事実、いつのまにかに俺の親指が通話ボタンを押していて、気がついた頃には、コール音がブツっという音を立てて途切れ、その向こう側の空気が流れ込んできていた。
「もしもし」
そこに、確かに鳴海の声が入っている。鼓膜に届いたそれは、容赦なく俺の感情に波風を立てる。そう、これは、あの時と同じだ。
「もしもし」
俺がその返答を体から絞り出すのに、随分と時間を要した。
つづく
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