第3話 オメナのジャム

庭にあるオメナの木に、たくさんの実がなっている。

赤と黄色のまだら模様をしたその果実は、固くサクサクとした歯ざわりで、噛むと甘い汁がじゅわっと溢れる。

ジブリールの、好物だ。


「とはいえ、好きなものでもたくさん食べすぎると飽きるんだよね……」


やっぱり誰にいうでもなく、ジブリールはぽつりと呟いた。

かご一杯にとれたオメナの実。

腐らせてしまうのは、どうにももったいない。

ひとつ手にとって、彼女は目を細める。


ーー昔、王都に暮らしていた頃。

オメナの実をかたどったブローチを、貰ったことがある。

真っ赤な柘榴石と、美しい緑柱玉をあしらった美しいブローチを、恋人が手ずから胸元につけてくれた。


「そなたの白い肌に、よく映えるな」


そう言って、彼は笑ってくれた。

礼を述べれば、柔らかなくちづけが頬に降ってくる。

そんなことを思い出してーージブリールは、ため息をついた。

もう遥か昔のことだ。


いったい、どれほどの年月をここで過ごしたか、ジブリールにはとんと分からなかった。

ただ一人、生きるのに精一杯だったのだ。

外界から隔絶されたこの森で、彼女は必死になって生き抜いた。

ぼろぼろになった体で必死に集めた枝に、震える手で炎を起こしたあの時の気持ちは、今でも忘れられない。

小さな火が、ぽっと音を立てて小枝に灯った。

薄く煙が上がって、焦げた匂いがして、温かみがじんわりと手に伝わってくる。

心までもを温めるオレンジ色の光に、ただただ感謝した。

獣を追い払い、体温を保ってくれる、いのちのような小さな火がーージブリールを、守ってくれたのだ。


「……はぁ」


ため息をついて、あばら家にかごいっぱいのオメナを運び込む。

ジブリールは、この生活を気に入りつつあった。

王都で煌びやかな衣装や、絶えぬ灯りに囲まれて生きていた時は、それはそれで楽しかった。

聖女とうたわれ、親しまれ、敬愛されていた昔を思い出しては涙することもあった。

慕われていた民草から、石を投げられたことを夢に見ては、叫んで飛び起きる夜もあった。

ーーけれど、今は一人なのだ。

ジブリールをとらえて拷問した恐ろしい官吏も、罵声を投げつけてくる姫もいない。

ーーかつて愛した、あのひともいない。

けれどここには、ジブリールを守ってくれた火がある。

暖炉の中で赤々と燃える、柔らかな光。

ここは安全なのだと、炎が語りかけてくるようだった。

ひとりでも、生きていける。

今は、そんな自信に溢れていた。


「さて、と」


捥いできたオメナの実をしっかり洗う。

つやのある表面が、水を弾いてきらきらと光った。

いくつかは分けておいて、夕飯のデザートにしよう。

いたみが進んでいるものを選り分け、黒くなっているところを包丁の端でえぐり取る。


「ダメなところは、だいたい取れたかな」


細かく切ってから、ジブリールは棚に手を伸ばす。

小さなツボには、庭に生えているバーヒゥテラの木から採れた、甘い蜜を煮詰めて作った糖蜜が入っている。

ーー幼い頃、ジブリールが暮らしていた寒村にあったものと同じ木を見つけた時は、懐かしさと嬉しさで涙したものだ。

バーヒゥテラの木は、別名を「糖蜜樹」。

その茶色い樹液は甘く、煮詰めれば糖蜜になるのだ。


「……ふふ、あまーい」


一口食べて、ジブリールは頬を緩めた。

柔らかく優しい甘みが、じんわりと広がる幸せ。

甘いものは、心の栄養だ。

オメナの実と糖蜜、それらをだいたい同じくらいの量を鍋に入れ、蓋をかけておく。

こうしておけば、夜にはオメナの実から水分が出るのだ。

注意深く煮詰めれば、オメナのジャムが完成だ。


「あしたは、パンを作らなきゃな……」


切り分けたオメナの実とパンを交互に口へ運びながら、テーブルのカゴを見やれば、残りのパンはあと2つ。

パン作りは、とても大切だ。

これがなくては、食事が整わない。


「さて、と!」


食べ終えて、ジブリールはさっとパンくずを払い、立ち上がった。

家畜の世話をしなくてはいけない。

裏の小屋には、カーナポと呼ばれる卵を産む鳥が数羽と、ポーロという大きなツノのある、分厚く白と茶のまじった毛皮をもつ四つ足の動物が4頭。

カーナポは穀物だとか虫を食べ、ポーロは草や苔を食べて生きるものだ。

家畜小屋からポーロを出してやり、囲いの中へ放つ。

小屋の掃除を終え、家畜の体調に変化がないかを確認してから、ジブリールはうんと背中を伸ばした。

畑の世話をして戻れば、そろそろ、太陽が沈む時刻だ。


「みんな、おいで」


声をかけて小屋に家畜を入れてやり、一番星を眺めてから、ジブリールは家に戻る。

今日も1日、よく働いた。

水分が出て、ちゃぷちゃぷと音を立てる鍋のふたを取ってから、ごく弱火にして煮詰めていく。

ほんのりと甘い香りと、オメナの身のさわやかな芳香があたりにわっと立ち込める。

水分がほとんど飛んで、茶色く煮詰まったジャムは柔らかな湯気を立てている。

蓋を閉めて、ジブリールはにっこりと微笑んだ。

明日のパンには、このジャムをつけて食べよう。


「……ふふ、楽しみだなあ」


わくわくとした気持ちを胸に、ジブリールは今日も安らかな眠りについた。

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断罪された聖女は静かに暮らしたい @Cyn0sura

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