下
そこは縦に長い長い巨大な部屋のようでございました。そしてその部屋いっぱいに〝奴〟は伸びておったのでございます。地下道の果て、たどり着いたその場所は上にも下にも大きく広がっており、天井を見上げても果ては〝奴〟が吐き出す蒸気と煤煙のせいで霞んで見えない、また下を覗き込んでも霞んで底は見えません。帝都中にニョキニョキ生えているどんなビルヂングの屋上から見下ろすよりも高い高いところにあって、同時にどんな地下道よりも深い深いところに居たのです。そして、そんな部屋に漂う蒸気と煤煙の白い煙でうっすらとその身を隠しながら〝奴〟は横たわっていたのでございます。ええ、縦長の部屋いっぱいに広がっているにも関わらず、不思議と印象は横たわっていると感じたのです。ほぼ直観のようなものでしたが、何故か「ああ、こいつは横たわって眠っているのだ」と思ってしまったのです。
実に恐ろしい地響きのような機関音を上げながら、余剰蒸気と煤煙を吐き出しながら、そこにいたのは紛れもなく巨大な、それは、あの《時計塔》をも超えて、他に比べるものがないほどに巨大な、蒸気機関だったのでございます! この世にある全ての機械を一つに集めたような!
いったい何の機能を持つものなのか、ただの配管工である私からすれば全くの見当もつかない、それでも大小様々な、それも無数の歯車を忙しなくギリギリと回しながら、無数のクランクとシャフトがゴンゴンと上下しながら、地下道の配管など目ではないほど巨大な、それでいて複雑に絡み合った蒸気管をゴウゴウと震わせながら、その大機関は
その時、どこからか、あの聞きなれたゴォンという音が響いたのです。帝都に住まう私どもがあの音を聞き間違えるはずはありません。それは遥か頭上から聞こえたかのような、あるいは下から響いてきたかのような気さえしましたが、私がハッと正気に返るには十分な音量でありました。同時に溜まりに溜った恐怖が限界に達し、私は来た道を戻り始めました。機械相手に可笑しいと思うかもしれませんが、見詰められていると感じた手前、〝奴〟に気付かれないように、コッソリと戻らざるを得なかったのは自然なことでした。もはや、痛めつけられた自負心など忘却の彼方。長い長い道のりに垂らした縄を辿って引っ返していったのです。
しかし、恐怖は決して私を解放してくれた訳ではありませんでした。
ああ、いつごろからでしたでしょうか。あの奇妙な、調子っ外れな、噛みあわせの悪い歯車のような音が再び聞こえてきたのは。最初は、はたと立ち止まって背後をのぞき見たのですが、薄暗がりの地下道の中、人影のようなものは見えなかったので、ああ、あの大機関から離れたせいで、それまで大きな機関音に遮られていたのが聞こえだしたのだな、と思ったのですがどうにも妙なのです。ええ、何が妙って、その音は、先と違い、逆に初めて聞いた時と同じく、徐々に徐々に私に向かって近づいてくるような気がするではありませんか。それも、一つではありません。いくつも同じ音が重なって聞こえてくるのでございます。
私はゾーッと
ハハハ、ハハハハハ、このような話、とても配管工仲間にも監督にも話すことはできますまい。到底信じられるような話ではありません。そのことはよぉく承知しておるのです。
はい、音、でございますか。ああ、地下に響いたゴォンという。あれは聞き違えようもありません。まさしくあれこそは帝都の守り神たる《時計塔》の、鐘の音でございます。もしかしたら、あの鐘の音が私を守ってくれたのかもしれません。
しかし、私はあれからすっかり、地下に言い知れぬ恐怖を感じるようになってしまいました。配管工も辞め、今では酒がなければ心の平穏も保てぬという有様。酔っていなければ、自分の足元が崩れてしまうような、そして、地の底で蠢くあの大機関が
だから、私の話を買って頂けるという記者様に、このような
* *
丙種出版物、誌名〈実話運動〉編集部より引き渡し原稿。内部協力により該当記事は別件に差換え済み。本稿は内国保安本部の審査後、中央統計局へ送致。
付記壱、本情報はB群機密に分類。当該情報の閲覧には、議会内該当諮問委員会の許可が必要。
付記弐、《全一機関》への物理的接触が確認された当該人物の追跡調査。取材直後、西部直轄市の甲種酒類取扱店舗にて偶発的な暴力事案による死亡を確認。この方面での情報拡散は確認されず。
付記参、当該情報において言及されたホ-八号通路への侵入口を発見。また、ホ-八号通路にて目撃された〈黄金の幻影の結社〉人型兵器を特別実働部第三班および第四班により捜索するも発見には至らず。《全一機関》及び《時計塔》地下の警戒態勢の引き上げを大本営統帥府に上申。
――以上
地底の大機関 蒸奇都市倶楽部 @joukitoshi-club
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