そこは縦に長い長い巨大な部屋のようでございました。そしてその部屋いっぱいに〝奴〟は伸びておったのでございます。地下道の果て、たどり着いたその場所は上にも下にも大きく広がっており、天井を見上げても果ては〝奴〟が吐き出す蒸気と煤煙のせいで霞んで見えない、また下を覗き込んでも霞んで底は見えません。帝都中にニョキニョキ生えているどんなビルヂングの屋上から見下ろすよりも高い高いところにあって、同時にどんな地下道よりも深い深いところに居たのです。そして、そんな部屋に漂う蒸気と煤煙の白い煙でうっすらとその身を隠しながら〝奴〟は横たわっていたのでございます。ええ、縦長の部屋いっぱいに広がっているにも関わらず、不思議と印象は横たわっていると感じたのです。ほぼ直観のようなものでしたが、何故か「ああ、こいつは横たわって眠っているのだ」と思ってしまったのです。


 実に恐ろしい地響きのような機関音を上げながら、余剰蒸気と煤煙を吐き出しながら、そこにいたのは紛れもなく巨大な、それは、あの《時計塔》をも超えて、他に比べるものがないほどに巨大な、蒸気機関だったのでございます! この世にある全ての機械を一つに集めたような!

 いったい何の機能を持つものなのか、ただの配管工である私からすれば全くの見当もつかない、それでも大小様々な、それも無数の歯車を忙しなくギリギリと回しながら、無数のクランクとシャフトがゴンゴンと上下しながら、地下道の配管など目ではないほど巨大な、それでいて複雑に絡み合った蒸気管をゴウゴウと震わせながら、その大機関はうごめいていたのでございます! ああ、実に奇妙なものです。それは確かに機械で出来た物。見慣れた歯車と配管が集まったものではありましたが、私にはどうにも、それがまるで生き物のような、いや、もっとおぞましい。そう、巨大な生き物の内臓が脈動しているような、そんな風に本能が直視を拒むような気持ち悪さを感じたのです。蠢いている。鋼鉄の黒い色でさえ、赤みをもった肉のような気がして参ります。そう、これを蠢いていると表さずしてどう表現できましょうか。ギリギリ、ゴンゴン、ゴウゴウ。様々な動作音が混じって恐ろしいほど巨大な脈動が響くのでございます! 蒸気と煤煙、そして油を混ぜたような鋼鉄の匂いで息をするのも辛い具合でした。そして、人間という存在が圧倒的に矮小なものであると感じてしまうほどに巨大な、黒い鋼鉄の塊がまるでわらっているかのように、見詰められていると感じたのです。私は、自分が立っている地面が無くなってしまったような、ただ広い世界の中でたった一人になってしまったような、そんな恐怖が徐々に徐々に、まるで蒸気でできた触手が足元からい上がってくるような感覚に取りつかれてしまいました。排出される蒸気のせいで、湿度も高く滝のように汗をかくほどだったのですが、背筋はまるで水を浴びせられたように冷たくなっておりました。


 その時、どこからか、あの聞きなれたゴォンという音が響いたのです。帝都に住まう私どもがあの音を聞き間違えるはずはありません。それは遥か頭上から聞こえたかのような、あるいは下から響いてきたかのような気さえしましたが、私がハッと正気に返るには十分な音量でありました。同時に溜まりに溜った恐怖が限界に達し、私は来た道を戻り始めました。機械相手に可笑しいと思うかもしれませんが、見詰められていると感じた手前、〝奴〟に気付かれないように、コッソリと戻らざるを得なかったのは自然なことでした。もはや、痛めつけられた自負心など忘却の彼方。長い長い道のりに垂らした縄を辿って引っ返していったのです。


 しかし、恐怖は決して私を解放してくれた訳ではありませんでした。


 ああ、いつごろからでしたでしょうか。あの奇妙な、調子っ外れな、噛みあわせの悪い歯車のような音が再び聞こえてきたのは。最初は、はたと立ち止まって背後をのぞき見たのですが、薄暗がりの地下道の中、人影のようなものは見えなかったので、ああ、あの大機関から離れたせいで、それまで大きな機関音に遮られていたのが聞こえだしたのだな、と思ったのですがどうにも妙なのです。ええ、何が妙って、その音は、先と違い、逆に初めて聞いた時と同じく、徐々に徐々に私に向かって近づいてくるような気がするではありませんか。それも、一つではありません。いくつも同じ音が重なって聞こえてくるのでございます。

 私はゾーッとすくみ上がりながらも、必死で来た道を半ば転がるように走り始めたのです。しかし、カッチキンカッチキンという音はけっして私から離れるようなことはなく、徐々に徐々に距離を詰めてくるのです。果たして、ついにその音が背後まで迫った時、思わず振り返ってしまった私は見たのでございます! 恐怖のせいで歪んだ地下道の暗がりの向こうに、ぼんやりと浮かぶ、白い顔を! いやいや、あれは顔なんてものではありません。人間の表情は浮かべておりましたが、人間があのような白く、硬質な顔をしているでしょうか。また、人であるならば、その下にあるはずの身体だって見えるはず。ですが、地下道に浮かび上がったそれは顔だけだったのです。いや、いや、あれは仮面だったのでございます。もはや、その表情が笑っていたのか怒っていたのか泣いていたのか思い出せませぬが、あれは紛れもない無機質な仮面だったのでございます。そして、カッチキンカッチキンという音を発しながら、それは私に追いすがってくるのです。否応なく、私はさきほどの巨大な臓器じみた大機関を思い出してしまいました。同時に恐ろしい想像が浮かんで参ります。ああ、あれは、私をあの広間に誘い込む為に現れた、機関お化けの手先だったのではないか、脈動する鋼鉄の巨塊が哀れな獲物を捕える為に伸ばしてきた、顔のついた触手だったのではないか、と。であれば、身体がないことには合点がいくというものです。私は半狂乱になりながら必死に縄を手繰たぐりながら走りましたが、仮面たちの方が素早く、ゆっくりではありますが、確実に私の背後まで、カッチキンカッチキンという音が迫って参ります! 恐怖の余りに卒倒しそうになった私のすぐ背後にまで顔が迫っているのが感じられ、もう駄目だと思ったその時。再び、ゴォンというあの音が連続して地下道に響いたのでございます。瞬間、背後に迫っていた気配とカッチキンカッチキンの音が遠ざかった気が致しました。私は必死になって、振り返りたい衝動をも押さえつけ走り続け……気がつきますと、あの懐かしい地上へ舞い戻っていたのであります。もはや、どのように走ったのかいつ地上へ出られたのか、全く思い出せません。



 ハハハ、ハハハハハ、このような話、とても配管工仲間にも監督にも話すことはできますまい。到底信じられるような話ではありません。そのことはよぉく承知しておるのです。

 はい、音、でございますか。ああ、地下に響いたゴォンという。あれは聞き違えようもありません。まさしくあれこそは帝都の守り神たる《時計塔》の、鐘の音でございます。もしかしたら、あの鐘の音が私を守ってくれたのかもしれません。

 しかし、私はあれからすっかり、地下に言い知れぬ恐怖を感じるようになってしまいました。配管工も辞め、今では酒がなければ心の平穏も保てぬという有様。酔っていなければ、自分の足元が崩れてしまうような、そして、地の底で蠢くあの大機関があごを開けて待ち構えているような、そんな風に考えてしまうのでございます。

 だから、私の話を買って頂けるという記者様に、このような荒唐無稽こうとうむけいな話を長々としているのでございますよ。いかがでしたでしょう。私はこれで今夜も地の底を忘れることができるというもので。はい。



 *   *



丙種出版物、誌名〈実話運動〉編集部より引き渡し原稿。内部協力により該当記事は別件に差換え済み。本稿は内国保安本部の審査後、中央統計局へ送致。


付記壱、本情報はB群機密に分類。当該情報の閲覧には、議会内該当諮問委員会の許可が必要。


付記弐、《全一機関》への物理的接触が確認された当該人物の追跡調査。取材直後、西部直轄市の甲種酒類取扱店舗にて偶発的な暴力事案による死亡を確認。この方面での情報拡散は確認されず。


付記参、当該情報において言及されたホ-八号通路への侵入口を発見。また、ホ-八号通路にて目撃された〈黄金の幻影の結社〉人型兵器を特別実働部第三班および第四班により捜索するも発見には至らず。《全一機関》及び《時計塔》地下の警戒態勢の引き上げを大本営統帥府に上申。



  ――以上

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