幽霊少女の正体は その5

「なっ!?」

「誰だ? 町のお偉方ってとこかな」

「……副町長、です」

 サータの声は震えていた。

「威厳のないただの太ったおっさんじゃない」

 グラの容赦ない言葉にも一切怯まず、その男は冷たい視線を三人に送る。

「やれやれ、まさか本当にネズミが紛れ込んでいたとはな。昨晩の忘れ物を届けてやったというのに酷い言い様だ」

「昨晩のって、――まさか、転んだあの時に」

「わざわざ証拠を残してくれるとは親切なネズミだとは思ったが、こうも馬鹿正直に侵入してくれると、こちらとしても探す手間が省けて助かるよ」

「ちょっと! その指輪返しなさいよっ!」

「煩いお嬢さんだねぇ……こんなもの、返してやるさ――ほれっ!」

 彼は窓に向かって思いっきり指輪を放り投げる。

 指輪は弧を描き、括られた紐がまるでほうき星のように外へ流れていく。

「っ!?」

 グラは思わず飛び上がり、何とか掴み取ろうと窓に身を乗り出して指輪に手をかける。

「やっ――」

 その手が指輪を掴んだ瞬間。

 半身を外になげうっていた彼女はバランスを崩し、頭から地上へと飛び降りてしまう。

「グラッ!?」

「お姉ちゃん!」

 二人の声がした時にはすでに遅く、鈍い音と小さな振動が塔へと伝わる。

 言葉を発することも出来ずにサータがその場に崩れ落ちる。

「ふんっ、あんなものに必死になって馬鹿なやつだ。まぁ、どちらにしても貴様らはここで処分するつもりだったから、その手間が省けただけだがね」

 男が指を鳴らすと、背後から武装した衛兵四、五人が部屋を取り囲む。

「まあ、見逃してくれるなんてハナから思ってなかったけどな」

「察しが良いな。その子にこれ以上余計なことを吹き込まずに投降するなら、お前のこともその子のことも悪いようにはしないさ。政治家として、住民に嘘はつかない」

「どうかな。政治家ってのはみんな嘘つきさ」

「自分の立場をわかっているのか。虚勢を張ることに意味があるとは思えんが」

 男の語気が少し荒くなる。

 それを察したのか、サータがワールドに囁く。

「もう、良いんです。これ以上あの人を怒らせないで」

「キミはここまで来て諦めてしまうのかい」

「だって、だって、もう、お姉ちゃんは……」

「グラは大丈夫。俺が保証するさ」

「でも……」

「それよりも、俺はキミの想いを聞かせて欲しい。キミだって、ずっとここを抜け出したいと思っていたんだろう」

「それは」

「おい、余計なことを言うなと!」

「キミの言葉で聞かせて欲しいんだ! 心の声を、魂の叫びを!」

 ワールドの言葉はサータの胸に真っ直ぐに突き刺さる。

 ゆっくりと、崩れた姿勢を整え、サータは立ち上がる。


「もうずっと、長い間こんな場所に閉じ込められて、外の世界を知ることなんて無いまま一生を終えるんだろうなって。生かさず殺されず、それが私の人生なんだって言い聞かせてた。この塔が私の世界で、私の人生。何にも怯えずに暮らせるのなら、それもまた素晴らしき人生かなって。それで良いんだって思ってた、けどっ! お姉ちゃんが本当に迎えに来てくれて、やっぱり私はここから抜け出したいんだって気付いた。もっと、外の世界を知りたいって思っちゃった」

「外の世界はキミが思っているような綺麗な世界じゃないかもしれない。人間の欲望渦巻く恐ろしい場所かもしれない。グラもきっと、キミに言えないような苦労がたくさんあったのかもしれないよ」

「それでも!」

 サータの語気が強くなる。

「お姉ちゃんがいるこの世界なら、お姉ちゃんと一緒ならどこへだって行ける! そのために、私は生きたい」

「ああ」

 ワールドが優しく微笑みかける。

「その想い、充分伝わったぜ」

 その懐から取り出した銀のナイフは虹色に光り輝いていた。

「さあ、『魂のデッサン』を始めよう」

 ワールドの表情は芸術家のそれに切り替わっていた。


「キタキタキタキタアァァ!!!」

 目を血走らせ、光り輝くナイフを手に魂の芸術家がキャンバスとして選んだのは塔の壁面だった。

 煉瓦調の壁一面にナイフを走らせ、大胆かつ繊細に線を描く。

 鋭い眼光に奇声を上げ奇行に走るその男に対し、誰も何も言えないでいるとあっという間にワールドの『作品』は完成した。

 それは一対の翼であった。

 大きく、すべてを包み込むような、まさしく天使の翼のような。

「つばさ……?」

「そう。天使の翼さ。さあ、飛び出そうぜ!」

 ワールドが翼の中心部にナイフを突き立てる。

「唇に唄を、言の葉に想いを。その魂を刻み込め――『ソウル・エレメント』!」

 すると一面の壁は音もなく崩れ落ち、描かれた翼だけがまるで生きているかのように優雅に舞っている。

 塔の外に広がる暗い夜の世界。

 それは彼女にとって、未知の不安な世界である。

 それでも非常に魅力的で、どこまでも続く世界の広さに僅かばかりの希望を見出すことは難くなかった。

「しっかり捕まってな」

 ワールドの左腕がサータの腰に手を回す。右手の翼が大きく羽ばたくと、ゆっくりと、その優雅な翼は夜の世界へ旅立っていく。

「……はっ。な、なにをやっているのだ! 早くアイツを捕まえろ!」

「し、しかし」

「ええい、役に立たない連中だ。くそっ! このままで済むと思うなよ!」

 彼らの捨て台詞を背に、ワールド達はゆっくりと町を北上していく。

「すごい、本当に空を飛べるなんて」

「今度はキミの本物の翼で空を飛べる日が来るさ」

 ゆっくりと旋回しながら高度を下げ、町の外へと二人は降り立つ。


「サータ!」

 後方から声がしたかと思えば、塔から落ちたはずのグラがこちらに駆け寄ってくる。

「お姉ちゃん!」

 サータもグラに向かって駆け出し、一目散に抱きつく。

「良かった! 本当に良かった! でも、なんで……?」

「俺が渡したアレが役に立っただろう?」

 したり顔でワールドが言う。

「ええ。悔しいけど、そうね」

 彼の思惑通りに事が進み、少しだけ不満そうな顔をするグラと、それを満足そうに見るワールド。そのやり取りをわからぬままにサータは二人を見比べる。

「私が下に落ちる瞬間、もらったカードが光りだしたと思ったら地面がトランポリンみたいに柔くなって助かったのよ。何かあったら助けてくれるって、本当に助けられるとは思わなかったわ」

「まぁ効果は一度きりだけどな」

「一応お礼は言っておくわ……ありがと。それと、サータのことも。この子を救い出してくれて、本当にありがとう」

 屈託のない笑顔をワールドに向ける。

 どんなキザな言葉を返してやろうかと構えていたワールドだが、その笑顔の前にはどんな言葉も浮かんでこなかった。

「……しばらくはこの町ともお別れだな」

 町を振り返り、少しだけ名残惜しそうにワールドが呟く。

「あの……ひょっとして、後悔してますか」

 サータが不安な表情を浮かべながら言う。

 彼は向き直り「まさか」と首をすくめる。

「こんな逃避行も悪くないね。この世界は広いのさ、きっと上手な生き方を見つけられるさ」

「そうだと良いんだけど」

「さあ、また追手がやってくる前に早く逃げよう」

 通行用の舗装された道を指差し、ワールドは二人に移動するよう促す。

「――そうだ」

 サータはポンと小さく手をたたき、忘れていたと言わんばかりの仕草をする。

「あの、お兄さんは何者ですか?」

 今更という顔をするグラに苦笑いしつつ、彼は満面の笑みで応える。

「表の顔は世界を股にかける芸術家、裏の顔は百戦錬磨のハンター。それがこの、ワールド様さ!」


 ――そして彼らが世界を救う物語を紡ぐのは、また別のお話。

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想いを刃に、刃を翼に いずも @tizumo

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