1487.質疑篇:ページは淡いほうが有利ですか

 過去のご質問などを精査しながらお答えしているため、応募期間が多少前後しますのでご了承くださいませ。


 「水曜で連載終了」と書きましたらひとつご質問を受けました。

 そのため早くて土曜日の連載終了に延びました。まだまだご質問を承りますので、気兼ねなくご質問・お問い合わせをいただければ幸いです。


 今回は「ページの淡さ」についてです。

 「小説賞・新人賞」でも基本的に「ページが淡く」なるようにしてください。

 そのときの注意点を書きます。





ページは淡いほうが有利ですか


 ここでいう「ページが淡い」にはふたつ意味があります。

 ひとつが「余白」の多さです。余白が多いと読んでいてストレスを感じにくくなります。

 もうひとつが「漢字かな」の比率です。一般的に漢字1:ひらがな4の割合にすると読みやすくなるとされています。

 ではどこまで「ページを淡く」すれば読みやすくなるのでしょうか。




余白は空白行で作るのがネット流

 たとえば四百字詰め原稿用紙に「余白」を作らないとどうなるか。四百字がびっちり詰まっています。どこが話の切れ目か判断できません。読みながら「どこまでがなにを言いたいところなのかわからない」状態に陥ります。

 昔は紙の原稿用紙でしたから、行頭で文が終わって改行すればそのぶん「余白」が作れたのです。

 現在はPCで執筆して小説投稿サイトへコピー&ペーストで貼り付けていますから、文字がどこで止まって「余白」となるのかコントロールできません。同じ小説投稿サイトでもPCで見るかスマートフォンで見るかで一行の文字数も変わるため、「行頭止め」はできなくなったと考えてください。


 では小説投稿サイトではどうやって「余白」を作ればよいのか。

 その答えが「空白行」です。

 意味のまとまりがある部分は同じ段落に入れ、違うまとまりに移るところで改行してから「空白行」を入れて次の段落を書きます。

 この方法のよいところは、たとえ一行の文字数が変化しても必ず「空白行」がひとつ入る点です。そのぶん「ページを淡くする」効果があります。

 またまとまりがひとつの段落に入るので、文章を読み手が理解しやすくなるのです。


 ただし「紙の書籍」化を目指している場合にやや注意が要ります。

 「紙の書籍」は一枚のページにも金銭が発生するのです。つまり「空白行」で「ページを淡く」すればするほど、ひとつの長編小説の単価が上がってしまいます。

 そこで「紙の書籍」化となったら「空白行」を詰める必要が生じるのです。

 それを嫌って、最初から「空白行」をあまり用いないで「小説賞・新人賞」へ応募する方もいらっしゃいます。

 ですが応募作は「小説賞・新人賞」が開催されている小説投稿サイトに掲載されます。読み専の方が応募作を覗いてくれたら、空白行がなくページが濃いので回れ右する可能性が高いのです。

 たとえ「紙の書籍」化が約束されている「小説賞・新人賞」へ応募するにしても、まずはWebサイトで読みやすいよう「空白行」を使いこなせるようになってください。

 まぁ実践していない本コラムが言うのもなんですが。


 読み手が「今日はこのまとまりまで」と目安を決めやすいので、閲覧数・PVやブックマークが入りやすくなります。そういう作品ほど評価も高まるのです。

 とくに読み手が一次選考を兼ねる『カクヨム』開催の「小説賞・新人賞」では、まずネットで読みやすくなければ低評価に終わってしまいます。


 どうせどんなに傑作であっても、受賞すれば「紙の書籍」のフォーマットに改めさせられるのです。

 小説投稿サイトで企画された「小説賞・新人賞」へは、ネット流の「空白行で淡くさせる」手段を採用した「小説投稿サイトで読みやすい」文章で勝負したほうがよいでしょう。




漢字比率で調整する

 小説を高学歴者が読むものだった時代は「漢字かな」比率が1:4でもよかったのです。しかし現代では「常用漢字」がひとつの尺度となります。

 中学校までの義務教育で習えば漢字で書くルールです。

 気をつけたいのは「漢字自体は義務教育で習うが、習わない読みを用いる場合はひらがなにする」点です。


 「阿る」は「おもねる」、「論う」は「あげつらう」、「予て」は「かねて」、「概ね」は「おおむね」、「一寸」は「ちょっと」、「何故」は「なぜ」、「敢えて」は「あえて」、「故に」は「ゆえに」、「却って」は「かえって」、「直に」は「じかに」、「因みに」は「ちなみに」、「可愛い」は「かわいい」という具合になります。


 また現在では補助動詞もひらがなで書く傾向にあります。「走って行く」は「走っていく」、「走って見る」は「走ってみる」です。それぞれ「行く」「見る」の字義とは若干意味合いが異なっています。だから補助動詞のうち本来の字義と意味合いが異なる場合はひらがなで書くのです。



 唐突ですが皆様は『六法全書』を読んだ経験がありますか。とても読みづらい文章の代表格ではないでしょうか。

 なぜすべての日本国民が知っておくべき法律の書籍が、こんなにも一般人には理解できない文章で書かれているのか。日本人はあえて「罪と罰」を意識させずに育てられたのかと邪推したくもなります。


 もし小学生の頃から『六法全書』を細切れにでも学んでいたら、犯罪数は減るかもしれません。道路交通法なんて「道路の渡り方」すら書いてあります。「自転車」が軽車両に分類され自動車のような法的立ち位置にいると知らない方も多い。幼稚園・保育園で習っていないと児童が交通事故に巻き込まれやすくなるのではないかとすら思います。


 そんな『六法全書』の「ベージが濃い」理由は、大幅改定されてこなかったからです。民法は明治時代からほとんど変わっていません。だから明治時代の言葉遣いがそのまま残っているのです。

 現在有志により現代語化の動きもあります。しかし「法解釈」が判例となる法律は、へたに現代語化してしまうと「法解釈」の入り込む余地がなくなって判例そのものが違法となりかねません。

 だから今でも明治時代の法律が多少の改正を経ながらも用い続けられているのです。

 『六法全書』は司法試験に受かるためのバイブルのようなもの。先人がそうだったように、司法試験を突破して弁護士や裁判官、検察官になりたかったら嫌でも読破して内容を完璧に理解し憶えなければなりません。

 しかし小説は『六法全書』と異なり、いつでも読まない選択肢が存在します。

 読みづらいのにエンディングまで読み続ける奇特な方はそうはいないのです。

 『六法全書』を読む義務感は、小説の読み手にはありません。


 かといって「えほん」のようにすべてひらがなで書かれていたら、それはそれで読みづらい。

 漢字には表意性があるため、漢字を見ただけでだいたいの意味が伝わってくるのです。


 今の読み手層が「ページがほどよく淡い」と思えるような印象を受けるかどうか。

 あなたが「読みやすい」と思える「ページの淡さ」はどのくらいでしょうか。

 それが「漢字かな」の比率を調整するポイントとなります。





最後に

 今回は「ページは淡いほうが有利ですか」についてお答えしました。

 ページは淡いほうがよいのですが、「えほん」ほど淡すぎるとかえって読みづらくなります。

 想定読み手層が読む教科書や書籍から「淡さ」を計算するのが最もよい。

 でも書き手のあなたが「読みやすい」と思えないページでは、少なくともあなたと同じ読み手層には絶対にウケない。とだけ憶えておいてください。



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