1486.質疑篇:句読点と文節の並べ方について(No.575リライト)
過去のご質問などを精査しながらお答えしているため、応募期間が多少前後しますのでご了承くださいませ
「水曜で連載終了」と書きましたらふたつご質問を受けました。
そのため早くて金曜日の連載終了に変わりました。まだまだご質問を承りますので、気兼ねなくご質問・お問い合わせをいただければ幸いです。
今回は「句読点」についてのご質問です。
どう打てばよいのかわかりづらいので解説を、でした。
これはNo.575で詳しく書いてあるのですが、多少わかりやすくなるようリライトしてみました。
句読点と文節の並べ方について(No.575リライト)
句読点のご質問がありました。
No.575「句読点と文節の並べ方」で書いていますが、ここでもう一度おさらい致します。
句読点とは句点「。」と読点「、」の総称です。
句読点には文章にリズムを与える作用と、読みやすさを助ける作用があります。
句点で一文が確定する
句点は打たれる前までを一文と確定します。
多くの『文章読本』では、一文を短くするよう指示されているのです。
これは「句点までをできるだけ短くしろ」の意味で間違いありません。
ではなぜ句点から次の句点までを短くしなければならないのか。
日本語には「一文一義」のルールがあります。ひとつの文にひとつの事柄だけを書くのが決まりごとです。一文が長いと読みづらくまたわかりづらくなります。短くすると頭に入ってきやすい。
だから「一文一義」を貫くために「文はできるだけ短くしろ」と言われるのです。
しかし絶対に長い一文を書いてはいけないわけではありません。
必然性や意図や狙いがあれば、あえて長い一文もありえます。
長い文を読みやすく書くには、それなりに技術が必要です。技術がないのなら短く区切りましょう。
短くすればすっきりと読みやすく、意味がつかみやすくなります。また文章にリズムも生まれるのです。
だから一文は短めに区切りましょう。
ただし短すぎて細切れにならないよう注意してください。
目安としては六十字以内、長くても百文字以内で句点を打ち、文を終わらせるのです。
読み手もこのくらいなら「長すぎる」とは感じません。
読点でリズムと意味をはっきりさせる
読点は、なんらかの意図を持って一文の中にまとまりを作るため打ちます。
多すぎても少なすぎてもリズムが悪くなって読みづらくなるのです。
ほどよく打てば文章にリズムが生まれ、格段に読みやすくなります。
読点を打つ場所に厳密なルールはありません。
極力打ったほうがよいとき五つと、打っても打たなくてもよいとき三つがあります。
極力打ったほうがよいとき
一.主語が長いとき
「遠くからやってくるカラスの鳴き声を聞いたカズマは、〜。」のように修飾語が多くて長い主語になったとき、主語の後に読点を打つと読みやすくまたわかりやすくなります。
二.主語と述語の距離が遠いとき
「彼は、腰に佩いた長剣を抜きざま愛馬とともに敵陣へ突撃していった。」のように主語「彼は」と述語「突撃していった」が遠いときも、主語の後に読点を打つと読みやすくなります。これは一の応用パターンです。
ただしこの例だと「彼は(腰に佩いた長剣を)抜きざま」も成立するので、主語が二回出るのを防ぐ意味合いもありますね。ふたつの動作に主語がまたがるときも主語を先に書いて読点で目立たせるのです。
三.一文内に主語と述語の組み合わせが複数あるとき
「花が咲き、鳥は歌う。」のように主語と述語が複数含まれる「重文」は、その間に読点を打つと読みやすくなります。
「重文」なのに読点を打たないと奇妙な文が出来あがってしまうので注意してください。「花が咲き鳥は歌う。」だと「咲き鳥」が成立しておかしな文になります。
四.いくつかの単語を並列させるとき
「家族旅行では、フランス、イタリア、ギリシャを巡った。」のように複数の単語を並列させるときも読点で区切るようにしましょう。
中点「・」で表す場合もありますが、洋語の空白と混同しがちなので、できれば読点で処理してください。
五.感動詞のあと
「ああ、なんて素晴らしい発明なのだろうか。」「いいえ、違います。」などのように感動詞のあとにも読点を打つとリズムがよくなります。
打っても打たなくてもよいとき
六.比較的短い主語のあと
「メロスは激怒した。」と書いても「メロスは、激怒した。」と書いてもよいのです。
書き手の好みや前後の流れ、文の長さなどから判断しましょう。
七.接続詞のあと
「しかし彼は黙ってしまった。」と書いても「しかし、彼は黙ってしまった。」と書いてもよいのです。
接続詞には他にも「そして」「また」「および」「すると」「しかも」「ただし」「だけど」「でも」などがあります。これらのあとに読点を打つかどうかは、都度判断しましょう。
八.接続助詞のあと
「ストレッチをじゅうぶんに行なったので、ウエイト・トレーニングを始める」「山に登ったが、すぐ下山しなければならない」というときは、接続助詞の後ろに読点を打つかどうかは都度判断しましょう。
一般的に逆接の接続助詞のあとには読点を打ちます。
読点を打つ場所について多くの『文章読本』ではよく「音読して確認しよう」と書かれています。
しかし小説を音読する人は学校教育以外では俳優や声優など限られるため、現在では「意味がとらえやすくなる」ように読点を打ちましょう。
今はPCやスマートフォンで、読点を打つ場所を簡単に試せます。
とりあえず読点を打ち、意味がわかりづらいかなと思ったら、読点の場所を変えて読み返してみましょう。
最も意味がわかりやすい場所を探してみてください。
文節の並べ方
日本語の文は主語、述語、目的語、補語、修飾語などを適宜組み合わせ、それらを助詞でつないで成立しています。
文の中で、文節の順番はある程度入れ替えがきくのです。
たとえば「マグロが太平洋を泳ぐ」と書いても「太平洋をマグロが泳ぐ」と書いても「マグロが泳ぐ、太平洋を」と書いても日本語の文法として間違っていません。
このように日本語は表現の幅が広いのです。英語ではこうはいかないでしょう。
しかし自由度が高すぎるために発生する問題もあります。
文法は間違っていないのに意味がわかりづらくなったり、リズムが悪くなったりしてしまうのです。
順番を変える
一.「私は柔道場へ黒帯を取るために通っている。」
二.「私は黒帯を取るために柔道場へ通っている。」
どちらも使っている文節は一緒で、並べ方を変えただけです。
両者を読み比べると、二のほうがリズムがよくてわかりやすいですね。
「私は」が主語、「通っている」が述語、「柔道場へ」が目的語、「黒帯を取るために」が補足になります。
「黒帯を取るために」は「黒帯を取る」というひとつの文を、この文の修飾語としてはめ込んだ「複文」を構成しているのです。また「黒帯を取る」の主語は「私は」ですから主語に近づけたほうがわかりやすくなります。
述語の「通っている」がとる目的語は「柔道場へ」ですから、言葉の流れとしてこのふたつを直結したほうが自然になります。
だから二のほうがリズムがよいですし、意味もわかりやすいのです。
述語と目的語、修飾語と被修飾語は、できるだけ間になにも入れず直結で書きましょう。
もちろんすべてを直結させるのは難しい。それでも、そのような意識を持って文を組み立てるのです。
こうした微妙なリズムの良し悪しを感じながら、文節の並べ方、つなぎ方を工夫して文章のリズムを向上させましょう。
最後に
今回は「句読点と文節の並べ方について(No.575リライト」にお答え致しました。
読点は「意味がわかりやすくなるように打つ」が大前提です。
打ったら意味がわかりにくくなるようなら、読点を消すか移動させましょう。
述語と目的語、修飾語と被修飾語はできるだけ直結させるべきです。
そのほうが格段にわかりやすくなりますよ。
以上がNo.575へ書き記したものです。
どんなに簡単なルールでも、実践されなければ意味がありません。
どこに句読点を打つべきかは、多分に慣れの問題です。
とにかく文を書き、それから「これで合っているだろうか」で確認してください。
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