1480.質疑篇:比喩を使えと言うけれど
過去のご質問などを精査しながらお答えしているため、応募期間が多少前後しますのでご了承くださいませ。
比喩ってなかなか思いつかないですよね。
でも小説は比喩でわかりやすくしていなければ読み手を惹き込めないのも事実。
どうすれば比喩を使いこなせるのでしょうか。
今回は直喩・隠喩・活喩に絞って見ていきましょう。
比喩を使えと言うけれど
本コラムでも何回か「比喩」を取り上げています。
ですが、使い方と使いどころがわからない。
それ、あなただけでなく、多くの方が思っています。
「比喩を使うとよいですよ」と言われても、どう使えばよいのかわからないのです。
そこで、今回は三つの比喩に焦点を絞ってお答え致します。
最も使い勝手のよい直喩
ここで比喩を使っているなと、文型を見れば誰にでもわかる「直接的」「明示的」なので「直喩」「明喩」と呼ぶのです。
では直喩の具体例をいくつか挙げてみます。
「彼はまるで鬼のような形相で怒っている。」
「彼女は太陽のように明るい。」
「会話はキャッチボールのようなものだ。」
「このエアコンはまるで外気を取り込むように清潔な空気を送風します。」
だいたいこんなところでよいでしょうか。
文語体では「まるで〜」「あたかも〜」「さながら〜」で始まり、「〜のようだ」「〜のごとし」「〜そうだ」「〜そっくりだ」「〜も同然だ」で受ける形が一般的です。
口語体では「きっと〜」「ちょうど〜」で始まり、「〜みたいだ」「〜に似ている」「〜風だ」「〜という感じだ」で受ける形が代表的です。
直喩がすぐれているのは「これは比喩ですよ」という文型をしているところにあります。
野球ファンなら「オオスズメバチはまるで阪神タイガースのような色使いだ」「朝日はまるで広島カープのように真っ赤な光を放っている。」のように書けばどんな色合いかピンときますよね。
このように読み手がわかる「たとえ」をするのが「比喩」のコツです。
比喩の機能のひとつに「わからない言葉」をなにかに「たとえ」て意味を添える、があります。
「あの子はつば九郎みたいな傍若無人ぷりだ。」
これは「傍若無人」の意味がわからなくても「つば九郎」を思い出せば、「そのような振る舞い」なので「人の目を気にしない」「なりふり構わず」「誰にも止められない」ってことか、と理解できます。
多少誤解を与えるような比喩も機能のひとつ「誇張」と捉えればよいのです。
「彼のくしゃみはまるでクジラが潮を吹く如しだな。」はたかがくしゃみをクジラの潮吹きにたとえる「誇張」ですよね。
このようにニュアンスを伝えるための「比喩」、近しいもので「たとえ」る、大げさに「誇張」する。この三つが「比喩」の持つ大きな機能です。
ちょっとコツがいる隠喩
誰にでも扱える「直喩」と異なり、使い方にコツがいる「
「直喩」に対する「隠喩」、「明喩」に対する「暗喩」です。
ではどのようなコツがいるのでしょうか。
まず基本的な文型を見ていきます。といっても文型があるわけではないのです。
文型のない「比喩」が「隠喩」になります。
つまり「まるで〜のような」「きっと〜に似ている」のような型がいっさいないのです。
それらの型を取り除いた「比喩」が「隠喩」になります。
それではいくつか例を挙げましょう。
「彼は鬼の形相だ。」さらに縮めて「彼は鬼だ。」
「彼女はガラスのハートを持っている。」さらに縮めて「彼女はガラスのハートだ。」
「出世頭の彼は我らの希望の星だ。」
「歩き疲れて足が棒だ。」
「恋はジェットコースターだ。」
「すぐ癇癪を起こすなんて子供だ。」
「娘は天使の微笑みを見せた。」
だいたいこんなところでよいでしょうか。
直喩の文型「まるで〜のような」に当てはめるとこれらがすべて「比喩」だとわかります。
気をつけたいのが、「隠喩」は文型を用いないので「比喩」と気づかれない可能性があるのです。
「彼は鬼だ。」「彼女は悪魔だ。」と書いたら現実世界であれば「鬼のような人ってことか」「悪魔のような人ってことか」と誰もが思います。
しかし異世界ファンタジーだったら「彼は鬼族のひとりだ。」「彼女は魔族のひとりだ。」となってしまいかねません。鬼や悪魔の存在する世界で「彼は鬼だ。」「彼女は悪魔だ。」では言葉足らずになります。こういうときは「直喩」にして誤解を避けるべきです。
また「彼は蜂に刺された顔をしている。」だともし「まぶたが泣き腫らしたあとのようだ。」と言いたいのに、本当に「蜂に刺された」と勘違いされやすい。これも「直喩」に直せば回避できます。この例の怖いところは、現実世界でも起こりうる点にあります。
異世界ではそうでも現実世界でこんなことは起こらない出来事ではないのです。
現実でも起こりうる出来事や状況・状態を「隠喩」してしまうと、まず「比喩」だと気づかれません。
そのため「隠喩」はコツがいるのです。
最初の「推敲」は「直喩」でたとえてみて、二回目の「推敲」は「隠喩」に転換する。三回目の「推敲」で「隠喩」として機能しているか、直接的な書き方になっていないかをチェックします。ここで「たとえ」と気づかないようなら「直喩」に戻してください。
なにも「隠喩」が使えなければ「小説賞・新人賞」での評価が下がるわけではないのです。
今の実力で「隠喩」を使いこなせるか。もし実力がないのなら、今は「直喩」に頼ればよい。筆力がついてきたら「隠喩」を積極的に挑戦してみる。
そんな心構えで取り組みましょう。
案外使用例の多い活喩
文豪の比喩で多用されているのが「
一見難しそうなのですが、「擬人法」と言えばピンと来る方も多いでしょう。
いくつか例を挙げます。
「空が今にも泣き出しそうだ。」
「唸るような強風が吹きつけてくる。」
「ブレーキが悲鳴を上げている。」
「アスファルト、タイヤを切りつけながら暗闇走り抜ける。」
「街路灯が寂しそうに光っている。」
「火山が怒った。」
「台風が襲来した。」
人ではないモノを、あたかも人のように表現する「たとえ」が「活喩」です。
なにか見慣れたものが混じっているのはご愛嬌。
「活喩」は人のアクションをモノに置き換えるだけで成立するため、使い勝手がよいのも特徴です。
文学でも「活喩」はとても重宝されています。
より文豪へ近づきたければ「活喩」を効果的に使えるようになるのが一助でしょう。
知らないものを知っているものにたとえる
「オオスズメバチはまるで阪神タイガースのような色使いだ。」
これはオオスズメバチを一度も見ていない方に、どんな色使いをしている蜂なのかをたとえて伝えています。
「企業における決算は、学校の通信簿と同じだ。」
これは「決算」がどんなものか知らない方に、誰もが知っている「通信簿」にたとえてわかりやすくしています。
どうやって「知らないものを知っているものにたとえる」か。
書き手の頭の柔らかさが問われます。連想ゲームですね。
頭のよい人は説明も得意。他人に説明できるほど、細かい点まで理解しているからです。だから「たとえ」る「比喩」は、どれだけ知識を持っているか。それも読み手にも「わかりやすい言葉」で「たとえ」られるか。
「たとえ」の「比喩」は地頭力が問われるのです。
ちょっと長い文を前提に置く「たとえ」も存在します。
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「水は高きより低きに流れる」という言葉がある。中国古典『老子』に書かれているこの言葉は、兵法書『孫子』にも記載が見られる。
会社組織も同じだ。
命令は上司から部下へと流れていく。部下から上司へ命令などできようはずもない。だからこそ命令は遺漏なく伝わるのだ。
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この最初の「水は高きより低きに流れる」の文章はこれごと「たとえ」になっています。また『老子』や『孫子』の記載を引いてくる「
「引喩」はとくに異世界ファンタジーでは注意してください。
異世界人が『孫子』を引いてくるなどありえません。知っているはずがないからです。
転移した現代人が、異世界人の動きを見て現実世界にある書物などの言葉を引用してくるのならありでしょう。
最後に
今回は「比喩を使えと言うけれど」についてお答え致しました。
最低限「直喩」は使いましょう。「隠喩」は「直喩」を使いこなしてから手をつけても遅くはありません。「活喩」は単なる「擬人法」なので、類例が数多く存在します。
「引喩」も使いやすいとはいえ、異世界人が現実世界の「書物」をそのまま引用できるはずもないので、異世界ファンタジーでは注意が必要です。
異世界には異世界の「比喩」が存在するはずですからね。
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