1479.質疑篇:わかりやすい言葉を使う
過去のご質問などを精査しながらお答えしているため、応募期間が多少前後しますのでご了承くださいませ。
今回は前回の続きになります。
「わかりやすい文章」にするには「わかりやすい言葉」を使うべきです。
四字熟語を羅列されても、読み手はなかなか実感が湧きません。
「サスティナブル」「アウフヘーベン」などと言われて首肯する方も少ないはずです。
可能なかぎり和語を使うべきなのですが、そのほうがわかりづらい場合もあります。
わかりやすい言葉を使う
「わかりやすい文章」を書くには「わかりやすい言葉」を使います。
「わかりやすい言葉」とはどんなものでしょうか。
たとえば「質実剛健な人」と「まじめでたくましい人」のどちらがわかりやすいでしょうか。
乾坤一擲の大勝負
これ、読めた方は当然いらっしゃるでしょう。
しかしこれから小説を書きたい方は読めなくても仕方がありません。
「
『易経』によれば「
つまり「これまでにない大勝負に打って出る」わけです。
すると気づきませんか。実は「乾坤一擲の大勝負」は「重ね言葉」なのです。
「これまでにない大勝負に打って出るほどの大勝負」
つまり「重ね言葉」です。
正しくは「乾坤一擲の作戦が始まる。」「乾坤一擲の決勝戦。」「乾坤一擲の刻が迫りつつある。」のように使います。
しかし、そもそも「乾坤一擲」とはなんぞや、と思いませんか。
とても「わかりやすい言葉」ではないのです。
わかりやすい言葉に直すなら「命運を懸けた作戦が始まる。」「命運を懸けた決勝戦。」「命運を懸ける刻が迫りつつある。」と「命運を懸ける」を使いましょう。
実は、このような「わかりやすい言葉」は文豪の書いた小説ではほとんど見ません。
漢文から生まれた難しい言葉が、さも当たり前のように使われているのです。
『平家物語』の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。」は有名ですが、どんな状況なのかを正確に理解している方はほとんどいらっしゃらないでしょう。
とにかく四字熟語で書かれているため、なにを言いたいのかわからない。先ほどの「質実剛健」とよい勝負です。
しかし「この書き出しはどの作品か」とよく出題されるので、「祇園精舎の鐘の声」の出だしと『平家物語』のタイトルをセットで憶えているだけだと思います。
わかりやすい言葉で始める効果
そもそも今の書き手の方は、出だしから「祇園精舎の鐘の声」のような書き方はしないはずです。
書き出しのほとんどは、視点を有する主人公の声や考え、行動になっています。
とにかくとっつきやすく、わかりやすい言葉で書かれていると、するすると頭に文章が入ってくるのです。
そうです。わかりやすい言葉で始まると、頭にするすると入ってきます。
夏目漱石氏『吾輩は猫である』はズバリ「吾輩は猫である。名前はまだない。」ですし、芥川龍之介氏『蜘蛛の糸』は「或日の事でございます。お釈迦様は極楽の蓮池のふちを、独りでぶらぶらお歩きになっていらっしゃいました。」です。太宰治氏『走れメロス』は「メロスは激怒した。」でしたよね。
文豪も明治から大正を経て昭和に至るときに、書き出しがどんどんシンプルで「わかりやすい言葉」で書かれるようになったのです。まぁ『走れメロス』は「か邪智暴虐の王を除かねばならぬと決意した。」と続くのでわかりにくいのですが。
これにより、それまで高学歴者の嗜みであった小説が、一気に大衆文学として広まっていきました。
「わかりやすい言葉」には「するすると頭に文章が入ってくる」魔力があります。
ツービートのビートたけし氏は「赤信号みんなで渡れば怖くない」と発言しています。当時はかなり物議を醸したのですが、五七五調で内容もわかりやすいため、子どもたちはこぞって憶えたものです。
不謹慎でも、すぐに憶えてしまうほどわかりやすい。
「わかりやすい言葉」の持つ魔力の凄まじさを垣間見せてくれます。
小説の書き出しで苦労して、いっこうに文章が連ねられない書き手候補が大勢いるのです。
ここはひねってとか、もっと重みのある言葉がいいかとか。考え出すと迷いが生じてなにも決まらない。そうして書き出しに悩んでいるだけで時間を費やすのです。
はっきり言いましょう。それは時間の無駄です。
あなたが書きたいのは「書き出し」だけなのでしょうか。物語全体なのでしょうか。
書き出しだけを悩むのは、十万字すべてを俳句のように捉えてしまいかねません。
散文が持つ長所は、高尚な書き出しを必要としないところにあります。「吾輩は猫である。」「メロスは激怒した、」が計算された高尚な書き出しですか。違いますよね。
平凡な文を連ねて、読み手の頭を侵食していくのが小説なのです。
だから高尚な書き出しに苦慮するなんてはっきり言って無駄。
どれだけ「わかりやすい言葉」を連ねて読み手の頭に侵食していけるかどうか。
小説の真価は、散文の持つこの「侵食」をどれだけ意識できるかにあります。
高尚な書き出しではなく、「わかりやすい言葉」を連ねて読み手を惹き込んでいく。
この手法に卓越した書き手こそが「文豪」なのです。
専門用語をわかりやすく書く
どの分野の小説にも「専門用語」は必ず出てきます。
コンピュータのプログラマーが主人公なら「C#言語」「コンパイル」「アセンブル」「レジスタ」「排他的論理和」など耳慣れない「専門用語」が目白押しです。
読み手に「よくわからない言葉を操る、気味の悪い主人公だ」と思わせたいのならそのままでもよいでしょう。しかし主人公への没入感は薄まります。
そもそも「C#言語」「コンパイル」「アセンブル」「レジスタ」「排他的論理和」なんて言葉を使わなくても「俺はパソコンに向かってプログラミングしている。」だけでたいていなんとかなるものです。
コンピュータ感を出したいから「C#言語」「コンパイル」「アセンブル」「レジスタ」「排他的論理和」なんて単語を使っても、読み手がわからなければ単なる呪文にすぎません。有り難がる読み手はそんなにいないのです。
もちろんコンピュータに造詣が深い読み手を想定しているのなら、これらの単語を使ったほうが読み手ものめり込みやすい。でもプログラミング雑誌の連載でもあるまいし、小説投稿サイトにそれだけ知識のあるプログラマーが読みに来るかと言われれば、首をひねらざるをえません。
「ここは論理和でなく排他的論理和でコードを書かないと正しい結果が出てこないよ」なんて会話は、プログラミング経験がなければ通じないのです。
一般人にもわかるように、もっと噛み砕いてみましょう。
「ここはこう書くと正しい結果が出ないから、こう書かないと。と言って彼のキーボードで文字列を入力していく。」なら別に論理和も排他的論理和も使わずに書けますよね。
専門用語を使わずに専門的な事柄を書くのです。
これができれば、万人が「わかりやすい」と感じる文章になります。
たとえば「諸般の事情により中止と致します。」はよく見かけますが、そもそも「諸般の事情」ってなんでしょうね。
ここは「さまざまな事情により中止と致します。」と書いたら「言えない事情でもあったのか」と読み手は汲み取ってくれます。
「わかりやすい言葉」は読み手の納得を得やすいのです。
わかりやすくても雑にならないように
「わかりやすい言葉」は読み手の納得を得やすい。
ですが定量的な「わかりやすさ」が必ずしも正義とはかぎりません。
「彼は貧乏だ。」
この一文でどのくらい貧しいのか伝えられるでしょうか。
「わかりやすい言葉」である「貧乏」だけでは、どのくらいかがわからないのです。
「わかりやすい言葉」を使いながらも読み手に伝わらない文章になる原因。「どのくらい」なのかが書かれていないからです。
「彼は強い。」も「どのくらい」かわかりません。「彼は四百戦無敗の空手家だ。」なら「どのくらい」かはわかりますよね。
単に「わかりやすい言葉」ではなく、「わかるように詳しく書く」ようにしてください。
「貧乏」も「カップ麺のお湯を沸かすのも苦労するほど金がない。」であれば「かなり悲惨な状況だなぁ」と伝えられます。
「四百戦無敗の」「カップ麺のお湯を沸かすのも苦労するほど」は例示を使って「わかりやすく」しているのです。
比喩と並んで単語をわかりやすくするのが「例示」です。たとえばこんな状態なんです。と例を挙げるととたんにわかりやすくなります。
だから単に「彼は貧乏だ。」とか「彼は強い。」とか書かずに、例示していく工夫をしてください。
それがわかりにくい言葉を読み手に理解させる近道になりますよ。
最後に
今回は「わかりやすい言葉を使う」にお答え致しました。
「わかりやすい言葉」は読み手の頭へ侵食していく手段です。
散文は「侵食」していって読み手を惹き込むのが王道と言ってよいでしょう。
今どき「祇園精舎の鐘の声」では誰もがその一文を読んだだけで回れ右してしまいます。
どれだけ「わかりやすい言葉」を畳みかけていけるか。じわじわと「侵食」していって読み手が抜け出せないようにしてしまえば、途中で離脱しづらくなります。
結果として閲覧数・PVは高まりますし、よい評価もつきやすくなるのです。
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