1470.端緒篇:褒められて伸びる書き手が多い

 今回は「褒められて伸びる」です。

 手抜きのない厳しい添削に定評のある私ですが、いちおう仕事では人材育成も手がけていたんですよ。

 今の姿からは信じられないでしょうけど。





褒められて伸びる書き手が多い


 私のように、依頼されたら厳しく添削していくと、書き手の皆様から嫌われていきます。

 多くの人は「褒められると伸びる」ものです。

 厳しくビシバシと指摘してくる人は「敵」だと思います。「そこに愛はあるのかい?」と感ぜざるをえない。

 私はもちろん依頼主の技量をできるかぎり伸ばす方針です。コースからはみ出している部分をコツコツと指摘して解決方法を述べていきます。




万人は褒められて伸びる

 講評・添削を行なっていると、我ながら「こんなに指摘が多いと嫌われるかな」と思っています。内心ビビりまくりながらも情け容赦なくバッサバッサと斬り倒していくのが、「恐怖の添削マン」こと私の役割です。

 こんな私ですが「万人は褒められて伸びる」と理解しています。

 ではなぜ褒めるのではなくビシバシとツッコミを入れるのか、と問われそうですね。

 私がいかに容赦なくても、褒めるべきところはきちんと褒めます。

 その人の「個性」にかかわる部分はできるだけ指摘しないようにして、もし可能であればヨイショと持ち上げてもいるのです。

 本来なら「飴と鞭」の言葉どおり、「先に褒めてから、誤りを矯正する」ほうが相手のためになります。「先に褒めてくれた」から気分が上々になって、続く「誤りの矯正」を受け入れやすくなる人材育成の必須テクニックがあるのです。

 知っていて、なぜあえて「鞭」を先に振るうのか。

 依頼主から嫌われる必要があるからです。

 添削を依頼してくるのは、たいていがどこかの「小説賞・新人賞」へ応募して落選した方々です。一次選考は通過した、最終選考まで残った。つまり元々ある程度の技量はあります。それでも誰かに添削されたいのは、もちろん次の作品で大賞を獲るためです。

 私は徹底して細かな間違いを添削します。そのくらい厳しい目で自ら推敲できるように意識を改めていただきたいからです。




厳しく指摘して創意工夫を促す

 「視点のブレ」はとくに意識して添削しています。読んでみると、さっきまで主人公に視点があったのに、気づいたら「対になる存在」の視点にすり替わっていた。これ実際によくあるのです。文章を書いている当初は、とにかく文章にして書き出すだけが主眼なので、「視点がブレ」まで気がまわらない。しかもその作品の書き手である以上、物語のすべてを知っているため「視点のブレ」が見抜けないのです。ここはそう「書けているはず」と認識して、目が滑ってしまいます。だからこそ細かな用字用語・誤字脱字だけでなく、「視点のブレ」を指摘しているのです。

 ですが、実は用字用語・誤字脱字、「視点のブレ」が「小説賞・新人賞」の選考に与える影響は軽微と言われています。そんなものは「紙の書籍」化までに直させて矯正すれば済む話だからです。

 そこで私は普通に添削している方と異なり、「物語の構成」が正しいのか否かまで指摘しています。

 実は「物語の構成」「矛盾」「文章の勢い」こそが「小説賞・新人賞」の選考を勝ち抜けるかどうかの分かれ目なのです。

 そして「物語の構成」の添削はシーンの順序を入れ替えたり削除したり追加したりといったおおごとになるので、たいていはすべて読み終えてから指摘しています。

 ですが疑問に思ってしまうとその場で指摘したくもなるのです。

 ここでもバッサリと斬り捨てます。ここは本当に物語に必要なシーンなのか。あえてシーンを加えて前後のつながりをスムーズにしたほうがよいのか。

 もちろんその先を読めばそのシーンが不可欠なのか不要なのかは判断できます。

 ですが、早いうちから指摘して、依頼主が「物語の構成」について考える機会を提供してもいるのです。




矛盾と文章の勢い

 大賞を獲るのに誤字脱字はほとんど関係ありません。「物語の構成」と「矛盾」と「文章の勢い」がすべてです。

 どんなに誤字脱字が酷くても大賞を獲る作品は現実にあります。

 なぜかといえば「物語に矛盾がない」「文章に勢いがあってすらすら読める」からです。

 「矛盾」はたいてい「物語の構成」に属する大掛かりなものですが、前後のシーンでのつながりがない場合も多い。

 だから「矛盾」の指摘はある程度読んでから行ないます。伏線が張っていない、逆に伏線を回収していない。これも「矛盾」に含まれます。


 「文章の勢い」は多分に先天的なものです。

 一人称視点は主人公が見たもの聞いたもののほかに、主人公が思ったもの考えたもの感じたものを地の文で直接書けます。

 この「主人公の心の声」がいかにテンポがよく、リズミカルで、動き出したら水のようで誰にも止められないだけの「勢い」があるのかどうか。

 これは「勢い」のある小説をたくさん読んで、コツを身につける以外に後天的に鍛えられる筋のものではないのです。

 だから「文章の勢い」は多分に先天的なものなのです。




先回り推敲に期待を込めて

 私は添削する際、ひとつ指摘したら書き手が私が添削するのを先回りして推敲してくれると期待しています。

 なぜ私の添削が手厳しいのか。それは「同じ間違いを指摘されたくない」と思わせる効果もあるのです。

 たとえば三点リーダー(……)とダッシュ(——)は「二個セット」で、秒数が異なっていても「二個セット」で使うように指摘しています。

 三点リーダーとダッシュが一個だったり五個だったり十個だったりするのは、昔のアドベンチャーゲームやロールプレイングゲームをやりすぎです。本来は二個セット以外ありえません。

 人によっては一個で三秒、五個で十五秒、十個で三十秒と、間をとるために使い分けていると主張する方もいるでしょう。

 ですがその主張は「筆力がない」と自ら主張しているのと同義です。

 何秒の間であろうと「二個セット」。これは憶えておいてください。

 まぁ三点リーダーとダッシュの個数で「小説賞・新人賞」は逃さないと思いますが。受賞してから担当編集さんに手を入れられれば済む話です。


 意外と多い添削は「登場人物の名前を間違える」です。

 漢字が間違えているのはよく見ます。「夏」と「加」の間違いをよくやってしまうのです。

 たいていは登場人物の名前を、本文を書きながらあれこれと試行錯誤した結果、全文で統一しきれなかったから。つまり脳が疲れてしまって目が滑っています。

 こういったものも、一を聞いて十を知る。ひとつ指摘されたら全文を読み返して人名間違いをしていないかチェックが必要です。

 キャラクターは物語の中心にいます。そんな重要な情報が間違っている。選考さんがそれを見て、この書き手はキャラクターに愛着がないのか、と受け取るはずです。

 これは明確な減点対象になります。





最後に

 今回は「褒められて伸びる書き手が多い」について述べました。

 私は添削を受け付けていますが、野村克也氏のような優勝請負人ではありません。

 よりよい文章、構成とするため、指摘して書き手に考えてもらうのです。

 そういえば野村克也氏は「ID野球」を掲げ、選手自らが活用して強くなる、という指導法でした。データはいくらでも与えるから、選手はそれを自分流で読みこなせ。

 これ、小説でも言えますね。

 本コラムは「ID執筆」のデータです。あとは読んだ方が自分流で実践すればよいのです。自分に合わないところはスルーして結構。あくまでも自主性を重視します。



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