1465.端緒篇:異世界ファンタジーが人気だけど

 小説投稿サイトはどこでも「異世界ファンタジー」が大人気ですよね。

 どうしてこんなに「異世界ファンタジー」が強く、そればかりが投稿されるのでしょうか。





異世界ファンタジーが人気だけど


 皆様は「異世界ファンタジー」を読んだ、またはジャンルをチラッと見た経験はありますよね。

 「ファンタジー」は「空想」「幻想」の意ですから現実世界が舞台でも成立するのです。現に鎌池和馬氏『とある魔術の禁書目録』は「現実世界ファンタジー」ですよね。

 ではなぜ「異世界ファンタジー」がこんなに人気なのでしょうか。




現実世界ではファンタジー感が薄い

 「現実世界ファンタジー」は、あなたが今生きている世界に起こるファンタジーです。

 だから基本的に地球上のどこかの国、どこかの都市や町村を舞台としています。

 そのはずなのですが、実在しない市町村が舞台になっている作品が多いのです。

 マンガの青山剛昌氏『名探偵コナン』では「東京都米花市」という実在しない市を舞台にしています。場所は品川区と神奈川県川崎市の間くらいだと記憶しているのですが、どうだったかな?

 SFの賀東招二氏『フルメタル・パニック!』は「東京都立陣代高校」が舞台ですが、こちらも実在しません。ただし「東京都立神代高等学校」をモデルとしています。

 ラブコメですが渡航氏『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』は「千葉市立総武高校」が舞台です。やはり実在しませんが「千葉市立稲毛高等学校」がモデルとされています。

 東京都とか千葉県とかは実在するのに、細かなところは実在しない。

 これは実在する学校や地名を利用すると、名誉褒貶ほうへんでいろいろと軋轢あつれきを生みかねないからです。

 『フルメタル・パニック!』では東京都調布市にある京王線仙川駅周辺で銃撃戦が巻き起こります。すると「こんな学生の多い商店街で銃撃戦なんて起こらない! 評判を下げるだけだから訴えてやる!!」といきり立つ方が必ず現れます。だから固有名詞が変わるのです。

 そうは言っても現実世界ですから実在性が強まります。

 多くの小説で固有名詞は異なるものの現実世界を舞台にするのは、まさに実在性を強めたいからです。

 まぁ『とある魔術の禁書目録』は「学園都市」というまったくの「空想」都市をでっち上げています。これは実在性が薄れても、物理法則や勉強内容、ファッションなど現実世界を舞台にしたいからでしょう。

 「現実世界ファンタジー」でファンタジー色を強めたいなら『とある魔術の禁書目録』がひとつの指標となります。最終的には至高の存在とさえ戦うほど「ファンタジー」に振り切っているのです。そのために主人公・上条当麻は「幻想殺しイマジンブレイカー」という強度の「フィクション」を持っています。でもそんな彼がまったくの無能力者のように扱われる「学園都市」で暮らす面々。とくにレベル5第三位「超電磁砲レールガン」御坂美琴やレベル5第一位の「一方通行アクセラレータ」など、「ファンタジー」を高いレベルで実装しています。

 それでも「現実世界」にして物語を身近なものとしているのです。

 「ファンタジー」感が薄い「現実世界」は、極大の「ファンタジー」を許容できるほど懐が深いのかもしれません。




異世界でファンタジーをやる理由は

 それなのに、なぜ小説投稿サイトの書き手たちは「異世界ファンタジー」を最も書くのでしょうか。『とある魔術の禁書目録』のように「現実世界」にだってとてつもない「ファンタジー」は創れるのです。

 「異世界」の強みは「非実在性」にあります。つまり「現実世界では存在しない世界が舞台」になります。

 可能なかぎり「現実味」「実在性」を排した、まったくの作り物の世界。

 そこでは人間が少数派かもしれません。

 ほとんどの「異世界」ではエルフやドワーフなどの妖精・亜人が存在し、ドラゴンやヴァンパイアや悪魔も棲息しています。

 こういった「現実には存在しないもの」が当たり前のように存在する世界。「非実在性」によって可能性が無限に存在する世界。

 それが多くの書き手で共有されている、いわゆる「異世界」です。

 こう考えてみましょう。

 「エルフが存在する現実世界ファンタジー」はありえるか。

 「ドラゴンが存在する現実世界ファンタジー」はありえるか。

 多くの書き手は「エルフがいる現実世界ファンタジー」は許容するでしょうが、「ドラゴン」はさすがにないだろう。そう考えますよね。

 なにせ「エルフ」は妖精・亜人であって人間に近い。だから仮に現実世界にエルフが存在していても「実在性」をいくらか感じます。

 しかし体長10mを超える「ドラゴン」の成竜は、どう考えても現実世界に存在しえない。「非実在性」が強いのです。

 ですが現実世界には悪魔やヴァンパイアなら存在しうるのです。人間に近いですし、元は人間だったかもしれませんからね。

 となれば「ドラゴン」が出てこない「ファンタジー」をあえて「異世界」でやる意味はあるのでしょうか。

 ちょっと考えれば、現実世界でもそのまま通用してしまいます。

 たとえば西谷史氏『デジタル・デビル・ストーリー 女神転生』ではパソコンで悪魔を召喚し、それによって現実世界が崩壊していく物語を描きました。

 あなたの「異世界ファンタジー」は、本当に異世界でやる意味があるのでしょうか。




剣と魔法のファンタジーだから

 小説投稿サイトに掲載されている「異世界ファンタジー」は、そのほとんどが「中世ヨーロッパのような世界観の、剣と魔法のファンタジー」です。

 この世界の祖J.R.R.トールキン氏『指輪物語』の「中つ国」がまさにそういう世界観でした。ホビットの主人公フロド・バギンズは仲間たちと「一つの指輪」を破壊する旅に出ます。ホビットの忠実な庭師サム、友人で親戚のメリーとピピン、偉大な魔法使いでパーティーのリーダーであるガンダルフ、人間の王の血を引くアラゴルン、人間の英雄ボロミア、エルフのレゴラス、ドワーフのギムリ。この九人が、冥王サウロンの本拠地にある「滅びの山」の火口で「一つの指輪」を破壊するために行動するのです。

 これらの種族が活躍する舞台として「中世ヨーロッパのような」世界観が選ばれました。トールキン氏はおそらく「北欧神話」の世界観を目指したはずです。トロールも出てきますからね。そしてたまたまそれが「中世ヨーロッパのような」世界観と相性がよかった。「北欧神話」では「剣と魔法」が戦いの術であり、それは剣や槍を携えて集団戦を行なっていた戦いとマッチしたのです。実際『指輪物語』には人間やエルフ、ドワーフの軍隊が冥王サウロンの軍勢と集団戦を行なって注意を引きつける役まわりを演じています。「魔法」がなければ、剣や槍などによる集団戦でしたから、「中世ヨーロッパ」が最も近かっただけでしょう。

 しかし『指輪物語』をTRPGテーブルトーク・ロールプレイングゲームにしたゲイリー・ガイギャックス氏『Dungeons&Dragons』によって、「剣と魔法のファンタジー」というカテゴリーが確定したのです。それだけ『指輪物語』の世界観は魅力的だったのでしょう。

 『D&D』の世界的成功により、スティーブ・ジャクソン氏『火吹山の魔法使い』に代表される「ファイティング・ファンタジー」シリーズがゲームブックとして発売されたり、TRPGのケン・セント・アンドレ氏『Tunnels&Trolls』が開発されたりするなど「剣と魔法のファンタジー」が爆発的なヒットを記録して一大ムーブメントとなったのです。これにより「異世界ファンタジー」は「中世ヨーロッパのような、剣と魔法のファンタジー」と定義されていきました。

 これにはJ.K.ローリング氏『ハリー・ポッター』シリーズも少なからず影響を受けています。ただ「剣と魔法のファンタジー」のままではオリジナリティーがないので、基本的に「魔法が万能」な世界観にリファインしているのです。これにより『指輪物語』の呪縛から脱し、商業面で児童文学として記録的な大ヒットとなりました。

 この『ハリー・ポッター』シリーズもジャンルで分けるなら「異世界ファンタジー」です。あえて「剣」を捨てて「魔法」に特化した。これが斬新さを生みました。

 日本でも「魔法」に特化したアニメ映画・宮崎駿氏『魔女の宅急便』がありますし、異世界の冒険ファンタジーとして『天空の城ラピュタ』もあったのです。

 宮崎駿氏は基本的に「異世界ファンタジー」ものを書いています。しかし純粋に「剣と魔法のファンタジー」には挑んでいません。息子の宮崎吾朗氏が脚本・監督を務めた『ゲド戦記』の原作はアーシュラ・K・ル=グウィン氏『アースシー』です。しかしル=グウィン氏の物語とはまったく似ても似つかない作品となり大バッシングを受けました。


 そもそも「剣と魔法のファンタジー」として表現してよい物語なのかどうか。

 『天空の城ラピュタ』『魔女の宅急便』は「異世界ファンタジー」ですが「剣と魔法のファンタジー」ではありません。それでも多くのファンを有する一大傑作とされています。『となりのトトロ』は「現実世界ファンタジー」であり、こちらも多くの支持を集めているのです。

 「ファンタジー」だからと「中世ヨーロッパのような異世界の、剣と魔法のファンタジー」である必然性などどこにもありません。

 むしろすぐれた作品、商業的に成功した作品で「中世ヨーロッパのような、剣と魔法のファンタジー」なんて数少ないのです。欧米に日本のような「剣と魔法のファンタジー」はほとんどありません。

 簡単に言えば「欧米人が作った戦国時代の日本のような世界観のファンタジー」が日本人にウケるかどうか。答えは自明です。

 だから海外では日本製の「中世ヨーロッパのような異世界の、剣と魔法のファンタジー」が受け入れられません。日本人はなにかを履き違えているのではないでしょうか。

 「中世ヨーロッパのような異世界の、剣と魔法のファンタジー」は、いったい誰に向けて書かれているのか。そもそも謎です。

 もし日本人に向けてだとしたら、あまりにも狭い了見だと言わざるをえません。

 日本のサブカルチャーは現在世界中から渇望されています。

 いくら日本語のライトノベルであっても、海外で翻訳されたり日本語のままだったりして、世界中で読まれているのです。

 だからこそ、これからブレイクする「異世界ファンタジー」は、けっして「中世ヨーロッパのような異世界の、剣と魔法のファンタジー」ではありません。

 もちろん日本国内で商売が成り立たなければ、そもそも世界進出もできないのです。

 現在「紙の書籍」化が多い「中世ヨーロッパのような異世界の、剣と魔法のファンタジー」で出版を目指すのが悪いとは言いません。

 ですがその世界観はあなたひとりのものではないのです。後発で活きのよい書き手が「紙の書籍」化を目指して、あなたより目新しい作品を絶えず供給してきます。仮にあなたが「中世ヨーロッパのような異世界の、剣と魔法のファンタジー」だけしか生み出せないのであれば、話題性のなくなった書き手がたどる末路。つまり「出版契約の打ち切り」が待っているだけです。

 あなたは今主流の「中世ヨーロッパのような異世界の、剣と魔法のファンタジー」しか書けない方でしょうか。「剣」を用いない「魔法」が万能の異世界は書けないのか。「魔法」のない「剣」を武器として集団戦を行なう異世界は書けないのか。そもそも異世界である必要はあるのか。それをじっくりと考えてみてください。

 ちなみに本コラムと添削講評に時間をとられてまったく前に進んでいない長編小説『秋暁の霧、地を治む』は「魔法」のない「剣」を武器として集団戦を行なう異世界が舞台です。十把一絡げの「異世界ファンタジー」をあえて避けました。「剣と魔法のファンタジー」は得意な方がいくらでもいますからね。私は『孫子』を始めとする兵法書の知識や古代戦術の解説書を読み込んでいるので、集団戦ならいくらか利があります。だからそれを最大限に活かす「ファンタジー」を考えた結果「異世界ファンタジー」を選択したのです。

 「先に異世界ファンタジーありき」ではなかったのです。





最後に

 今回は「異世界ファンタジーが人気だけど」について述べました。

 なぜ小説投稿サイトでは「剣と魔法のファンタジー」が人気を博すのでしょうか。

 現実世界ファンタジーでもよい物語を、単に「人気のあるジャンルだから」と「異世界ファンタジー」で書いていませんか。

 その貧困な発想からは、大ヒット作は期待できないでしょう。

 「中世ヨーロッパのような、剣と魔法のファンタジー」から脱したとき、あなたに本当のチャンスが訪れるかもしれません。

 少なくとも「独創的な世界観」を築ける方は、出版社レーベルからとても重宝されます。スピンオフやシェアワールドなど、マルチメディア展開も見据えて長期で安定した収益をもたらしてくれるからです。

 あなたはそれでも「異世界ファンタジー」でなければ表現できない物語に挑んでいるのでしょうか。



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