1463.端緒篇:映像化できていますか
小説のアニメ化やドラマ化を指しているのではありません。
文章を読んで映像として浮かんでくるか、という問題です。
映像化できていますか
小説は文字だけで構成されていますから、基本的に絵がつきません。
ライトノベルでも三枚から五枚の挿絵がつけば上出来でしょう。
それなのに「映像化」という相反する主張をする本コラムは、皆様の目にどう映るのでしょうか。
文字なのに映像化とは
こう書くとアスキーアートを思い出す方がいらっしゃいますが、もちろんアスキーアートや絵文字を指しているわけではありません。
ちなみにアスキーアートとは、
「 (^_^) 」「 (´・ω・`) 」「 (*´∀`*) 」
「 ((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル 」
のように、文字の組み合わせによる字面の表現方法です。
絵文字は携帯電話の頃に日本で開発・採用され、iPhoneに取り入れられるなど現在ではメール文化・SNS文化に欠かせない表現方法となりました。
しかし小説ではアスキーアートや絵文字を使うべきではありません。
文章で表現するべき映像とは、見た目を指してはいないからです。
またカッコつき表情もあまり好ましくない表現とされています。たとえば「 (笑) 」「 (苦笑) 」「 (泣) 」「 (怒) 」のようなものです。
実は文学でも昭和期に「 (笑い) 」が使われていたとされています。
私はアニメ・マンガ情報誌『ファンロード』で初めて触れました。どうやらその当時からインタビュー記事などでは「 (笑い) 」が使われていたようなのです。
こんなに古いカッコつき表情も、小説で使うとレベルが低く見られます。作品を正当に評価されたければカッコつき表情も使わないようにしましょう。
文章で映像を生み出す
では文章で映像を生み出すにはどうすればよいのでしょうか。
一人称視点であれば主人公の見たものを感じたままに文章にすればよいのです。
たとえば風景を印象づけたいときは「空は澄みわたり、遥か西方に富士を望む。」と書きます。すると「快晴で西の遠くに富士山がポツンと」読み手の心の中に映像として浮かぶのです。
「視線を落とすと、足元には犬、猫、鷹のフィギュアが落ちていた。」と書いたら犬のファギュア、猫のフィギュア、鷹のフィギュアが読み手の心に映像として浮かびます。
書いたものは存在する。書かなかったものは存在しない。
とても単純な法則ですが、とても重要な法則でもあります。
これを知らないと「映像が見えてこない」という評価を覆せません。
思い入れのある物語で「小説賞・新人賞」を狙いたいのに、ある「小説賞・新人賞」で「映像が見えてこない」と選評されたとします。これは主人公が見ているはずのものを書けていないからです。
「全長十五センチメートルで精巧な犬のフィギュアは、今にも動き出しそうな存在感を示していた。」と書いてあれば、結果的にそのフィギュアは動き出します。
「誰もが予想できて、結果も予想通りになる」のです。これは広義の「予定調和」と言われます。
小説とくに十万字の長編小説では「誰もが予想できて、結果も予想通りになる」ようにしないと話がまとまりません。「誰もが予想できて」が「伏線」です。そして「結果も予想通りになる」は「伏線の回収」に当たります。
そうでもしなければ十万字なんてあっという間に尽きてしまうのです。
十万字はあなたの予想以上に短い。
「えっ、十万字が短いなんてありえない」「私は原稿用紙五枚書くのも四苦八苦するのに」といった声が聞こえてきそうです。
ですが十万字が短いは覆しようのない事実。
十万字の中で起こせる出来事は三つです。配分としては二万字、三万字、五万字と考えてください。最初の出来事を二万字で書いて「起承転結」の「起」とします。次の出来事を三万字で書いて「承」とします。そして残り五万字で「転結」を書くのです。
この限られた文字数の中で、主人公と「対になる存在」そして脇役を書かなければなりません。とても無駄を書いているゆとりはないのです。
だから長編小説では基本的に「書かれたものはそうなる」のがお約束となります。
「鷹のフィギュアの目が生きているように輝いている。」のなら、鷹は生きているのです。
単に「今にも動き出しそうな」「生きているように」と書いただけで、それは現実に起こります。それが長編小説の世界なのです。
ファンタジーなら説明されないとわからない
小説の鉄板すぎるオープニングは「起床」です。
朝目覚めたらなにかがおかしい。体が女性になっているとか誰かと入れ替わっているとか猫になっていたとか。ファンタジーの入り口として「起床」ほど楽な導入はありません。
では「起床」だけを書けば事足りるのか。足りないんですよね。
「起床」スタートではたいていまどろみから入ります。夢を見ているとか早起きしたくないとか、たいていまどろんでいる状態から始まるのです。
まどろみの中では変わる前の主人公が描かれます。そして目を開けるとなにかが変わっていると気づくのです。
もはやファンタジーの定番となった「起床」ですが、映像を工夫すればまだまだ斬新さを醸し出せます。
物語の出だしをいかに「映像」化するか。
基本的には「主人公が見たまま」を書くしかありません。見えないものを書いたら「超能力者」になってしまいますからね。
物語の基本から言えば、出だしでは主人公に「出来事が起きる」か「出来事を起こす」かです。
「起床」が鉄板なのも「出来事が起きる」よりも強力な惹きである「出来事の渦中にいる」ようにしたいから。まどろんでいるときにはすでに出来事の渦中です。だからまどろんでいるうちは本来の自分のままの意志で進みますが、目が覚めると厳しい現実を突きつけられます。
ファンタジーでは「起床」したら、まったく見覚えのない光景が広がっているものです。
当然主人公が見たこともない景色ですから、書きたいものであふれています。
まず見慣れているものが見当たらない。あるのは見慣れないものばかり。ファンタジーではよくあります。そのときはそのまま「○○がない」とか「○○が見える」とか書けばよい。
——のですが、物語に関係してこないものを書いても蛇足でしかありません。
それって物語に絡みますか
ミステリーでも、凶器は最初から書かれているものです。しかし単に凶器だけを書いたら読み手にすぐネタバレしてしまいます。そこでいかにも怪しそうなものを大量にばら撒いて書き留めます。
本来なら「物語に関係してこないものは蛇足」なのですが、「読み手をミスリードする」目的のためにあえて関係ないものを書くのです。関係ないものの存在のおかげで、読み手はラストまで凶器を特定できません。また密室トリックのタネも同様です。用いたものはすべて冒頭で書きますが、用いなかったものの山の中に隠されているため、密室トリックにはなかなか気づかれません。
ミステリーという特例を書きました。それ以外のジャンルでは基本的にこれから役に立つアイテムだけを見たり手に入れたりします。無駄をしている暇がないからです。
たとえば未知の敵と戦っている世界観なら、目の前に「銃弾」が転がっていれば手に入れるのが当たり前でしょう。しかし平和な世界観なら、「銃弾」があっても気に留めるだけで手に入れないはずです。もし手に入れたり触ったりしたら、殺人犯の濡れ衣を着せられるかもしれませんからね。
しかし平和であっても、目の前に「銃弾」があれば「不穏」さを醸し出せます。なにせ日本では日常ならざるものですからね。「銃弾」が当たり前のような状況なのかもしれない。それは私たちの日常とはかけ離れています。だからファンタジーの入り口として、よく「突飛なもの」が書かれるのです。
冒頭になにを書くべきか。物語を左右するアイテムや、事態を解決に導くもの。そういった物語に不可欠なものは必ず書かなければなりません。
たとえ異世界転移ものであっても、現実世界に還ってくるのなら、その手段を暗示するものが早いうちに書かれるべきです。
つまり物語で決定的な鍵を握るものは必ず書く。でもそれしか書かれていないとすぐにネタバレするので、目くらましに他のものも書く。
ですが、あまりにも目くらましが多すぎるとそれはそれで読み手の不興を買います。
十万字の長編小説でのだいたいの目安ですが、キーアイテムがひとつなら、三択になるよう目くらましアイテムをふたつ書く。そのくらいが適切ですね。そうしないとキーアイテムの代わりに使えそうなアイテムを書いてしまいかねません。
小説でもそうなのですが、だいたい三択になるよう難易度を調整すると読み手が惹き込まれます。
多くのクイズ番組でも三択問題が多いですよね。文字として書かれている場合は四択でもなんとかなるのですが、耳から聞くだけなら三択でないとすべての選択肢を記憶できません。だからクイズ番組は三択問題が多いのです。『大橋巨泉のクイズダービー』以来、日本のクイズ番組は三択に満ちています。
映像化で鍵を握るもの
「映像が見えてこない」と指摘されたらどうすればよいのか。
主人公の一人称視点なら、見えたものを手当たり次第に書く。それもひとつなのですが、物語にまったく関係しないものを書くのは映像化とは呼びません。雑多なだけです。
十万字の長編小説で物語に関係のないものを書くのは時間と文字数の無駄でしかありません。
物語に関係するものこそが映像化するべきものです。
「富士山」を書いたら、富士山が物語に関係しなければならない。関係もないのに富士山を書いてはならないのです。たとえば異世界転移して、その世界に「富士山」にとてもよく似た山がそびえている。それなら「富士山」を書いた意味がありますよね。
もしかすると「富士山」が時空転移装置で、富士山に登ると異世界転移してしまう。なんていうのもアイデアとしてすぐに出てくるはず。
たとえば「コンピュータ」を書いたら、コンピュータが物語に関係しなければなりません。ですが「剣と魔法のファンタジー」にコンピュータがどこまで関係できるのでしょうか。主人公の設定としてデータ入力の仕事で毎日コンピュータと格闘しているのであれば、転移前の主人公の職業を知らせる意味でなら有用です。しかし異世界転移ものは異世界の出来事が肝なのですから、転移前にいくらデータ入力の仕事をしていても、異世界で通用するのか、というそもそも論もあります。
もしデータ入力のスキルを活かして異世界で商家の番頭になる。これならコンピュータがとても大きな意味を持ちます。また王国の財務長官に抜擢されるかもしれません。こちらは大出世ですよね。会社の底辺だったデータ入力が一国の財務を担うのですから。
このように物語に関係するものは映像化するべきです。
「映像が見えない」のは必要なものが事前に書かれていないから。
つまり「伏線」がきちんと張られていません。「伏線」さえ張られていれば、読み手には「映像」が見えます。だからあれをあそこで書いたのか! とビックリしたときに脳内で映像化されるのです。
ミスリードのためにばら撒かれたものがあふれていても、映像は浮かびません。その中から「伏線」が回収した時点で凶器の映像が脳裏に浮かぶのです。それ以外は浮かんできません。
だから「映像が見えない」と言われたら、早い段階で映像化したいものを登場させて「伏線」を埋め込むのです。単に書かれているだけだとその場はスルーされます。しかし「伏線」として回収された途端に、その映像が浮かんでくるのです。
この因果関係を意識すれば、「映像が見えない」とは言われなくなりますよ。
最後に
今回は「映像化できていますか」について述べました。
「映像が見えない」と指摘されたら、早い段階で映像化したいものを登場させて「伏線」として埋め込むのです。単に書かれているだけだとその場ではそのままスルーされます。しかし「伏線」として回収された途端に、その映像が脳裡に浮かんでくるのです。
この因果関係を意識すれば、「映像が見えない」とは言われなくなりますよ。
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