1420.構文篇:長編小説の時間経過

 今回は小説における「時間経過」についてです。

 小説を読むスピードは千差万別ですが、それによって変わる「時間経過」と変わらない「時間経過」があります。

 その両方を見ていきます。

 昨日書いた「体調不良」ですが、どうやら私が知らない間にアルコールを摂取していたようです。昨日の夕食時「カニカマ」を食べていたら酒粕が付いているのを発見しました。

 私はアルコールがタブーな体質で、一滴でも摂取すると強力な頭痛に見舞われます。灰色の脳細胞が鬱血して脳を圧迫するのです。これで頭痛・めまい・吐き気・悪寒・視覚過敏の説明がつきました。昨日当該の「カニカマ」を一口してアルコールに気づいて食べるのをやめ、水分を多めに摂って寝ていたら、今朝はだいぶましな体調に戻っていました。昼食後に筋トレをしても、昨日までの頭痛・めまい・悪寒を感じませんでしたし汗もそれなりにかけましたので、どうやらアルコールが原因だとわかりました。

 知らずに摂取しておおごとに発展するので、ビールもお酒も一滴たりとも摂取できないのです。真面目か! ではなく体質によります。

 皆様にもご心配をおかけしましたが、明日にはより完璧な体調に戻れるよう、アルコールに注意して食事致します。





長編小説の時間経過


 長編小説は基本的に原稿用紙三百枚・十万字の物語です。

 では長編小説ではどのくらいの時間経過が許されるのでしょうか。

 最近よく見るおかしな時間経過についても考察したいと思います。




長編小説は二時間ドラマ

 長編小説は基本的に「二時間ドラマ」二本ぶんの分量とされています。つまり前後編ですね。

 なぜかといえば、十万字を一秒七文字のペースで読むと約四時間かかります。つまり読み手のリアルタイムが約四時間なのです。

 これならアメリカのドラマ『24−Twenty Four−』のように、リアルタイムで事件が進行する作品も書けますよね。書けるのですが一般的ではありません。

 読むのに四時間かかっても、ドラマ化・アニメ化をすると二時間ドラマ、劇場版一本ぶんにしかならないからです。

 文章では百文字かかっていた情景描写も映像化すると五秒で済むなんてざらにあります。文字で読む時間と映像を観る時間とでは、時間の進み方に差が出るのです。

 では読むのに四時間かかるから四時間のドラマつまり二時間ドラマ二本ぶんと解釈するべきなのでしょうか。映像化したときの二時間ドラマ一本ぶんと解釈すればよいのでしょうか。

 これは書き手の裁量に委ねられています。

 長編小説十万字の作品が劇場アニメ一本で終わるのもよくあることです。

 ではアニメがテレビシリーズ化する小説と、劇場アニメ一本で終わる小説の差はなんでしょうか。

 作中の時間経過そのものが影響しています。

 たとえば連載小説ですが、田中芳樹氏『銀河英雄伝説』は第一期単行本二巻を二十六話でアニメ化しています(これには外伝も含まれています)。単純計算では単行本一巻あたり十三話です。もし一巻十三万字と仮定すれば、一話一万文字です。これ、とんでもなく時間経過が遅い部類に入ります。

 なぜ『銀河英雄伝説』は連載一話をアニメ一話にまとめられたのでしょうか。

 アニメは宇宙での戦闘シーンを二話・三話で展開しているからです。宇宙での壮大な戦闘シーンが二十五分で終わっていたら、きっと『銀河英雄伝説』は歴史に名前を残せなかったでしょう。『銀河英雄伝説』の肝は宇宙での艦隊決戦であり、そこに魅力がなければそもそもSFファンに受け入れられなかった。もちろん戦闘シーンより戦略的な駆け引きが面白いという方もいらっしゃいますが。

 ではもう少しわかりやすくてわかりづらい例を挙げます。川原礫氏『ソードアート・オンライン』です。

 この作品は単行本二巻の「浮遊城アインクラッド編」を全二十五話で構成しています。しかも銀河英雄伝説よりも短い一巻あたり十万字ちょっとと推定されるのです。ちょっと多めに見積もっても一話八千字でしかありません。それが正味二十分くらいと過程すると一分四百字です。『銀河英雄伝説』よりもさらに時間効率がよくなっています。だいたい一秒六.六文字です。これは前出した「読み手が読むスピード」とほぼ同じ。そう考えれば無駄がないわけです。しかし小説は文字が時間を生み出しているのでそのまま映像化すると時間が余りまくります。

 そこでどうしたかといえば、単行本のアニメ化ではなく、元々の川原礫氏の個人ブログで連載していた原作を底本としたのです。

『ソードアート・オンライン』が単行本化されたとき、制約として単行本一巻に話をまとめてくれというものがありました。だからブログ版から端折るだけ端折って、なんとか単行本一巻に収めたのです。それが人気となったため、第二巻の刊行が決まり、ショート・エピソードを切り出して第二巻としました。ですがこの二巻だけでアニメは一クールももちません。そこでアニメの企画者は長かったブログ版を底本としたのです。そのためアニメ版は単行本よりも内容の濃い作品となりました。ブログ版はリライトされて『ソードアート・オンライン プログレッシブ』として改めて連載されたのです。

 読んでいる時間をとるか、作中の時間をとるか。

 ひじょうに悩ましい問題ですが、たいていは内容の濃密さで分けられます。

『銀河英雄伝説』では宇宙での艦隊決戦が濃密なので、ここを膨らませてアニメ二十六話になったのです。『ソードアート・オンライン』は端折りすぎなところを本来の描写が濃密なブログ版を素にアニメ二十五話となりました。

 見せ場がしっかりとある作品は一クールくらいならだいたいもちます。まぁそれでも単行本三巻か五巻は必要になりますが。




長編小説の時間経過

 長編小説では時系列に従ってシーンを並べるべきです。「カットバック」は構成が悪いと断じられて「小説賞・新人賞」はまず獲れません。

 では小説内の時間経過はどうでしょうか。「カットバック」を用いないから、幼少期の話のあとにいきなり中高生になってもよいものなのか。ここで迷う方が出そうですね。

 小説の時間経過を表す方法は主にふたつあります。

 ひとつは「空行を入れる」つまり「段落を改める」です。こちらは比較的時間経過が短くても隔たりはある場合に用いられます。たとえば「主人公たちが作戦を話し合った」とします。ここで空行を入れて短い時間経過を表現し、全員納得して「よしそれでいこう」となるのです。空行の時間は一分かもしれませんし、五分、十分かもしれません。いずれにせよそれほど長い時間ではないのです。

 もうひとつは「章を改める」です。こちらは時間を大きく飛躍させられます。もちろん「空行」同様、五分、十分でもかまわないのですが、それはごく少数です。「章を改める」と何年先にだって跳躍できます。翌日、翌月、翌年、十年後、百年後にだって飛べるのです。ただし制約もあります。「カットバック」つまり過去のシーンを入れて時間を戻せません。まぁ「カットバック」は多くの小説で禁止ですから、それほど強力な制約でもありません。

 そもそも現在の科学ではアルベルト・アインシュタイン氏が提唱した「相対性理論」をもとに、タイムマシンは未来に行けても過去へ戻れないとされています。重力の歪みで空間をたわめれば、そこを通過する光は光速以上のスピードが出せる。だから未来へ行けるとされているのです。しかし過去へ戻るための理論や方程式は天才アインシュタイン氏でも導けていません。

 現代科学で「不可能」とされている「タイムマシンで過去へ戻る」は、小説でもできるだけ避けるべきです。だから「カットバック」禁止なのです。


 未来に行けるとして、どのようなペースで時間経過させればよいのかで悩む方もいらっしゃるでしょう。

 章単位であれば、どんなペースでもかまわないのです。

 ただし読みやすい法則もあります。

 それは章が進むごとに飛躍する時間を狭めていくのです。

 すべてのきっかけとなった幼少期を第一章にし、そこから十年後に冒険をスタートするも挫折し、半年後の第三章で修行を終えて、三か月間経った第四章で冒険者として名を上げ、一カ月後の第五章で「対になる存在」と対決し勝利する。そして一週間後に王都に凱旋して大団円。

 こんなタイム・スケジュールが定番です。

 しかし必ずこうしなければならないわけではありません。

 時間経過は書き手の配分でよいのです。

 ただ気をつけていただきたいのは「絶対にカットバックしない」こと。

 順調に前へ前へと進んでいたのに、なぜか突然「過去話」を始めてしまう書き手が殊のほか多いのです。

 章で一万年飛んでもかまいません。異世界へ飛んでもかまわないのです。

 それでも「過去」に戻ってはならない。それが小説の鉄則です、





最後に

 今回は「長編小説の時間経過」について述べました。

 読む時間をとるか、映像作品化したときの時間をとるか。

 これは小説だけで完結する世界にしたいのか、マルチメディア展開をしたいのかで正解が分かれます。そして現在のライトノベルではアニメのテレビシリーズ化や映画化などのマルチメディア展開できる作品が求められています。

 とくに小説界で最初にマルチメディア展開を行なったKADOKAWA(当時の社名は角川書店)の小説投稿サイトである『カクヨム』で開催される小説賞、中でも『カクヨムWeb小説コンテスト』通称『カクコン』ではマンガ化やテレビアニメ化を前提とした作品を広く募集しています。つまり小説だけで完結する物語は求められていないのです。

 だから小説を書くときに、映像化した際の時間割を計算に入れて書きましょう。

 また小説における時間経過は、どんなに短くてもよく、どんなに長くてもよいのです。ただし時間は先へは進めても後戻りできません。「相対性理論」でも説明されているとおりです。だから事件が起きて一万年の時を越えてもかまいません。ですが時を遡れないのです。

 この基本さえ押さえていれば、時間をすっ飛ばす快感を味わえます。



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