1421.構文篇:物語は国境を越えて
今回は「物語は世界を越えて」と題して、アニメに見る小説が海外へ進出するにはなにが必要かを考えてみます。
体調不良のときに下書きをしたのでまとまっていないかもしれません。
おかしな点がございましたらコメントを付けてくださいませ。私自身も体調が万全なときにもう一度トライしたいテーマなので。
物語は国境を越えて
日本の小説は日本語で書かれています。至極当たり前ですね。
しかし小説がアニメやマンガになると、作品は世界へ羽ばたきます。
それなのに肝心の原作小説が日本ローカルで終わっています。
なぜでしょうか。
海外を想定していない
そもそも「COOL JAPAN」の火付け役である日本アニメは、当初徹底した日本ローカルを貫いていました。日本の子どもに玩具が売れればよかった。その流れが変わったのは「まぐれ当たり」によるものです。
アメリカで最初に大当たりした日本アニメは手塚治虫氏『鉄腕アトム』だとされています。『ASTRO BOY』のタイトルでアメリカの子どもたちをも夢中にしたのです。近年ディズニーが『鉄腕アトム』の3DCGアニメ化を企画しました。しかしハリウッドが算出した「アメリカの子どもたちにウケるキャラクターデザインや脚本」は不評でした。とくに日本で手塚治虫氏作品の版権を管理している手塚プロが即座に却下したとされています。妙に等身が高く、子どもに媚びた脚本だったためです。
『鉄腕アトム』後、永井豪氏原作『マジンガーZ』が世界でヒットします。同じく永井豪氏原作『鋼鉄ジーグ』はイタリアでも世帯最高視聴率が80%を超えたほどです。同じく永井豪氏原作『UFOロボ グレンダイザー』はフランスでの子供視聴率がなんと100%を誇っています。
フィリピンでは八手三郎氏原作『超電磁マシーン ボルテスV』が最高視聴率58%を記録し、当時のマルコス政権から放送停止措置が出たほどです。再放送が始まるとこちらも人気沸騰。その勢いでマルコス政権が打倒されたとまことしやかに語られています。
高畑勲氏がディレクターを務めた『アルプスの少女ハイジ』はヨーロッパ各国で人気が高く、日本アニメだと気づかない方が多かったのです。またドイツ人のワルデマル・ボンゼルス氏原作『みつばちマーヤの冒険』も日本アニメ(日本アニメーション製作)ですが、ドイツが作ったんじゃないの? とこちらも長らく気づかれません。
これらの作品で共通しているのは「海外市場を想定せずに作られた」点です。
日本の子どもにウケる、玩具が売れるアニメを作ろうとしていただけなのに、海外で大ヒットしてしまいました。
しかしよくよく考えると、当時の日本アニメが総じて海外でウケていたわけではありません。
1980年まですでに百を超える日本アニメが放送されながら、海外で大ヒットを飛ばしたのは上記を含めても十本程度です。つまり海外でウケるとは想定していなかったアニメがドル箱と化しました。
その事態を受けて日本アニメは海外を新たな市場として「日本の子どもにウケるだけでなく、海外でも大ヒットする作品に仕上げよう」と企図します。
それまでは「たまたま海外で大ヒットしてしまった」だけだったのです。
それに比べて小説は、たとえば樋口一葉氏の作品が海外では高く評価されていました。しかし樋口一葉氏は海外でも売れる作品を書いたわけではないのです。純粋に日本人に読まれる小説を書いたにすぎません。
また作品で言えば井深鱒二氏『黒い雨』、川端康成氏『千羽鶴』『美しさと哀しみと』『雪国』、太宰治氏『斜陽』、谷崎潤一郎氏『陰翳礼讃』『細雪』『痴人の愛』、新渡戸稲造氏『武士道』、安部公房氏『砂の女』、紫式部氏『源氏物語』、夏目漱石氏『こころ』、三島由紀夫氏『金閣寺』『潮騒』が海外において高く評価されています。
現役の書き手では村上春樹氏がよくも悪くも「海外ウケ」をしています。だからかなのか、今でも「ノーベル文学賞」を獲るのではと日本のマスコミが騒ぐのです。ですが毎年豪快な空振り三振を喫しています。日本のマスコミは目のつけどころがおかしいのです。
単に販売部数や何カ国語にも翻訳されていれば「ノーベル文学賞」が獲れると勘違いしています。
もしその基準で獲れるのなら、村上春樹氏よりも販売部数も翻訳言語数でも上を行く『ハリー・ポッター』シリーズのJ.K.ローリング氏や、『ダ・ヴィンチ・コード』シリーズのダン・ブラウン氏のほうが村上春樹氏よりも先に受賞していないとおかしいのです。でも彼女彼らが受賞したなどと聞きませんよね。それなのに村上春樹氏が受賞すると思い込んでいる。
「海外ウケ」すれば「ノーベル文学賞」が獲れるわけではないのです。
しかし、今の時代では小説も「海外ウケ」を狙わなければ生き残れない時代とも言えます。
近しい作品では宮部みゆき氏『
このように、現在の文学小説は海外を視野に入れないと出版にすら漕ぎ着けないようになっています。
ライトノベルの国際化
ここで問題になるのは、このコラムを読んでいるライトノベル志望の書き手が目指すべきは海外なのかです。
ライトノベルが原作のアニメでも海外でウケている作品はあります。谷川流氏『涼宮ハルヒの憂鬱』、渡航氏『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』など「ラブコメ系」の作品です。日本では一大勢力を築いている「異世界系」は海外での評価が総じて低い傾向にあります。
であれば世界を目指すうえで「異世界系」を排除して「ラブコメ」で挑む選択肢がひとつ。
もうひとつはあえて不人気の「異世界系」で世界に戦いを挑む選択肢です。
しかし現在あれだけの「異世界系」作品がありながらも、海外ではまったくヒットしません。それでも「異世界系」で戦いを挑むなら「ラブコメ」要素を入れるしかないでしょう。
そもそもライトノベルの「異世界系」はたいてい「中世ヨーロッパのような」世界観なので、「なぜ日本人は中世ヨーロッパがこんなに好きなのだろう」と世界中から不思議がられています。
海外ウケする文学小説は、いずれも(その当時の)現代日本を舞台としているのです。「中世ヨーロッパのような」世界観は一作もありません。
つまり「ライトノベル」が世界で戦えない大きな理由こそ「中世ヨーロッパのような異世界」だからなのです。
個人的に「ライトノベルは世界でも戦える」と本気で思っています。ですがそれは「中世ヨーロッパのような」世界観では成しえません。日本人はもっと世界観を自ら生み出せるようになるべきです。
海外は「異世界系」すべてを駄目だと断じているわけではありません。なぜか「右へ倣え」で「中世ヨーロッパのような」世界観だから嫌われます。
田中芳樹氏『アルスラーン戦記』のアニメが高く評価されるのは「古代中東のような」世界観だから。けっして「中世ヨーロッパのような」判で押したような世界観でないからです。
なぜライトノベルの「異世界」が「中世ヨーロッパのような」世界観ばかりとなったのでしょうか。決め手となったのは祖のひとつである水野良氏『ロードス島戦記』の登場です。
『ロードス島戦記』は「中世ヨーロッパのような」世界観の小説J.R.R.トールキン氏『指輪物語』に端を発したTSR社の
2019年8月に『ロードス島戦記 誓約の宝冠』が発売されました。これによりライトノベルの書き手は再び「異世界」イコール「中世ヨーロッパのような」世界観の呪縛に囚われるのでしょうか。
いつまでも「中世ヨーロッパのような」世界観を引きずるのはやめましょう。
世界で戦いたいなら、まずその思い込みを捨ててください。
いつまでも『D&D』世界を引きずっているから、あなたの作品は凡百と変わらないのです。「小説賞・新人賞」でも「異世界」イコール「中世ヨーロッパのような」世界観ばかりではどんぐりの背比べでしかありません。
きっと賞レースを開催している出版社レーベルも、他の世界観で展開されている「異世界系」が読みたいと思っているはずです。
あなただからこそ作りえた「異世界」で勝負に出てください。
「小説賞・新人賞」は凡百でないから獲れるのです。
最後に
今回は「物語は国境を越えて」について述べました。
日本のアニメは、日本ローカルを貫いて世界で人気を得ました。
日本のマンガも日本ローカルの作品が世界で読まれているのです。
それなのに、なぜかライトノベルは「異世界」イコール「中世ヨーロッパのような」世界観で統一されています。
マンガの鳥山明氏『DRAGON BALL』や尾田栄一郎氏『ONE PIECE』は「異世界」を舞台にしていますが、「中世ヨーロッパのような」世界観だったでしょうか。違いますよね。武内直子氏『美少女戦士セーラームーン』や荒川弘氏『鋼の錬金術師』はどうでしょう。いずれも違いますよね。
そうなのです。世界で通用するアニメやマンガは「中世ヨーロッパのような」世界観ではありません。
それなのにライトノベルだけはいつまで「中世ヨーロッパのような」世界観で書かれ続けるのでしょうか。
このままではライトノベルはいつまで経っても世界を目指せません。
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