1419.構文篇:余分なシーンを大胆にカットする

 今回は「シーンの取捨選択」についてです。

 とくに削るほうに主眼を置いています。

 なお大晦日から頭痛とめまいと吐き気、それに悪寒が続いており、この投稿ぶんでストックが切れます。毎日連載が途切れるかもしれないので、もし途切れたら申し訳ございません。まぁネタも尽きてきたので、そろそろ頃合いではありましたが。

 というわけで、ろんな推敲もできずに投稿します。おかしなところがございましたらご容赦くださいませ。





余分なシーンを大胆にカットする


「シーン」は時間と空間のつながりで出来ていますが、必ずしもすべてつながっている必要はありません。物語において重要でない「シーン」もあるからです。

 それなら不要な「シーン」を大胆にカットしたほうが物語はスラスラ進みます。




不要なシーンに必須の情報が紛れていないか

 小説を構想している段階から「A地点からB地点へ移動する」展開で、必ずしも移動シーンは必要ないとわかるときもあります。

 これを構想段階から「不要」と見抜けるかはひとえに経験次第です。

 数多く構想を練って、構成を組み立て、文章化して作品を築きあげていけば、次第にどういう「シーン」が不要かわかるようになります。

 初心者はすべての「シーン」を書こうとするものです。だから選考さんは「不要なシーン」を読むと「まだまだ書き慣れていないな」とひと目で見抜きます。

 こう書くと初心者は「それなら不要と思われるシーンをすべてカットすればいいんだな」と考えるのです。その場合、本来必要なシーンを削ってしまう可能性もあります。選考さんが読んだら「本文で語られていないものが前提になっている」とこれまたひと目で見抜くのです。

 ある程度書き慣れてくれば、「不要なシーン」「必須のシーン」の区別がつくようになります。ただ「必須のシーン」は思い込みで「なくてもよいのでは」と判断しがちです。

「他のシーンで書いているはず」と思い込むのはひじょうに危険極まりない。

 読み手にとっては「書かれている文字」がすべてです。書かれていれば理解できます。書かれていなければ察するしかありません。

 その代表が推理小説です。文字で書かれていない主人公の探偵や刑事の推理は、読み手が察するしかない。すべての謎が解き明かされる「佳境クライマックス」で読み手が察したものと主人公が推理したものの答え合わせが行なわれます。たいていの推理小説は読み手が察したものをよい意味で「裏切る」のです。

「こんな情報があったのに見落としていた!」と感じるのがよい推理小説。「そんな情報どこにも書かれていなかった!」と感じるのが悪い推理小説です。

 この「書かれていた」「書かれていなかった」は推理小説では作品が成立するかを左右する重大事となります。

「異世界ファンタジー」でも「書かれていない」情報は読み手が察する以外ないのです。

 たとえば主人公の頭髪の色。書かれていないのでフランス人ふうの名前だから金髪に違いないと察するのです。しかし物語が終わろうとするまさにそのとき「黒髪」と書かれていたら。そんな情報はこれまでどこにも書いてありませんでした。だから読み手は察したのです。しかしその察しが物語の終わり際で裏切られました。そんな小説をあなたは許せますか? 多くの読み手は「書けるのなら真っ先に書いてくれよ」と思うはずです。悪罵する人も出てくるでしょう。

 これを「小説賞・新人賞」応募作でやると、必ず一次選考で落とされます。

 本来なら「主人公は黒髪」と言及する「シーン」があったのに「不要」と思って削ってしまった。だから髪色が語られずに物語が終わろうとしていたのです。

 このように「必須の情報が入ったシーン」を「不要なシーン」とごっちゃになって削ったら、「必須の情報」を失ってしまいます。

 この「不要なシーン」を削除する多くは、一度書いてみて募集要項を大きく超える分量になってしまった場合です。「削れるシーンを削ってなんとか収めよう」と重要度の低いシーンを削った結果、「必須の情報」を漏らしてしまうおそれがあります。これが実に怖いのです。

 もし「不要なシーン」「重要度の低いシーン」を削るなら、そこに「必須の情報」が書かれていないか、削る前に必ず確認してください。




不要なシーンをカットする

 小説は無駄を書いて成立する芸術ではありません。無駄を極限まで削ぎ落とした作品が高く評価される芸術です。

 自宅の自室で起きた主人公が、学校の教室で点呼に応える。

 このなんてことない展開でも、どこまでの「シーン」を省けるのかについて考えてみたでしょうか。

 すべてを書こうとすれば「自宅の自室で起きてパジャマから学生服に着替える」「台所で朝食を摂る」「弁当を持って自宅を出る」「最寄り駅まで歩く」「電車に乗って学校の最寄り駅で降りる」「学校まで歩く」「校門をくぐって下駄箱で上履きに替えて教室に到着する」「座って待っていると担任教師が現れて点呼をとり始める」とここまで必要です。

 ですが、ここまで冗長に書く必要なんてありません。

「自宅の自室で起きる」から「教室で担任教師が点呼をとり始める」まで一気にすっ飛ばせるのです。

 なぜかと問われれば、「間にあるものはすべて日常で当たり前」だから。

 取り立てて文字で書く必要のない情報だから、潔くカットしてすっ飛ばすのです。

「文字で書かれたものには意味がある。」

 これが大原則となります。

 小説が「無駄を極限まで削ぎ落とした作品が高く評価される芸術」であるゆえんです。

 もし読み進めていったとき、いつもと変わらない通学風景のはずが、奇妙な出来事に遭遇するとしたら。その「いつもと変わらない通学風景」を前に書いておく必要があります。そうです。奇妙な出来事が起こった場所を文字で書かなければ、いかに「いつもと変わらない」のか比較できません。

 書かれていなければ読み手は察するしかないのです。

 もし察したものと異なる場合、読み手は「裏切られた」と思います。これは「悪い裏切り」です。

 通学風景をまったく書いていなかったので、読み手は主人公が自転車通学していると察してしまったら。電車通学していると判明した途端「裏切られた」と思いますよね。

 それまで文字で書いていなかったのでこのような齟齬そごが生じるのです。

 こういう「必須の情報」を書き落とさないよう、「必須のシーン」は削らないでください。もし削らなければならない場合は、「必須の情報」を残しておくシーンに含めるように構成を改めましょう。

 けっして「語り落とし」てはなりません。





最後に

 今回は「余分なシーンを大胆にカットする」について述べました。

 特段変わったところのない「シーン」は大胆にカットしてください。

 その中に「のちのち必要となる必須の情報」が紛れている場合、確実に残しておく「シーン」に含めるよう構成を改めましょう。


 読み手が自転車通学だと察したのに「実は電車通学でした」では、読み手を馬鹿にしすぎです。

 電車通学の最中に事件が起こると構成しているのなら、冒頭の通学シーンであえて「主人公は電車通学だ」と書かなければなりません。けっして「語り落として」はならないのです。



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