1387.構文篇:表記:同じ言葉を他言語で記す

 今回も表記についてですが、日本語の特色のひとつでもあります。

 日本語はどんな言語の言葉もそのまま使える稀有な言語です。

 表音文字である「カタカナ」のおかげでしょう。





表記:同じ言葉を他言語で記す


 たとえば「つるぎ」「長剣」「ソード」はそれぞれ和語、漢語、英語ですが、日本語の文章ではいずれも書けます。そして英語もアルファベットで「sword」と書いてもよいのです。

 日本語は大和言葉の表音文字「ひらがな」が誕生するまで、東アジアの共通文字であった漢字を借りていました。また「ひらがな」が生み出されたら「漢字かな表記」となり、外来語も表音がより高い「カタカナ」で記せるようになります。

 そのためか、日本語はあらゆる言語をそのまま使える、世界でも稀有な言語となったのです。




言語によって印象が変わる

 たとえば「学び舎」「学校」「スクール」と似たような意味の言葉を使ってみます。

「ここが私の通う学び舎だ。」

 昭和の時代の田舎にあったような木造二階建てのものを連想しますよね。

「ここが私の通う学校だ。」

 今度は都会にある鉄筋コンクリート造の堅苦しい権威の象徴のイメージが沸いてきませんか。

「ここが私の通うスクールだ。」

 外国にある学校や、キリスト教のミッション・スクールのようなハイ・ソサエティーなものを想像します。

 意味はほとんど同じはずなのに、言語が異なるだけでこうもイメージが変わってくるのです。

 小説の書き手はこの「差」をつねに意識しなければなりません。

「この小説で主人公が通うのは、どんな雰囲気のするところだろうか」

 田舎であれば「学校」というよりは「学び舎」に近いかもしれません。ミッション・スクールやアメリカン・スクールのような外国を感じさせるのなら「スクール」と呼びたいですよね。




動詞でも言語が異なれば

 なにも名詞ばかりが他言語とはかぎりません。

 たとえば動詞で「歩く」「歩行」「ウォーク」を見てみましょう。

「私は次の目的地まで歩いた。」

 普通にてくてくと歩を進めていったイメージがします。

「私は次の目的地まで歩行した。」

 普通ではない歩の進め方に受け取れます。たとえば「匍匐ほふく前進」をしているようです。

「私は次の目的地までウォーキングした。」

 今度はただ歩くのではなく、運動としての歩の進め方に見えてきます。腕を大きく振って、歩幅を広げてリズムよく進んでいる印象ですね。

 このように動詞でも、用いる言語を変えるだけで印象がガラリと変わります。

 同じものを表現しているはずなのにです。

「語彙」「シソーラス」の重要性が表れているのです。

 もし「歩く」だけで表現しようとすると「歩行」は「身をかがめて歩く」ですし、ウォーキングは「きびきびと歩く」と表現できるかもしれません。でも「歩行」「ウォーキング」という単語が意味するところを完全には表現しえないように思えます。




言語の違いが細かな表現の差になる

「学び舎」「学校」「スクール」や「歩く」「歩行」「ウォーク」で見たように、言語を変えただけで読み手が受けるイメージには大きな差が生じます。

 多くの書き手は、その差を埋めるために修飾語をたくさん付けてイメージに近づけようと努力するのです。

 しかし言語を変えるだけで、脳内イメージにより近い単語が選択できます。

 言語によって受ける印象が異なるから、書き手は慎重に単語をチョイスしなければなりません。

 どれを選ぶと文字効率がよいのか。つねに考えてください。

「選ぶ」「選択」「チョイス」のどれが最適なのか。

「ふさわしい」「最適」「ベスト」なものを見つけるのが書き手の使命です。

 貧困な語彙を駆使していくら巧みな小説が書けても、読み手へ正確に伝わらなければ意味はない。

 日本語の「語彙」だけでなく外国語にも目を向けてみましょう。

 その点で、小池百合子東京都知事がさまざまな横文字を駆使するのは、説明したいものがその横文字でないと正確に伝わらないから、なのかもしれません。

「アウフヘーベン」「ワイズ・スペンディング」はその「語彙」でなければ正しく伝わらないから使わざるをえなかったのか。単に「語彙」が貧困なのか。当の小池百合子東京都知事に聞く以外に答えはわかりません。

 ですが、私たち小説の書き手にとって「伝えたいものを表す最適な言葉を探す」行為に注意を向けるきっかけにはなりました。




調子について

 アニメの庵野秀明氏『新世紀エヴァンゲリオン』の主題歌である及川眠子氏作詞&高橋洋子氏歌唱『残酷な天使のテーゼ』はなぜ「テーゼ」という「多くの視聴者には伝わらない言葉」をあえて選んでいるのでしょうか。

「テーゼ」とは哲学の「定立」「命題」を指しています。歌詞として歌えば「定立」「命題」では文字数が合わない。

 日本語のリズムとしては一般に「七五調」「五七調」が知られています。俳句や川柳で用いられる「五七五」、短歌・和歌で用いられる「五七五七七」、長歌で用いられる「五七五七……五七」があるのです。

 そこで『残酷な天使のテーゼ』の音数を確認してみましょう。

「ざんこくな/てんしのてーぜ」で「五七調」であるとわかります。

 もし「ざんこくな/てんしのてーりつ」「ざんこくな/てんしのめいだい」にすると「五八」となり字余りです。

 つまり「定立」「命題」ではなく「テーゼ」という単語を選択したのは、リズムを整えるためだったと解釈できます。「テーゼ」と「てーりつ」は音が近いので、無理やり「ゼ」を「りつ」に言い換えれば歌えなくもない。でもちょっと窮屈です。


 日本語の固有のリズムは他に「三三七拍子」があります。

「ピ・ピ・ピ・ン、ピ・ピ・ピ・ン、ピ・ピ・ピ・ピ・ピ・ピ・ピ・ン」

 これは十六拍を「四・四・八」に分けて、それぞれの最後の一拍で溜める形ですね。

 他に「ニッポンチャチャチャ」もありますね。これは「パンパンパパパン」と四拍で構成されています。

「三三七拍子」「ニッポンチャチャチャ」は童謡・唱歌から始まった比較的新しいリズムです。

 つまり「七五調」「五七調」は日本人の遺伝子に刻まれた「日本人固有のリズム」と言えます。

 それに比べれば「三三七拍子」「ニッポンチャチャチャ」はかなりののちに生まれたため、ノリはよいのですがいまいちぶつ切りでメッセージ性がありません。

 なぜツービートは人気を博したのか。

 ビートたけし氏が「赤信号、みんなで渡れば怖くない」と言ったのが大きかったですね。字余りの破調「六八五調」なのですが、「あかしんごー」は五音と解釈することもできるので、そうすると中八の川柳になります。だからみんなの耳に入りやすかったのだと思います。その浸透力がツービートの人気を絶大にしました。

 お笑いだと「ユーキャン新語・流行語大賞」にノミネートされると消えていく、というジンクスがありますね。「ダメよーダメダメ」「安心してください、履いてますよ」はいずれももう誰のネタか思い出せないくらい頭に残っていません。これはリズムが悪いのが原因です。「ダメよーダメダメ」は四拍、「安心してください、履いてますよ」は「十六音」でいずれも日本人のリズムとしては頭に残りづらい。




言葉の持つイメージと音調で使い分ける

 和語・漢語・外来語を使い分けるとき、意識するべきなのは単語の持つイメージと音調です。

 うまく「七五調」「五七調」でリズミカルに語っていく。単語の持つイメージを活かして旅情感やハイカラ感を出したい、などの理由で用いる単語を使い分けましょう。

 以前MBS系『プレバト!』の俳句査定コーナーを推奨したのは、「七五調」「五七調」を毎週意識していただきたいからです。

 ノーベル文学賞作家の川端康成氏『雪国』の出だしを憶えていますか。

「国境の長いトンネルを抜けると雪国だった。」

「国境の」は「くにざかいの」「こっきょうの」とふた通りの読み方がありますが、多くの方は無意識に「こっきょうの」で読んでいます。

 なぜなら「こっきょうの」は「五音」、「くにざかいの」は「六音」だからです。

「こっきょうの/ながいトンネルを/ぬけると/ゆきぐにだった」

「五八四六」で出来ています。最初の「五八四」は合計すると十七音。つまり「五七五」の破調なのです。そして終わりの「六」は「七」の字足らず。ということはリズムを見れば「五七五七」と「五七調」の出だしになっているのです。

 だから『雪国』の出だしは頭に残ります。

 すべての作品でできる芸当ではありませんが、意識しておくと書き出しでさまざまな応用が考えらるのです。


 なぜ『残酷な天使のテーゼ』は日本音楽史に残る名曲となったのか。

 外来語の持つ神秘さと「五七調」で憶えやすかったからです。

 他にも来生えつこ氏作詞&薬師丸ひろ子氏歌唱『セーラー服と機関銃』も「七五調」ですから憶えやすい。康珍化氏作詞&チェッカーズ『ギザギザハートの子守唄』も「八五調」と字余りですが「七五調」に近い。山上路夫氏作詞&GARO『学生街の喫茶店』も「七五調」。阿久悠氏作詞&尾崎紀世彦氏歌唱『また逢う日まで』は「七音」、同じ阿久悠氏作詞&和田アキ子氏『あの鐘を鳴らすのはあなた』は「五八調」と字余り。たかたかし氏作詞&松崎しげる氏歌唱『愛のメモリー』は「七音」、山川啓介氏作詞&岩崎宏美氏歌唱『聖母たちのララバイ』は「七四調」で字足らず。ですがいずれも「五」「七」を意識したタイトルですよね。

 これは偶然でしょうか。

『聖母たちのララバイ』は「せいぼたちの」と読むと「六音」なんですよね。外来語にして「マドンナたちの」にしたから「七音」になって頭に残るのです。ちなみに「ララバイ」を「子守唄」と和語にすると「五音」になるのですが、「聖母」を「マドンナ」と読んでいるので「子守唄」だと野暮ったくなります。ここは作詞家のネーミング・センスがよかった例でしょう。





最後に

 今回は「表記:同じ言葉を他言語で記す」について述べました。

 和語・漢語・外来語。どれを使うかは、単語の持つイメージと音調で決めましょう。

「七五調」「五七調」は日本人に響くリズムなので、これを意識して書き出しを工夫するだけで、格段に読まれやすい作品に仕上がりますよ。



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