1382.構文篇:表記:漢字と音を当てる

 今回から数回にわたって「漢字とかな」について述べてまいります。

 現在進行形でストックを作っているので、詳しい回数は終わるまで私にもわかりません。

「漢字とかな」の問題はけっこう根深くて、どれを正解とするかは人それぞれです。

 そこでこれからは「各種の『文章の書き方』書籍を読んできた私の考える基準」を書いていきます。

 ちょっと面白いところもありますので、ご期待くださいませ。





表記:漢字と音を当てる


 日本語にはさまざまな表記があります。

 漢字で書いたりひらがなで書いたりカタカナで書いたり。

 今回は紹介しませんが、アルファベットで英語を直接またはローマ字で書く場合もありますよね。

 その使い分けについて見ていきましょう。




ひらがなは和語の始まり

 元々日本語は和語に漢字を当てて用いていました。漢字は東アジアの共通文字だったからです。

 日本で現存する最も古い、神話や歴史が収められた書物『古事記』では、そもそも大和言葉が文字を持っていなかったので、すべて東アジアの共通文字である漢字で書くしかありません。

 字義により「次」「国」「稚」などを用いてはいたのです。しかし「クラゲ」は「久羅下」と当て字しています。なぜなら「クラゲ」の字義を持つ漢字が存在しなかったから。

 だから音を当てて「久羅下」と書くしかなかったのです。

「漂える」と今なら漢字で書けるものでも、当時は適切な漢字が存在しませんでしたので、こちらも「多陀用弊流」と書いて「ただよえる」と表記していました。「漂」は「漂う」なら書けるのですが、「ただよえる」の意を持っていません。そこで当て字にして大和言葉をそのまま音で書いていたのです。

 しかし問題も生じます。字義をとるのか音をとるのか、区別がつかないのです。そこで注釈をわざわざ入れて「ここからここまでは音で読む」と指定していました。

「ゴロゴロと」も当時は「こおろこおろに」と話していました。これはオノマトペであり該当する漢字があろうはずもありません。そこで「許々袁々呂々邇」と書いて「音で読む」と指定されています。ここまで来るともはや名人芸の雰囲気です。

 しかも神様の話なので敬語で書かなければなりません。しかし中国語には敬語は存在しません。そこでこちらも注釈を入れて「立(而)」を「たち(て)」と読まずに「たたし(て)」と読むと書かれています。

 つまり『古事記』の頃は、かなりまわりくどい手法で大和言葉が書かれていたのです。

 この字義と音をどのように書き分ければよいのか。最適解が示されたのは平安時代になってからです。そう「ひらがな」が誕生しました。平安時代の書物『万葉集』に代表されるので「万葉仮名」とも呼びます。

 表音文字として使っていた「安」を「あ」、「以」を「い」、「宇」を「う」と書くようになります。これにより字義を使いたいものは漢字、音を使いたいものは「万葉仮名」と分けて書くようになったのです。

 暴走族などがスプレーで陸橋に書く「夜露死苦」も「音で読む」ので、実は一周して歴史にひじょうに詳しい可能性も……ありませんね。彼らはあくまで「カッコいい」と思って書いているはずですから。とくに「死」なんて「詩」のほうがまろやかな漢字ですよね。それをあえて「死」と書いているのですから、彼らなりの「カッコよさ」が基準になっているとわかります。

 ひらがなは日本人が手に入れた初めての表音文字であり、ここから和語が始まるのです。

 コラムのコラムですが、陳寿氏『三国志』の『魏志』倭人伝に「邪馬台国」が登場します。卑弥呼が治める日本の国の名前とされているのです。多くの日本人はこれを「やまたいこく」と呼びますが、漢字に音を当てていくという日本語の成り立ちからして、「台」を「たい」と読ませるはずがありません。一音一字が基本です。ですから「邪馬台国」は日本では本来「やまたのくに」と読んでいて、その表音漢字をそのまま書状などに書いたから『魏志』倭人伝にも「邪馬台国」と書かれたのではないでしょうか。

「やまたの」という単語でピンときた方も多いはず。そう「大和国やまとのくに」の英雄日本武尊やまとたけるのみことが退治したという怪物「八岐大蛇やまたのおろち」です。私はこの共通性から、大和王朝の前に邪馬台王朝が君臨し、その首都である「邪馬台やまた」を囲む八方の山の砦に兵を八陣図(魔法陣)に従って配置し、八方向のどこから敵が攻めてきても、つねに効率よく兵が短時間で集まれたのではないでしょうか。となれば攻め落とした砦を焼いて破壊しなければ、どの方角から攻めても「邪馬台」は落とせなかった。と解釈すると納得がいくのです。

 だから私は「邪馬台国」を「やまたのくに」と読んでいます。おそらく和語ではこれが正解のはずですからね。

 ちなみに「卑弥呼」も当て字のはずで、今の時代の漢字に直すと「火巫」だと思います。おそらく中国王朝でも王が廟堂で行なっていた「亀の甲羅を焼いて、ヒビの入り具合で吉凶を占う儀式」をしている人の役職が「みこ」だとすれば、別に女王でなくても「ひみこ」なんてすよね。そもそも小野妹子は男性ですし。関連して言えば「聖徳太子」で知られる厩戸皇子も「うまやどのみこ」ですから、漢字で当てれば「火皇子」である可能性もあります。これなら王子であった可能性もあります。まぁ中国王朝でも亀甲占いをしたのは王自身でしたから、「巫」でも「皇子」でも当たってはいるはずです。




カタカナはひらがなが適さない時に使う表音文字

 表記は出版社や新聞社によって異なります。その中でも「カタカナ」で書くように指定されているものがふたつあります。

 まずはオノマトペです。擬音語は基本的に「カタカナ」で書きます。「日本語で当て字をする」ときに「ひらがな」で当て字してしまうと『古事記』の頃とさして変わらなくなってしまうからです。

 だから「日本語で当て字をする」ときは「カタカナ」で書くべきだとされています。

 先述した「ゴロゴロと」も「ゴロゴロ」はオノマトペなので音に対して当て字をしているのです。だから「カタカナ」で書くべきとされています。

 微妙なのが擬態語で「そろりそろりと」「なよなよと」は音に当て字をしているわけではありません。動作にふさわしい音感を当てているだけです。たとえば「サラサラ」と「ザラザラ」だと受ける肌触りがまったく異なりますよね。「サラサラ」も「ザラザラ」もそういう音がしているわけではないのです。音感を当てているだけなので「さらさら」「ざらざら」でもかまいません。

 また「ユラユラと漂う」の「ユラユラ」も「ゆらゆら」という音がしているわけではなく、そういうさまをあえて当て字するときに音感をあてて「ユラユラ」と書いているのです。これも「ゆらゆら」と書いてかまわないとされています。まぁ漢字の「揺ら揺ら」の音を当てる意図なら「ゆらゆら」と「ひらがな」で書くのが正しいわけです。


 他にも一般的にカタカナで書くべきものに「外来語」があります。

「マイ・ブラザー」「ハッピー・バースデイ」「グッバイ」は英語なので「外来語」に当たります。こういうものはカタカナで書くのが決まりです。確かに外来語の音に当てていますよね。

 もしひらがなで書いたらどうなるでしょうか。

「まい・ぶらざー」「はっぴー・ばーすでい」「ぐっばい」

 なにか落ち着きませんよね。

「レッド・ツェッペリン」「ミュージカル」「プロデューサー」「アスファルト」もひらがなで書くと「れっど・つぇっぺりん」「みゅーじかる」「ぷろでゅーさー」「あすふぁると」とやはり落ち着かないのです。というより極端に読みづらくなります。とくに「れっど・つぇっぺりん」は一瞬ではなにが書いてあるのか判別できません。

 これが「外来語」をカタカナで書くべき大きな理由になります。

 ではなぜカタカナで書くと「外来語」になるのでしょうか。

 実は逆なのです。ひらがなで書くと漢字への和語の当て字になってしまうから、あえてカタカナに外来語の表音を任せています。

「ひらがな」と「カタカナ」の表音がどういう経緯かがわかれば、「ひらがな」で書くべきものと「カタカナ」で書くべきものが理解できるはずです。




外来語に漢字を当てる

 しかし「外来語」に漢字を当てる場合もあります。

「テンプラ」に「天麩羅」を当てるパターンです。まぁ一般的には「天ぷら」と書きますね。「天麩羅」と書ける方はまずいません。私も書けないのです。

 ここで疑問に思う方もいらっしゃいますよね。「天ぷら」は日本料理じゃないかと。

 確かに今では日本を代表する料理なのですが、元々はポルトガル料理なのです。

 室町時代に鉄砲とともに伝えられた料理で、小麦粉を付けて油で揚げる料理がもとになります。なぜこれを「テンプラ」と読んだのか。一説にはポルトガル語の「テンポーラ」つまり「四季に行なう斎日」が語源とされています。この期間は祈祷と断食を行ない肉が食べられないので、代わりに野菜や魚に小麦粉の衣を付けて油で揚げた料理を食べていたのです。だから日本人が「これはなんだい?」と聞いて「テンポーラに食べるものだよ」とポルトガル人が答えたら、「テンプラ」という名前の料理なのかと勘違いしたとされています。


「タバコ」に「煙草」、「キセル」に「煙管」を当てる場合もあります。これは外来語に表意文字である漢字を当てるというさらにひねった表現です。

 こちらは類例が少ないので、こういう用例のときカタカナを使うか漢字を当てるかをあらかじめ決めておいて、作品で統一してください。「煙草」を使うなら「煙管」と書き、「タバコ」を使うなら「キセル」と書く。必ず統一してください。表記の揺れがあると、それだけで文章力の評価がマイナスされてしまいます。





最後に

 今回は「表記:漢字と音を当てる」について述べました。

『古事記』の昔には、大和言葉の音に漢字を当てていました。

 それが『万葉集』の頃には「ひらがな」で音を当てるようになったのです。

 しかし外来語やオノマトペの音を当てる必要が出てきて「カタカナ」が使われるようになったのです。

 もちろんアルファベットをそのまま書いて英語を表記してもかまいません。

 太平洋戦争終結後、日本人の識字率を高める目的でGHQが日本語をすべてローマ字で書かせようとしていたのです。

 もしこれが実現していたら、とてもじゃありませんが、日本語の区別がつかなくなります。漢字・ひらがな・カタカナ・アルファベットを混在させるからこそ、日本語はひと目見て意味が理解できるのです。

 実際にこれを行なったのが朝鮮半島の北朝鮮や韓国で用いられている「ハングル文字」。これは日本政府が朝鮮半島で教育を行なう際、朝鮮語を誰もが読み書きしやすい文字に統一しようと画策した結果生まれた、日本発祥の表音文字なのです。

 その結果、朝鮮半島から漢字がめっきり姿を消し、今では漢字の読める朝鮮人は少数派となりました。

 もし日本がローマ字の国になっていたら、私たちは誰もが感動する小説を書けたのでしょうか。



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