1371.物語篇:物語115.男女で友情は成立するか

 今回は「男女の友情」についてです。

「男女の友情はありえない」とする方もいらっしゃいますよね。

 私は「友情しかない」と感じているのです。そんな私の体験談を通じて、「男女の友情」について考えてみたいと思います。





物語115.男女で友情は成立するか


 今回は「青春」もの「恋愛」ものの定番のひとつである「友情」と「愛情」について取り上げます。

 なお今回も含めてですが、私の体験を土台にしているところが多いので、皆様に響くかはわかりません。とくに今回のテーマは私の生い立ちで培った「偏った観念」に立脚しています。




友情以外にあるのだろうか

 まず私の「偏った観念」についてお伝えしてから本題に入ります。

 私は「男女の間は友情以外にあるのだろうか」と思っています。

 この観念は私が小学校に上がるまで養護施設で育ったところから生まれているのです。

 養護施設では男子と女子が別々の場所に隔てられて生活していましたから、男子は全員「仲間」で、女子は全員「異星人」と認識していました。要はUFOでやってきた「異星人」だと思っていたのです。「異性人」なら当たっていますけどね。

 だからか「女性」というものをとことん知りませんでした。

 養護施設のイベントで双方の生活圏をつなぐ大部屋に集まったときくらいしか「女子」を見ないので、当然と言えば当然です。

 私が養護施設内の保育園を卒業する段階で、姉・兄・弟と一緒に母親に引き取られて東京にやってきました。四人兄弟を母親ひとりで食べさせるため、母親は狭いアパートで和文タイプライターのダブルワークをしていて子どもの面倒はほとんど見ません。まぁ弟は保育園通いのため通園に付き添いで通っていたと思います。

 だからか、私は親から愛情を注がれて育っていません。そもそも物心がついたのが三歳くらいで、養護施設に入ったのが二歳の頃なので、両親の愛情を憶えていないんですよね。姉と兄は父親から溺愛されていたようですが、その父親が母親や私に暴力を振るっていたらしくて、私たち四兄弟は養護施設に入れられて離婚調停をしていたというわけです。

 当然東京に来て小学校に入っても母親が付き添いで来るわけもなく、授業参観に来るでもなく、ほとんど放置されていました。

 そんな私が小学校でカルチャー・ショックを受けたのが「女子」の存在です。

 これまで養護施設では「異星人」と思っていた「女子」が、同じ教室で勉強をするのですから、戸惑わないわけがありません。まぁ「女子」に関心はなくて、毎日授業が終わったら砂場でとんぼ返りやバク転の練習をひとりでしていましたね。学業も成績はよくて、アクロバットを練習しているので腕っぷしも強い。まぁとにかく「目立つ」存在ではあったはずです。授業が終わっての教室掃除では、ほうきを剣に、ちりとりを盾に見立てて剣術ごっこをしていました。それで何本の蛍光灯を割ったかなぁ。窓ガラスは一回しか割っていないような記憶はありますが。

 まぁどこにでもいる「悪ガキ」「ガキ大将」だったわけですね。

 でも心根は養護施設育ちで素直なので、勉強も教えられればたいてい憶えてしまうので、成績は良かったんですよ。

 精神的に欲しいものはほとんど手に入りましたね。小学校の隣が図書館だったので知りたいことはなんでも調べられる。知識欲はいくらでも満たせますね。足りなかったのは親の「愛情」と好きな「女子」ができなかったことくらいでしょうか。

 そもそも「女子」について知らないわけですから「好きになる」という感情そのものが欠落していたわけですが。「母親」も「女性」ではありますが、とくに「愛情」を注がれたわけでもなく一家の大黒柱として生活費を捻出してくれる存在として認識していました。

 そんな小学生の頃に「女子」と話さねばならないとき、私は「異星人」と話しているような感覚だったのです。

 皆様も経験があると思いますが、小学生の頃クラスで「班」を作りますよね。それで私が班長になって男子生徒と女子生徒を統括するわけです。このあたりにも「ガキ大将」気質が見られますね。その経験から「女子」とも話す機会ができて、話しているうちに「異星人」の意識は薄らいでいき、「男子とは違うけど同じ人類かな」くらいの認識にはなりました。

 この段階では、私にとって「女子」は「男子」とあまり変わりません。だから「男子」に抱く「友情」を、「女子」にも抱くようになったのです。

 だからか、私は「女子」に「友情」を抱いても、それ以上の感情にはなったことがありません。なにせ「愛情」とはなにか自体を知らないのですから。

「異性」と接するとき、その時点で「愛情」を知らなければ相手に「愛情」は発生しえません。

 だから、私は「女子」に「友情」は覚えても「愛情」なんて知りはしませんから覚えるはずもないのです。




憧れが恋愛の始まり

 おそらく多くの方が「恋愛」感情を抱くのは、自分にないものを「異性」が持っていたときではないでしょうか。

 困った人がいたら助けてあげる。そんな姿を見た「異性」は自分にないものに憧れを抱いてその人が気になりだす。それが「恋愛」感情の端緒かもしれませんね。

 ですが困ったのは、私は自分にないものを「異性」が持っていたら、それを「自分も持ちたい」と思ってしまいます。

 普通「ガキ大将」がケガをして「女子」に手当てされたら、介助してくれた「女子」を意識するはずです。

 しかし私は「ケガをした人を介助できる人間になりたい」と思ってしまいます。つまり「恋愛」感情の端緒である「意識する」が、人ではなく行為に向いたのです。

 結果として、私は「ガキ大将」でありながら、弱い者を助けたりケガ人を放っておけなかったり、妙に気のまわる「ガキ大将」になりました。

 本来なら「異性」にやさしくされたら、その人に惚れてしまうはずですよね。それが「青春」なんだと思うのですが、私の精神回路にはそのような仕組みはありません。

 自分にないものを見たら、それを自分も身につけたいと思うのです。

 だから、もしこのとき「女子」から好意を受けても、私に「恋愛」感情は湧きません。

 小学三年生の三学期に転校します。そこでは外来人の私は、幼稚園から同じメンバーで構成されるコミュニティーからいじめられるようになったのです。

 しかし前述したように私は「悪ガキ」「ガキ大将」気質なので、いじめられたら全力で反発します。いじめた相手を返り討ちにもしましたね。そうしているうちにいじめはいつの間にかやみました。腕っぷし一本でいじめを根絶したのです。すると同じようにいじめられていた男子が集まってきますから、当然のように彼らを守るために戦います。「ガキ大将」に「見捨てる」選択肢はありません。頼られたら報いるのが「ガキ大将」の本質です。

 前の小学校で抱いた「人にやさしくする」行為を、自分なりに消化吸収した姿になりました。だからつねに少数派の味方となりました。いじめてくるやつはたとえ上級生であろうと返り討ちです。

 こんな「ガキ大将」が普通の「恋愛」感情を持てると思いますか。

 思いませんよね。

「ケガをした私」にやさしくしてくれた「女子」に抱いたのは、その「女子」への憧れではなく、「人にやさしくする」行為への憧れだったのです。

 本来なら「恋愛フラグ」が立つようなシチュエーションなのに、私は「自己啓発」にしてしまいました。

 これが人間として正しいのかどうか。私には分かりかねますが、少なくともそういう人間だからこそ「愛情」が欠落していると自覚できるのでしょう。

「恋愛」感情とは「自分にないものを持っている異性が好きになる」現象だと私は定義しています。

 だからそれ以外であれば「異性に友情を覚えても当たり前」なのが私の精神回路です。

 プレイボーイなキャラに「男女の間に友情は存在しない。あるのは愛情だけさ」とかクサい言葉をしゃべらせる書き手の気持ちが私にはわからないんですよね。

「異性」に憧れを抱くとき、それが「異性そのもの」に向かえば「恋愛」が始まり、それが「行為」に向かえば「自己啓発」のきっかけになる。

 これが私の経験した「恋愛」のことわりです。

 どこかで道を間違えていたのだろうことは自覚しています。しかし「愛情」も知らず、「恋愛」感情の精神回路がないのはそのままです。

 だから私は「女性」に「愛情」も「恋愛」感情も覚えません。

 私にあるのは「友情」と「仲間意識」だけです。

「好きか嫌いか」はあっても「恋するか恨むか」「愛するか憎むか」という感情がありません。

 もういい歳をしているので、今さら誰かに「恋をする」「愛する」なんてまずありえないでしょう。

 憧れを抱ける「女性」が現れても、手に入れたいのは「憧れる行為」であって「憧れられる女性自身」ではないのです。

 ここまでくると、もう「悟り」を開いているようなもの。「諸行無常」です。





最後に

 今回は「物語115.男女で友情は成立するか」について述べました。

 ぜひ皆様自身で「男女に友情は成立するか」について考えていただきたかったので、あえて私の生い立ちと精神性をお伝えしました。

 私の答えは「友情は成立する」です。

 ですが、それは主人公や脇役で私のような人物を出すときには役立ちます。

 しかし登場人物がすべて私と同じ精神性を持っているはずもありません。差があるからこそ物語は人間味にあふれるのです。

 自分なりの答えを出したら、それとは違う価値観のキャラクターを必ず登場させてください。

 そうしないと、読み手を選ぶ物語にしかなりません。

 万人を惹きつける物語は、価値観の大きく違ったキャラクターのやりとりを通じて魅力を増します。

 全員が私のように「悟り」の域に達していたら、感情表現が希薄になって駄作にしかならないのです。

 私のようにはならないでくださいね。



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