1356.物語篇:物語100.死と蘇生
今回は「死と蘇生」についてです。
主人公が「一度死んで生き返ったら」という物語です。
ただし「異世界転生」ではなく、同じ世界で生き返った場合を想定しています。「異世界転生」は物語篇ラストにと考えています。まぁ終わりも見えてきているんですけどね。
今回で物語100本ノック達成です。少なくとも百本の物語が思い浮かばなければ「プロ」にはなれないと考えているので、自分の引き出しが百以上あって安心しました。
物語100.死と蘇生
一度死んだ者が命を取り戻す物語です。
ただし「異世界転生」は今回含みません。「異世界転生」は「物語篇」のラストにしようと思っているのでそこまでお預けと致します。
だから基本的には同じ世界に蘇る物語を表すために「蘇生」と名づけました。
蘇ると不思議な力を授かる
マンガの冨樫義博氏『幽☆遊☆白書』の主人公・浦飯幽助は交通事故で死亡し、霊界案内人のぼたんから「手違い」とされていました。冥界でコエンマと会って蘇る取引を持ちかけられます。人間界で悪さする妖怪を退治する「霊界探偵」となるものでした。
しかししょせん人間の霊にすぎないので、ひとつの武器を授かります。「霊丸」です。(まぁ「しょせん人間の霊にすぎない」はずだったのに、のちに語られた正体がアレですけどね)。
一度死んで、不思議な力を授かって蘇る物語が多いのは、人が「死」になにを見出だしているのかで左右されているようです。
「死後の世界」が存在する、とする立場の人は、死からの蘇生自体が神聖な行為に見えます。
「北欧神話」の大神オーディンは、自らの体を槍で貫きながら九日間首を吊って自らを至高神に捧げて「大いなる魔術の真髄」を得ようとしたのです。これなどは「死と蘇生」の持つ神聖な面がクローズアップされた物語と言えます。
『幽☆遊☆白書』も「死後の世界」は存在するのです。しかしこちらは天国ではなく冥界が存在します。死んだ人間はもれなく冥界へと旅立つのです。これは仏教に基づいていると思われます。閻魔大王としてコエンマが出てくるわけですから、至極当然です。幽助は「暗黒武術会編」で戸愚呂兄弟と激戦を繰り広げ、父なる存在を知ります。
冥界は神聖な世界ではなく、妖怪が幅を利かせる弱肉強食の世界です。当然特殊な能力を持たない人間は扱いが低く、妖怪たちに虐げられています。そういう冥界から蘇生したのですから、幽助が「霊丸」を身につけても不思議はないのです。
キリスト教で言えば、イエス・キリストが十字架に磔にされ、ロンギヌスの槍で腹部を貫かれて処刑されます。いちおうは「神の子」ですから、その三日後に蘇生して神々の「奇跡」を起こせるようになるのです。新興宗教ではよくある話で、教祖は一度死んで、死後の世界から蘇生するときに不思議な力を授かるとされるパターンが多い。
「死後の世界」が存在しない、とする立場の人は、「無」からの蘇生であり世界の真理が「無」の中にある数少ない「有」で成り立っていると考えます。
深淵な「無」の境地に到達した人は、蘇生すると達観して「生」に執着しなくなるのです。なにせ死ねばただ「無」に帰すだけですから。そんな蘇生を経験したら、「無」の境地に存在する人物となります。仏教や禅宗では、お釈迦様が体現した「無」の境地へ近づくために座禅を組みます。
仏教が特異な宗教であるのは、「死」イコール「無」が示されているのに、天界の存在を明確に規定しているところにあるのです。死ねば「無」に帰すから「座禅を組んで」悟りを得る。つまり「無」の中に「死」を見るのです。
だから僧侶は民草の悩みを聞き、それは「無」からすればたいしたことではない、と諭せます。
仏教の僧侶は「座禅」により「無」を体験し、「死後の世界」を悟るために修行しているのです。「無」は「不思議な力」なのです。
なぜ蘇生すると人が変わるのか
「死」からの「蘇生」は神秘的であり、それを体験したら人格が変わると言われています。「臨死体験」を経ているからです。
人間、普通に暮らしていれば「臨死体験」する機会はまずありません。頻繁にあったらよほど治安が不安定だと言わざるをえないのです。
しかし「交通事故」や「病の重篤化」などで、心臓が止まったり脳波が途切れたりして「臨死体験」をした人は、決まって「幽体離脱」を説いています。自分の身体は病院のベッドにあり、意識だけが体から抜け出して死に際の自身の体を見下ろしていた、という証言が多いのです。
その経験は、おおかた心臓が再び動き出し、脳波が回復して重篤から意識を取り戻したときに発生します。その一瞬脳内でシナプスが過剰に接続することで、さも「臨死体験」で「幽体離脱」したという虚偽の記憶が定着してしまうのです。
しかし「幽体離脱」の経験をすると、人が変わります。豹変するのです。
それまで「お金がすべて」だと思っていた人が「慈善事業に勤しむ」ようになったり、「死に急いでいた」人が「生き続ける価値に気づいた」りします。
なぜ蘇生すると人が変わるのでしょうか。
「無」や「天界の扉」や「冥界へ渡る三途の川」を見たからです。
非日常に触れた人は、そのほとんどが人生観を変えます。
なにせ非日常は、日常には存在しません。だから人が変わってしまうのです。
強欲な人が死に瀕して快復したら、慈善事業家へと転身したケースもあります。
Appleの元CEOスティーブ・ジョブズ氏は、手術が困難な膵臓がんを患い、そこで生前整理を医師から勧められます。「死」を目前としてジョブズ氏はなにもできなかったとされています。幸いにもジョブズ氏の膵臓がんは手術で取り除けるもので、彼は死の淵から生還を果たしたのです。その後のジョブズ氏はiPhone、iPadを次々とヒットさせます。そして商品開発においても、高圧的な態度を改めて開発チームの主体性を重視し、やり甲斐を持たせたのです。
このように「死」に瀕すると人が変わってしまうのはよくあります。
小説の人物であっても、当然大病や大怪我を経験すると人が変わるのです。変わらないとしたら、かえって不自然に見えます。
「死」の直前まで体験し、自分にとってなにがたいせつだったのか、なにをこの世に遺したいのか。それを意識するようになれば、人は変われます。
「死と蘇生」の物語は、そんな心境の変化を味わう物語なのです。
最後に
今回は「物語100.死と蘇生」について述べました。
古くから「死」は恐れられていましたし、だからこそ「蘇生」を願う物語が世界中に見られるのです。
ギリシャ神話のオルフェウスや日本のイザナギのように、妻を蘇生させようとする行動がその端緒となります。
それだけ「死」は人類最大の脅威なのです。
「蘇生」を求める心境も、「死」から目を背けたい心の表れでしょう。
マンガの荒川弘氏『鋼の錬金術師』も主人公のエドワード・エルリック、弟のアルフォンス・エルリックが、亡くなった母トリシャ・エルリックを「蘇生」させようと禁忌の人体錬成を行なったところから物語が始まっています。
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