1355.物語篇:物語99.ダークヒーロー
今回はちょっとひねった「勇者」として「ダークヒーロー」です。
すべての「ヒーロー」は正義なのか。戦う相手は悪なのか。
あるかもしれませんが、それがすべての「ヒーロー」を覆えるものではないはずです。
物語99.ダークヒーロー
ヒーローでありながらも、他者の模範となるような人物ではない場合もあります。
ヒーローとはつねに正しい。そう見られています。
しかし現実のヒーローがつねに正しいとはかぎらないのです。
バットマン
ダークヒーローとしてまず挙がるのがDCコミックスのボブ・ケイン氏&ビル・フィンガー氏『Batman』です。
ゴッサム・シティにおいて名家の当主ブルース・ウェインがコウモリを模したマスクとコスチュームで悪と戦う物語です。
表向きは福祉や雇用拡大のために活動していますが、裏では両親の命を奪ったチンピラのジョー・チルへの「復讐」とコウモリへの恐怖からバットマンとして戦っています。しかし敵の命を絶つような真似はしません。それが人間性の維持につながっています。
まさにダークヒーローの先駆けと呼べるのではないでしょうか。
悪と戦うのはゴッサム・シティの住人を守るためではなく、両親を殺した相手を見つけ出して「復讐」するためなのですから。
「復讐」のためだけに複数の大学で犯罪心理学・法医学・化学・犯罪捜査術をマスターし、実践するために無一文で世界を巡る旅に出ます。そこでさまざまな武術や格闘技、さらには忍術までの武力と、治癒術や腹話術、追跡術、探偵術などのサポート術もマスターしていきます。
ゴッサム・シティに帰還後、じょじょにバットマンとしての活動を始めます。最初は「ゴッサムのダークナイト」「世界最高の探偵」「ケープをまとった救世主」などと呼ばれ、犯罪者たちの「恐怖」の体現者として恐れられるのです。しかし守ってきたはずの人々からも「ゴッサム・シティを暴れまわるヴィランと変わらない危険な存在」とみなされ、忌み嫌われる原因ともなりました。
ダークヒーローは「復讐」に駆られていて、人々を救っている自覚はほとんどありません。犯罪者を憎んで倒していくのが目的で、結果としてゴッサム・シティの人々を救っているにすぎないのです。
デビルマンと仮面ライダー
日本の英雄譚いわゆる「ヒロイック・ファンタジー」の中でも異彩を放つ存在。それがデビルマンと仮面ライダーです。
デビルマンはマンガの永井豪氏が生み出した、悪魔が取り憑きそうになって自殺した父の仇を討つために、不動明が悪魔の力を取り込んで戦うダークヒーローの物語です。この世ならざる力を有し、自らを悪魔へと変えなければならなかった奴らへの「復讐」のために戦います。それが結果として人間たちを救っているにすぎないのです。
仮面ライダーはマンガの石ノ森章太郎氏が生み出した、秘密結社ショッカーに肉体を手術で改造された本郷猛が、「復讐」のためにショッカーと戦うダークヒーローの物語です。
デビルマンと仮面ライダーの共通点はバットマンと同様「復讐」です。
ダークヒーローは「復讐」つまり「私怨」で戦うのであって、誰かを救うために戦っているわけではありません。ただ結果として誰かを救ってしまうから、彼らはヒーローと呼ばれてしまうのです。
しかし最近の「仮面ライダー」シリーズは、そのほとんどが「復讐」の物語ではありません。最初から「正義の味方」として正統派ヒーローを地で行っています。
初代ライダーである本郷猛の苦しみや悲しみの半分も、今の仮面ライダーは味わっていません。
本郷猛を演じた藤岡弘、氏は、今も自ら子どもたちの手本になるべく「仮面ライダー」であろうとしています。強きを挫いて弱きを助ける。そういう存在になるべく、現在も武道を極めようとしているのです。つまり「藤岡弘、氏は代表作『仮面ライダー』の名を汚さない」よう、自らを律しています。今の「仮面ライダー」シリーズは単にアイテムによって変身したり、武器を振りまわして戦ったりするだけです。
見栄えだけにこだわりすぎて、内容に深みがない。
現在放送されている『仮面ライダーセイバー』も多くのライダーファンから総スカンを食らっています。そのノリはもはや「仮面ライダー」ではなく「戦隊ヒーロー」シリーズと同じです。そもそも仮面ライダーを複数人登場させる意味はあるのでしょうか。
初代の『仮面ライダー』では、スタントなしのアクションシーンにおいて主演の藤岡弘、氏が大怪我をしてしまい、その穴埋めとして2号ライダーが活躍しています。その間1号ライダーは海外で戦っている設定です。
藤岡弘、氏が完治するとテレビには再び1号ライダーが登場し、2号ライダーとともにショッカーと立ち向かっていきます。
仮面ライダーが複数登場したのは怪我の功名であり、それが『仮面ライダーV3』以降「仮面ライダー」シリーズが次々と生まれ出たゆえんです。
それなのに現在では仮面ライダーが最初から複数名存在するのが当たり前。しかも影がないから存在に重さがありません。
いつから「仮面ライダー」シリーズはダークヒーローものでなくなったのでしょうか。
最近の視聴率低迷は、元来のダークヒーロー路線を捨てたからかもしれません。
やはり「仮面ライダー」は「復讐」に燃えるダークヒーローものだからこそ人々の関心を集めていたのです。
部活動で「仮面ライダー」をやるようでは、物語の重みや深みが感じられません。残念ながら『仮面ライダーセイバー』はこれからダークヒーローものに改心しないでしょう。放送開始から日の浅い今から変更できるのなら、ぜひやるべきです。見限っていた旧来のファンを取り戻せるかもしれません。
ダークヒーローは報われない
「ダークヒーロー」の物語はその性質上、どうしても「復讐」を果たす点にのみ重心が置かれます。
つまり「復讐」を果たしたら物語が終わるのです。
ハッピーエンドにはなりえず、「復讐」を遂げたあとの虚無感だけが残ります。
「復讐」を遂げたとして、ダークヒーローは報われるのでしょうか。
たとえ「復讐」を果たしたとしても、ダークヒーローはこれまでの「汚名」を背負って生きていかなければなりません。
たとえばマンガの石ノ森章太郎氏『サイボーグ009』のサイボーグ戦士たちは、皆ブラックゴーストによって肉体を改造された存在です。とくに009こと島村ジョーはほぼ全身を機械化されてしまいます。
そしてブラックゴーストを壊滅させたあと、サイボーグ戦士たちは元の肉体を取り戻せるでもなく、それぞれがあてどない旅へ出かけるのです。
そうです。たとえ「復讐」を遂げたとしても、改造や暗躍といったものは体に残り続けます。それと向かい合うたび、彼らは苦悩を深めて行くのです。
このあたりは『サイボーグ009』を読めばある程度理解できるのではないでしょうか。
最後に
今回は「物語99.ダークヒーロー」について述べました。
ヒロイック・ファンタジーの中でも異彩を放つ存在。それが「ダークヒーロー」ものです。
ダークヒーローは他者を救うのではなく、自らの「復讐」を遂げるために敵と戦います。その結果として人々を救うからヒーロー扱いされているだけなのです。
そしてダークヒーローがハッピーエンドで終わるのはかなり難しい。
主人公がなぜダークヒーローになったのか、その原因にかかわってきます。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます