1318.物語篇:物語62.犠牲と救済
今回は「メリーバッドエンド」についてです。
一見バッドエンドですが、違う角度から見たら一概にバッドエンドとは言い切れない物語もあります。
そういった「救いのあるバッドエンド」には一定の需要があるのです。
しかし原稿用紙三百枚・十万字では難しい。
物語62.犠牲と救済
「メリーバッドエンド」略して「メリバ」と呼ばれる作品群があります。
共通しているのは、誰かの「犠牲」と他の誰かの「救済」がセットである点です。
つまり「自分を損ねるけど、誰かが救われる」。
自分の命を投げ出してでも世界を救う正義のヒーロー。それが「犠牲と救済」の物語を端的に表しています。
犠牲を必要とする
他の誰かを「救済」するために、誰かが「犠牲」にならなければならない。
この状況で自らを「犠牲」に供する人物こそ真の「勇者」です。
自分の命を顧みず強大な「魔王」を倒そうとするなんて「自己犠牲」の精神でなければ貫徹できません。
「剣と魔法のファンタジー」の作品は、通常主人公が途中で変わりませんから、主人公が「自己犠牲」を厭わず「魔王」に立ち向かえるかどうか。これが主人公の精神的な成長を表します。
最初は誰だって腰が引けているものです。「勇者」に選ばれた青年だって、人生を賭して「魔王」討伐の旅に出るのは怖いはず。もし気楽に「魔王」討伐に出かけたら、きっと大怪我をするか命を落とします。しかしそこは「剣と魔法のファンタジー」の世界。最近では「巻き戻し」「ループ」「死に戻り」でいくらでもやり直せます。何度も死んで、そこから正しい道を見つけていく物語が多くなりました。
しかし本来「巻き戻し」「ループ」「死に戻り」が頻繁に発生してはならないのです。
頻繁に発生すると「命が軽く」なります。
最近のファンタジーはとにかく主人公がよく死ぬのです。
死んでも「死に戻り」で、ある地点まで戻されてしまいます。こうなると「命」に対する倫理観がどうしても薄らいでしまうのです。
「死に戻り」はいったん捨ててください。そうしなければ、あなたの筆力は確実に減じてしまいます。
物語をどんな展開にしても「死に戻り」で帳消しにすれば、「構成力」も「構想力」もまったく要らないのです。書き手をこれほど無能化できるシステムを他に知りません。
確かに単純な「勇者と魔王」の物語は、鉄板の展開がある以上「構成力」も「構想力」もそれほど要求されない。ですが「死なせないためにはどうすればよいか」をつねに考えながら物語を構成しなければならないので、矛盾のない範囲でどう対処させようかというケース・スタディーが学べます。
しかし「巻き戻し」「ループ」「死に戻り」だとどんなに悪くなっても帳消しになる。これで主人公が生存のために知恵を絞れるのでしょうか。
どんな物語にも「犠牲」はつきものです。
主人公自身が「犠牲」になる場合もあれば、仲間の誰かを「犠牲」にしなければならない状況もあります。
そのとき「犠牲」を甘受するか抗うか。それが主人公や「犠牲」となる人物の覚悟のほどを表します。
「死に戻り」ではその状態から「犠牲」の選択の前まで戻されるでしょうが、「死に戻り」厳禁としたらどう考えますか。
安易に主人公を殺せなくなりますし、仲間に死を与えるわけにもいきません。
勇者パーティーの生存のためには、誰かの「犠牲」が必要だとしても、それを拒否するのが勇者の役割です。
人身御供が当たり前の集落で「犠牲」を出させないよう立ち向かう。ギリシャ神話の「ミノタウロス」がそのような話ですよね。
世界を救うために命を張る。たとえ自分が「犠牲」になってでも「魔王」は倒す。
そういう心意気は読み手の心を強く打ちます。
失われる「犠牲」が大きなものであるほど「メリーバッドエンド(メリバ)」の感動は大きくなるのです。
犠牲の裏に救済あり
上記した「勇者が命を張って魔王を倒す」という物語の場合、「救済」されるのは全人類です。もし世界そのもの、銀河そのものが崩壊してしまうような危機であれば、世界や銀河を「救済」します。
しかしそんな大きな「救済」が物語に必要なのかどうか。
読み手が欲しい「救済」はそういった類いではないのです。
自らを「犠牲」にしたら、自らを「救済」してほしい。愛する者を「犠牲」にしたら、愛する者を「救済」してほしい。
戦争ものだと、結婚を意識していた男性が徴兵されて戦没してしまう。すると遺された女性は「救済」されなければならないのです。
「救済」されなければただの「バッドエンド」でしかありません。
「メリーバッドエンド」を目指すのであれば、「犠牲」が出たら誰かが「救済」される必要があります。
基本的に「犠牲」になった者は復活できず、「救済」されるのは守ったものだけです。
小説投稿サイトを中心としたライトノベル界隈では、「犠牲」になった人物が「救済」される物語は多数を占めます。
私がこのタイプの「メリーバッドエンド」に触れたのは、冴木忍氏『〈卵王子〉カイルロッドの苦難』が初でした。カイルロッド王子の出生の秘密と倒さなければならない「対になる存在」がつながっていて、カイルロッドは命と引き換えにして世界を救います。しかし物語のエピローグにおいてカイルロッドは「救済」されるのです。
この物語に触れたとき「こんな終わり方もありかもしれない」と思いました。
当時も今も、基本的には「ハッピーエンド」主義者ですが、『〈卵王子〉カイルロッドの苦難』は別腹でしたね。
他にも十年以上連載を追い続けた水野良氏『魔法戦士リウイ ファーラムの剣』も「メリーバッドエンド」です。やはり十年以上も追い続けると「メリーバッドエンド」でも「こんな終わり方もありかもしれない」と思います。
やはり連載が九巻も十巻も続くと物語に愛着が湧きますから、よほどハチャメチャな終わり方でないかぎり受け入れられるものです。「メリーバッドエンド」が評価されるのは、そういった「長期連載」作品だけだと思ってください。
「小説賞・新人賞」の原稿用紙三百枚・十万字の作品にはそんな愛着なんて湧きません。だから「小説賞・新人賞」で「メリーバッドエンド」を書いても評価されないのです。「小説賞・新人賞」へ応募するなら明確な「ハッピーエンド」か「バッドエンド」かにしましょう。まぁ「バッドエンド」は後味が悪いので、よほど文章と物語に自信がないかぎりやらないほうがよいのですけどね。
だから私なら「小説賞・新人賞」は「ハッピーエンド」で勝負します。読み終わったときの満足感が高いほうが評価されやすいだろうと思うからです。
誰かを「犠牲」にして、他の誰かを「救済」する話は深い作品にはなります。ですが物語に愛着を持っていなければ受け入れられないと思ったほうがよいでしょう。
三百枚・十万字で読み手に愛着を持ってもらうには、よほどの筆力と構成が不可欠です。初心者にはまずできません。
「メリーバッドエンド」は「ファンタジー」のほかに「推理」もので多用されます。「殺人犯」という「犠牲」を払ってでも「救済」したい人がいる。自己の利益のためでなく、他者を守りたいから罪を犯す。そういう構図だから「メリーバッドエンド」が成立するのです。
最後に
今回は「犠牲と救済」について述べました。
「犠牲と救済」は初心者が手を出すべき物語ではありません。
ある程度書き慣れてきた方が、連載小説として書くのが正しい用い方でしょう。
物語に愛着が湧いていないと「メリーバッドエンド」の余韻が働かないからです。
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