1308.物語篇:物語52.貧乏と成り上がり

 世の中は支配者よりも被支配者つまり「こき使われる人」のほうが数が多い。

 なので、小説でも主人公は非支配者が多いのです。

 読み手は主人公に共感しながら読みますので、「こき使われていた」ところから出発して、成功を収めて「成り上がる」物語に人気が集まります。

 その端的な例が「貧乏と成り上がり」の物語です。





物語52.貧乏と成り上がり


 貧乏だったり頭が悪かったりする主人公が、成り上がって人の上に立つ人物となった例が数多くあります。

 歴史を見ても、木下藤吉郎秀吉つまり豊臣秀吉は尾張中村の農家の生まれです。それが最終的には天下人となったのです。

 また中国でも三国時代蜀の皇帝となった劉備は、即位に際して「中山靖王劉勝の末裔」を名乗っていますが、元々は母とともにむしろを織って生計を立てていました。

 どちらも貧乏人が苦労を重ねて天下の一翼を担った例です。

 なぜ貧乏から成り上がると面白いのでしょうか。




名家の出は成功して当たり前

 たとえば松下電気器具製作所、今のPanasonicを創業した松下幸之助氏。彼は名家の出でしたが病弱でした。あるとき電球の二股ソケットを開発し、大ヒットを飛ばした勢いで起業しました。その後の快進撃は言わずもがなでしょう。

 Panasonicと双璧を成す家電メーカーの東京通信工業、今のSONYを創業した井深大氏と盛田昭夫氏もともに名家の出でした。日本初のテープレコーダーとトランジスタ・ラジオも作って経営が軌道に乗ります。

 面白いことに、名家の出が成功しても「そりゃ金があればいくら失敗しても生きていけるのだからなんでも挑戦できるわ」と見られます。松下幸之助氏も井深大氏も盛田昭夫氏も。たくさん失敗しましたが、生活が苦しくなるわけでもなく、次々と挑戦できるだけの資金を有していました。

 成功者の多くは名家の出です。まったくの貧乏から最高の地位に就いた人物は数少ない。

 発明王トーマス・アルバ・エジソン氏や、現代物理学の父アルベルト・アインシュタイン氏だって、小学校を追い出されても勉強できるだけの家系です。

 古代ギリシャまでさかのぼっても、ソクラテス氏やアルキメデス氏といった哲人は貴族しかなれません。貧乏人は奴隷として扱われ哲学なんて語っていられる世界ではなかったのです。

 父親が名家でも認知されずに農家の母に育てられたレオナルド・ダ・ヴィンチ氏は、貧乏人が努力して「父を見返してやる」という気概がなければ大成しなかったでしょう。

 名家の出は成功して当たり前。名家に生まれたのだから成功以外の結果はありえない。失敗したら没落する。

 そういう状況だったからこそ、貴族は地位を保っていられたのです。無能なのに貴族でいられるのは、よほど身分の高い名家の出でしかありえません。




十四連勝できますか

 ですが貧乏人は幾度ものバクチにすべて勝たなければ同じ土俵へ登ることすらできませんでした。

 たとえば勝敗半々の「丁半博打」で一万円を一億円にするには何回連続して勝たなければならないと思いますか。

 なんと「十四回連続」で勝たなければなりません。それこそ奇跡のような確率です。だから貧乏人が成り上がる物語は盛り上がるのです。

 もちろん一万円を一億円にするのに「丁半博打」を「十四回連続」で勝ち続ける必要はありません。それが唯一のルールではないからです。たとえば金持ちに取り入って資金を融通してもらい、レバレッジ(てこ)を効かせて勝負する方法もあります。失敗したときはさらなる貧乏を極めますが、うまく行けば「一勝」するだけで一億円を達成できるかもしれません。

 貧乏人はよほどの強運と知恵がなければ成功できないのです。

 つまり貧乏人が成り上がる物語は、宝くじを買った人が見る「一等当選の夢」と同じで、素直に計算すると確率が低いからこそ面白い。

 どんな強運と頭脳を駆使して成り上がるのか。

 その過程を見るから面白いのです。

 アニメのサンライズ『コードギアス 反逆のルルーシュ』は、元々名家の出であるルルーシュが、世界の片隅である日本(作中ではイレブンと呼ばれている)でそれなりの学園に通いながら、世界を作り変えるために策動する物語。

 スタート地点から「貧乏」ではありませんが、社会的にはひとりの高校生が世界を相手に反逆する物語は「貧乏と成り上がり」と言えます。

 物語の主人公に選ばれた人物は「ただの貧乏人」ではありません。必ずなにか得意なものを持っています。ルルーシュは頭脳明晰で策謀に長けていましたよね。

 もちろん「丁半博打」で「十四連勝」するほど強運の持ち主でもかまいません。それ自体が主人公としての個性です。




貧乏人は共感を呼ぶ

 木下藤吉郎秀吉氏も織田信長氏の草履を懐で温めたことで知己を得て、伍長を任せられてからどんどん頭角を現していったのです。もし木下藤吉郎秀吉氏が損得勘定で織田信長氏の草履を温めていたとしたら、かなり計算高い人物だと言えます。しかし当時は教育もさほど受けていないでしょうから、そこまで知恵はまわらなかったはずです。純粋に「お館様が冷たい思いをしないように」と思っていただけでしょう。その真心が人付き合いの悪かった織田信長氏に感銘を与え、なにかと取り立ててくれるようになった。そう考えるのが自然でしょう。

 室町時代末期に寺子屋なんてありませんからね。ひとりの農家の子でしかなかった日吉丸が、織田信長氏の庇護を受けて栄達の階段を駆け上がり木下藤吉郎秀吉を名乗る。羽柴家の家名を継いで侍大将となり中国方面の攻略を任されていたときに明智光秀氏の謀反が起こり、主君である織田信長氏が殺害されます。そこで中国平定を手打ちにして一挙に大返しして明智光秀氏を一番に倒す機会を得ました。それができるまでにじゅうぶん教育を受けていた証拠です。普通の武士であれば任されていた職務を果たしたのち取って返して明智光秀氏と雌雄を決しようとします。現に他の武将は任されていた地方平定を優先していたのです。しかし羽柴秀吉氏だけが中国平定を講和で収めて大返しして一番槍をつけました。侍大将となっても、純粋に織田信長氏を慕っていたからこそ、仇討ちを最優先させたのです。明智光秀氏は羽柴秀吉氏が本能寺の変からたった三日で戻ってくるとは想定していなかったでしょう。織田信長氏を葬った余韻に浸っているところで返り討ちに遭いました。

 元々羽柴秀吉氏は軍事の才能はほとんどありません。後世「人たらし」と呼ばれる、他人の心に取り入る術をわきまえていたのです。おそらく気難しい織田信長氏と付き合っていたことにより、相手を引き立てながら自分を売り込む術を手に入れたのでしょう。

 そういった想像が働くほど、貧乏農民が天下人となった「貧乏と成り上がり」の物語は人々の関心を集めます。





最後に

 今回は「物語52.貧乏と成り上がり」について述べました。

 いつどの時代でも好まれる物語が「貧乏と成り上がり」です。

 世の中には貧乏人のほうが多い。

 そもそも社会は貧乏百人を富貴なひとりが支配する形です。それが支配層と被支配層つまり奴隷層を生み出したとも言えます。

 これは王侯貴族でも、皇帝による中央集権でも、日本やアメリカのような民主資本主義でも、中国のような社会主義でも。いかなる社会でもひとりが何名もの下流層を支配している構造は変わらないのです。

 どんな社会でも貧乏な人はいる。そこにスポットライトを当てれば、より多くの人にウケる。至極単純な理屈です。



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