1307.物語篇:物語51.緊張と弛緩

 今回は「緊張と弛緩」についてです。

 多くの小説は「緊張」をうまく書けています。

 しかし「弛緩」も混ぜているかというとなかなか難しい。

「緊張」と「弛緩」はバランスが難しいのです。





物語51.緊張と弛緩


「緊張」とはサスペンスです。主人公を危機に陥れて、読み手をハラハラさせる展開を作ります。

「緊張」のない物語はまったりとしていて集中力が高まりません。

 俗に「ゆるふわ系」と呼ばれる作品ならそれもありですが、少なくとも「剣と魔法のファンタジー」や「推理」では「緊張」がなければまったく面白くないのです。





緊張が呼ぶサスペンス

 小説を読ませる力の中で「サスペンス」ほど強力な吸引力のある要素はありません。

 主人公を危機に陥れて、この先どうなるかわからない展開にして次回へ続く。すると、読み手は先が知りたくて仕方なくなります。

 たとえ物語の形で不安を煽るだけでもひじょうに効果的です。

 人間は不安を煽られると、無意識に危機管理しようとします。不安の解消こそ生き残るための最善策なのです。

 だからその回の引きで不安を煽られると、どうやって切り抜けようか考えてしまいます。すると結果を知りたくて続きが読みたくなるのです。

 では「主人公を危機に陥れる」とはなにか。

 たとえば「主人公がパーティー・メンバーと宿屋で酒盛りをしている場面の引きに、外で鞘から剣を引き抜いて構える誰かがいる」ことをさらっと書きます。

 すると「主人公たちが誰かから狙われている」と危機を感じるのです。

 ダンジョンの奥で古い宝箱を見つけ、罠を解除しようとする盗賊とそれを待っているパーティーに、壁を埋め尽くした大量の魔物の石像が襲いかかろうとしている。

 これもこの先の危機を感じさせますよね。

 成功するか失敗するか。

 そこに「緊張」が生まれます。

 そして「緊張」がハラハラ・ドキドキな「サスペンス」を呼び起こすのです。

「危機に陥る」のはかなり万能な「続きが読みたくなる」展開となります。

 そもそもなぜ「剣と魔法のファンタジー」が人気なのか、考えたことがありますか。

 未知の世界の出来事なので「なにが起こるかわからない」からです。

 現実世界を舞台にした「現実世界ファンタジー」に人気があるのも、ファンタジー要素があるため「先々の展開が予測不可能」という点にあります。

「推理」「ミステリー」に付き物の「謎」だって、「本質はどんなものか」わからないから読み続けられるのです。もしすぐに解ける「謎」だったら、「答え」が思い浮かんだところで興醒めしてしまいます。もちろんすぐに解ける「謎」であっても、いちおう「謎解き」の「答え」は読むのです。読んだ結果、読み手が考えついた「答え」のとおりならまったく面白くない。想定外の「答え」だから、前回終わりに出された「謎」による惹きを強めてくれるのです。

「ファンタジー」の先の読めなさや、不可能にも思える「謎」が書かれていると、読み手は「緊張」を覚えます。その「緊張」が「サスペンス」を生むのです。




緊張からの解放

 書き手によって高められた「緊張」は次回には答えが出ます。

「ファンタジー」の「なにが起こるかわからない」のも「なにかが起きた」という「答え」が用意されているのです。

「推理」「ミステリー」の「謎」にも「答え」が書かれています。

「緊張」状態にあった読み手は、「答え」を知って「緊張の糸が切れる」のです。

 日本ではそれを「安堵」と呼びます。

「答えが出てよかった」と思うからです。

 ですが「安堵」したところで不意討ちを食らわすのが「サスペンス」の特徴であり醍醐味でもあります。

 前に進もうと思ったら狼が待ち構えていた。気づかれないようにその場を去ってひと安心していたらそこに虎がやってきた。まさに「前門の虎、後門の狼」です。

 これで「万事休す」。と思いきや、実は左右の扉が開いていた。これで高まっていた「緊張」から一気に「解放」されます。

「なにが起こるかわからない」が「あれこれわかってきたぞ」とじょじょに見えてくると、読み手もじょじょに「緊張」から「解放」されてすっきりしてくるのです。

 もちろんすべての「ファンタジー」や「謎」から「解放」されるまでは、つねになにがしかが不安要素となって完全に「解放」されません。

 小説でよくある「バッドエンド」や「メリーバッドエンド」は、「あのときこうしていればよかったのでは」という読み手の気づきがあっても、それに対する「答え」がないのです。自分なりの「答え」があっても物語はすでに完結している。だから「バッドエンド」や「メリーバッドエンド」はあとあとまで気を惹かれてしまうのです。

 だからと言って「バッドエンド」や「メリーバッドエンド」のほうが格が上だとは思えません。

 物語は基本的にすべて作品の中で完結するべきだと思っています。

 あとあとまで気を惹かれるのは、作品としては「未完成」なのです。

「語られていないものを、読み手が補完していく楽しみ」があるのもわかります。

 中国古典『孫子』の著者・孫武や、『論語』に出てくる孔丘などは、どんな晩年を迎えて死んだのか、いっさい謎です。

 だからこそ「孫武は呉王闔閭の死後に生国の斉へ戻り、その子孫が『もうひとりの孫子』とされる孫ピンなのではないか」とする説がまことしやかに語られています。

 孔丘も盧の大臣職にありましたが、そのまま死んだとは書かれておらず、どうやら盧から出国して没したようです。元々孔丘は武闘派で、弟子の子貢や子夏などは諸国の政治家となりながらも政変が起こるとヤクザのように仁義を尽くして旧主を守って死にます。




弛緩で緊張との振れ幅を生む

 書き手は、どうしても「緊張」で「サスペンス」を生み出そうとしてしまいます。

 しかし「緊張」一辺倒だとワンパターンで「サスペンス」にも慣れてしまうのです。

 そこで「緊張」をどれだけ強めるかで、より強い「サスペンス」を生み出そうとしてしまいます。

 ですがそれは間違いです。

 確かに「緊張」にはレベルがあり、読み手が慣れないようレベルをじょじょに上げていけばそれだけ強い「サスペンス」が生み出されます。それはそれで事実なのですが、「緊張」のレベルはせいぜい十段階もあればよいほうです。

 となれば「緊張」の十段階を一から十へ振ればいちばん強い「サスペンス」が生み出せそうに思えますよね。ですが真面目な作品をさらに深刻にすれば強い「サスペンス」となるのかどうか。ならないのです。

 ではどうすればよいのでしょうか。

「緊張」の対極にある「弛緩」を用いるのです。

 対極である以上、「緊張」の振れ幅が二倍に増やせます。つまり十段階だったものが二十一段階になります(マイナス十からプラス十までの間に±〇があります)。

 なにがよいのかといえば、能天気にどんちゃん騒ぎをしたあとで、ラスボスと戦ってひとりずつ倒されていくような深刻な状況に追い込めば、「弛緩」十から「緊張」十まで、一気に二十一の振れ幅が書けるのです。

「緊張」しか使えない書き手では使うことさえできない振れ幅も、「弛緩」を操れば楽々と超えていきます。

 どんなに「緊張」が書きにくくても、「弛緩」さえ操れば同じだけの振れ幅が書けるのです。

 もちろん「弛緩」十から「緊張」十まで一気に振れる書き手が圧倒的に強い。

 ですが、最初からこのレベルを目指すのはまず無理です。

 多くの書き手は「緊張」を意識して書けますが、「弛緩」は才能によります。

「弛緩」と書いていますが、要は「お気楽」「お笑い」です。




弛緩は才能

「お笑い」は才能が必要ですよね。誰もがM−1グランプリで優勝できるわけではない。

 毎年四千余組が挑んで優勝するのは一組のみ。

 まぁときには準優勝のほうがフリートークでは面白くて人気者になります。

 オードリーとかナイツとか。

 ネタが面白いのとトークが面白いのとはまったく別の才能です。

 ネタが底抜けに面白くても、フリートークも面白い人はなかなかいません。

 フリートークでは誰よりも面白いのに、ネタをやらせるとスベりまくるというのもよくある話です。

 これは小説にも言えます。

 フリートークが面白いのに、作品で書いてもまったく面白くない。面白い掛け合いが書けるのに、フリートークはまったく面白くない。そんな方がザラにいるのが小説界です。

 フリートークの面白さと文章の面白さには因果関係はありません。

 面白い文章が書ける方は、才能があるのです。

 才能もないのに面白い文章など書けません。

 どういう文章が面白いかを知るには、「コメディー」小説を数多く読むしかない。

「コメディー」や「ラブコメ」が面白い書き手は、それだけ振れ幅の大きな作品が書けるのです。それは大きな武器となります。

 ですが多くの書き手には「お気楽」「お笑い」の才能がありません。

 ないものを書けと言われて書ける方は、すでにプロの域に達しています。

 及ばない方は、ないものを書けと言われて書いてもそうならないのです。つまり「面白くしろ」と言われて「面白くできない」のが凡人。

「緊張」は誰もがしますから誰もが書ける。しかし「弛緩」は才能が必要なので書ける人が限られます。

「小説賞・新人賞」の選考で、もし「シリアスな物語」と「コメディーな物語」が残ったら。大賞を獲るのは「コメディーな物語」です。

 これも「面白い」は「才能」だけど、「シリアス」は誰にでも書けるから。

 ですので「文豪」の「深い小説」ばかり読まず、ぜひ「お笑い」要素のある軽い作品を何作も読みましょう。どのような文章が「面白い」のかを知らずして「面白い」物語は書けません。

 どうしても「プロ」になりたければ、「お笑い」を極めるつもりで「面白い」作品を量産しましょう。大賞を授かってから勉強したのでは遅すぎますよ。





最後

 今回は「緊張と弛緩」について述べました。

 読み手が先を読みたくなるのは「緊張」によるものです。

 しかし「緊張」だけでは振れ幅に限界があります。

 それを突破するのが「弛緩」です。「弛緩」を操れば「緊張」の振れ幅は最大二倍になります。

 そんな「弛緩」は「コメディー」小説を数多く読まなければ身につきません。

 評価の高い作品には、いつもどこか笑える要素があります。

 振れ幅の大きな作品は、それだけで評価されやすいのです。



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