1303.物語篇:物語47.喪失と復讐
今回は「仇討ち」の物語です。
なにかを失い、復讐を誓う。復讐を成し遂げた先にあるものとは。
だいたい暗いというか辛気くさい結末になるのですが、それは「仇討ち」するには初めにたいせつななにかを失わなければならないから。そしてそれは二度と戻ってきません。
物語47.喪失と復讐
たいせつな物を壊されたり奪われたり、たいせつな人を害されたりして、その復讐を果たす物語です。
単に失ったもの奪われたものを取り戻す物語もありますが、それは「物語10.略奪と救出」に分類できますね。
こちらはの目的は「仇討ち」です。
たいせつなものを失う
皆様も、これまでの人生でたいせつなものを失った経験があるはずです。
その喪失感たるや、食べ物も喉を通らない、なんのやる気も湧いてこない、ただただ泣き暮らしている。そんな負の感情が引き出されます。
しかし物語の主人公は、そのまま嘆き悲しんでいられません。
そこからなんらかの行動を起こすから、物語が始まるのです。
主人公が動き出すまで物語の流れも止まってしまいます。どんなに嘆かわしい旨を書き連ねても、書き出しの魅力はいっこうに増しません。
「喪失」の悲しみを力に変えて「復讐」の道を進むのが、物語の主人公なのです。
失ってしまうものにはさまざまあります。
形あるもの、たとえば宝飾品、絵画、彫刻などの美術品。命あるもの、たとえば肉親、親友、仲間、恋人から、ペットの犬、猫、鳥、爬虫類、昆虫など。また金銭を失う場合もあります。
すでに時効となった「府中三億円事件」も金銭が失われた物語とも言えます。小説にするなら少なくとも失われた三億円を「救出」する物語ではありません。奪われた三億円を取り戻して犯人を処罰する「復讐」の物語なのです。
推理もの
「府中三億円事件」の物語でも明らかなように、「推理」ものは「喪失と復讐」の物語になりやすい。
犯人は被害者によってなにかを「喪失」してしまう。その「復讐」で被害者を殺傷したり強盗殺人したりなどするのです。
「喪失」したら「復讐」するのはほとんど反射的です。よく「カッとなってやった」という言葉がありますよね。たいせつにしていたものを「喪失」されたら、誰だって簡単にキレてしまうのです。
しかし社会的な生き物である人間であれば、感情は抑制とは言いませんがコントロールできるようになりましょう。
冒頭で主人公がカッとなって事件を起こす作品は多いですね。平常心でいるときは事件なんてまず起こりませんから。
傷害事件や殺人事件は、よほどの計画性がないかぎり、そのほとんどが衝動犯です。
それに対し窃盗事件や現金輸送車襲撃や政治犯などは確信を持って行なっています。衝動で窃盗してもすぐ捕まるだけです。これらは綿密に計画を練り、「これなら足はつかない」と判断して行動しています。
ではそれらの罪を犯すに至った理由はなにか。
たいていがなにかを「失って復讐しようとした」か「ラクがしたいから」です。
「ラクがしたいから」罪を犯す主人公では、まず小説になりません。
そもそもそんな主人公に感情移入できる読み手はまずいないのです。
無職でなにをやってもうまくいかず「ラクがしたいから」小説でも書こうか。
しかもなぜかすいすいと大賞を射止めるケースが多いのです。
そんな主人公に触発されて、あなたも小説を書こうとしているのかもしれませんね。
でも現実は厳しいんですよ。それは後述しますね。
復讐する
ここで言う「復讐」は「仇討ち」と呼ぶべきでしょうか。
たいせつな人を失って、殺した相手に報復するのです。
悪には悪の報いが、罪には罪の報いが。必ずなければなりません。
犯罪の逃げ得ではなかなか大衆に好まれません。勧善懲悪を読み飽きた一部の選考さんにはウケるでしょうが、万人ウケはしません。
万人は「罪を犯せば報復が待っている」物語でなければ、スッキリしないのです。
「勧善懲悪」と呼べば簡単ですが、実現するのは難しい。とくに父親を殺された妻子が
ですがここで「勇者パーティー」や「水戸の御一行」が通りがかってしまうと、まったく別の物語になってしまいます。
どうしても復讐したい相手がいるのに、自分たちの力だけではどうにもならないのではないか。それでも「仇討ち」したいと思えば、一か八か、命懸けの対決をするほかないのです。
そのためにはどうすれば復讐を遂げられるのか。手段をあれこれ講じなければなりません。そうしなければいつまで経っても憎き敵は討てません。
できるだけこちらの損害を減らして相手の息の根を止めるのか。それを考えなければなりません。ここが「推理」ものの「犯罪計画」と同じなのです。
寝首をかくにしても、相手に油断してもらわなければ返り討ちに遭います。
食事に睡眠薬や毒薬でも仕込めば殺せるでしょうが足がつきやすい。
ではどうすれば「復讐」を遂げられるのか。
それを考えるのが「喪失と復讐」の物語の醍醐味でもあります。
賞レース
会心の傑作を「小説賞・新人賞」へ応募したけど、一次選考すら通過しなかった。
よくある話です。なにせ十人中九人が落とされます。これでいちいちキレていたら、脳血管が何本あっても足りません。
二次選考もやはり十人中九人が落とされるので、二次選考を突破するのは応募者の実に百人にひとりなのです。
よく聞かれる質問に「一次選考が突破できない」「二次選考止まり」というものがあります。
私は元書店店長ですが、選考に携わってはいません。すべて「小説賞獲らせます」系の書籍からの受け売りで述べます。
まず「一次選考」は日本語として不自然なところはないか、という文章の基礎である日本語文法が求められるようです。ただし文法違い以上に魅力のある作品なら、たとえヘタでも一次選考を通過できます。ですが「一次選考」では通過理由が寸評されません。だから誰もが「どうすれば一次選考を通過できるのですか」と質問されるのでしょう。主に「正しい日本語」を使っているのか。稀に「物語が群を抜いて面白いから」です。
では「二次選考」を通過するにはなにが求められるのか。「物語の面白さ」です。一次選考で「正しい日本語」がチェックされ、満たされていれば内容をチェックされます。内容がずば抜けて面白ければ、多少日本語が怪しくても一次選考は通過するのです。しかし二次選考でも頭抜けていなければ「正しい日本語」で「面白い物語」には勝てません。
つまり「二次選考」を通過するためには、「正しい日本語で面白い物語」か「日本語が怪しくても飛び抜けて面白い物語」である必要があります。そしてたいてい二次選考で弾き返される方の多くは後者です。
不思議なもので、「小説賞・新人賞」で一次選考・二次選考を通過できない理由が、自分の文章力にあるとは気づいていません。
だから「もっと面白い物語が書けなければ入賞すらままならない」と思い込んでしまうのです。
しかし実際には「文章力」つまり「正しい日本語」のほうが比重は大きい。
「正しい日本語」を疎かにするから「より面白い物語を書かなければ入賞できない」事態に陥ります。
私の見るところ、小説投稿サイトの作品は総じて「物語は面白い」のです。しかし「正しい日本語」で書けていない作品が圧倒的に多い。それが「小説賞・新人賞」の結果にも表れます。
あなたの書いた物語は、確かに面白いのです。しかし日本語力が及ばないから一次選考すら通過しません。
もしあなたが「正しい日本語」を誰よりも早く身につけたら、きっと皆を出し抜けるでしょう。
最後に
今回は「物語47.喪失と復讐」について述べました。
主人公はなにかを失って、それを奪っていった相手に復讐を果たす。
「勧善懲悪」は戦闘力が高い人間が行なうものであり、非力な女性や子どもが復讐できるわけがありません。だから「復讐」計画に頭をひねるのです。
ついでに「小説賞・新人賞」の「一次選考」「二次選考」の通過基準についても触れました。通過できない理由は「日本語力」が足りないからです。稀に物語が斬新であれば日本語が怪しくても一次選考は通過できます。しかし二次選考では同じくらい「面白い」作品との競争になりますので、「日本語力」の不利は入賞への高い壁となるのです。
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