1299.物語篇:物語43.挫折と立ち直り
主人公といえど人間です。完璧ではありません。
だからこそ「挫折」してしまいます。
しかしいつかは「立ち直っ」てまた前進を続けなければなりません。
それは目的を果たす旅が終わるまで、物語も終わらないからです。
物語43.挫折と立ち直り
主人公は当初ある面が人よりもすぐれていると自慢しているものです。
しかしある日それを上回る人が現れて、主人公は「挫折」します。
そんな主人公が「立ち直る」物語です。
得意がっているから挫折する
人が「挫折」するには理由があります。
得意がっているところで鼻を折られるようなことが起こると、人は「挫折」するのです。
たとえばバスケットボールのスリーポイントシュートが得意な選手が主人公だとします。そこに新入部員として「センターサークルからスリーポイントシュートを決められる選手」が現れたとしたら。「自分こそが得点源だ」と思っていた主人公の天狗の鼻を折られます。そして「挫折」するのです。
パソコンで一分間に百二十字入力できる主人公の前に、百八十字入力できる人が現れたら。しかも一万字に三文字の入力ミスをする主人公に対して、一文字もミスしない。あれだけ得意がっていたにもかかわらず、大きな「挫折」を味わいます。
「挫折」の理由は上記の「得意がっていたのに、上には上がいた」パターンが主です。
もうひとつ、「自分にはできないことをやってのける人がいた」パターンでも「挫折」します。
大学病院の消化器外科医師が主人公で、病人がとても難易度の高い手術を要求している場合。外科エースの主人公でも手に負えません。そこに現れた無免許医師が、いともたやすく施術していくさまを見せつけられる。これで「挫折」しない人がいたら、かなり鈍感です。とくに自分が「外科のエース」と自認しているのなら、なおさら見ず知らずの人間に手術を成功させられたら「挫折」しますよ。
今までの自分はただの「お山の大将」でしかなかったのか。「井の中の蛙大海を知らず」ではなかったのか。そう悩み苦しむはずです。
成長を重ねて自信を深める
「剣と魔法のファンタジー」の「勇者と魔王」の物語でも「挫折と立ち直り」は成長を表現する手段として多用されます。
物語の始まりで村を壊滅され、主人公も魔王に一太刀浴びせようとするも片手でひねり飛ばされる。その「挫折」を機に鍛錬を積み、四天王を次々と倒して自信を深めるのです。そしてついに魔王との最終決戦へ挑みます。
これなどは「勇者と魔王」の最たるもの。鉄板のテンプレートなのです。
ここで挙げたように、一度「挫折」したら鍛錬に励み、成長しなければなりません。成長せずには「立ち直れ」ないのです。努力に裏打ちされた技術や体術の習得がなければ成長しませんし、成長しなければ強敵にも勝てません。絶対的な実力を有する魔王に勝つため、四天王との激戦を制さなければならないのです。そうやって次々と実力者を倒していくから自信を深めて、一度「挫折」した魔王に再度挑めます。
「挫折」を乗り越えるには鍛錬して成長するほかなく、成長して自信を深めてもギリギリ勝てるか勝てないかくらいの激闘だからこそ手に汗握るのです。
魔王は成長していますか
しかし多くの「剣と魔法のファンタジー」の作品は間違っています。
それは「主人公は成長するのに、魔王が成長していない」のです。
魔王の実力が以前手合わせしたときのまま。これって不自然ですよね。
主人公は命を賭した努力で成長するのに、「対になる存在」の魔王が成長していない。もちろん実力に自惚れて鍛錬を怠っているのかもしれません。でも魔王は強さをたのみとするはず。強さを追い求めなければ整合性がとれないのです。
魔王が成長しないなら、しないなりの理由が欲しい。
もし魔王がロボットだったとして、核爆弾を搭載していたのを陽子爆弾に変更されていた、なんてこともありえます。
高齢で実力を維持するのが精いっぱいなら、そのように書けばよいのです。
まだ壮年くらいで成長の余地があるのに成長を怠る魔王はいるのでしょうか。
将棋界をご覧ください。
若手の主人公・藤井聡太八段(棋聖・王位)が、魔王の異名を持つ渡辺明九段と再びタイトルをかけた勝負となるのかに注目が集まっています。魔王・渡辺明九段は今の将棋に満足しているのでしょうか。おそらく満足していないでしょう。将棋を極めていない身としては、一秒でも長く対局を考えます。対戦相手が藤井聡太八段に決まったときを考えて新しい将棋を模索しているはずです。
もちろんこれ以上強くなろうというモチベーションがない魔王なら修行はしないでしょう。魔王にそれまでこれといった「挫折」がなければ強さに自惚れても致し方ないところです。それならそうと物語で示しましょう。
だから魔王が成長していない「勇者と魔王」の物語は底が浅いのです。成長させたくないのであれば、それなりの理由が要ります。
立ち直るには自信が必要
一度「挫折」した勇者が「立ち直る」には、鍛錬に裏付けられた自信が必要です。
鍛錬ののち以前なら負けていた四天王のひとりに勝てたら、それが自信となって「立ち直れ」ます。
鍛錬をして「このくらいで」と思って四天王のひとりと戦ったらまた負けた。自信がなくなりますしまた「立ち直れ」なくなります。
小説の主人公において、鍛錬をしたのにもう一度撥ね返されるなんてまずありません。努力が実を結ぶから物語なのです。
ここで変なリアリティーを求めて、鍛錬したのでこのへんでいっちょ戦ってみるか、などとジャッキー・チェン氏の映画「カンフーマスター」シリーズのようなやんちゃをさせないように。
人間味は感じられますが、再挑戦をまた撥ね返されたら、同じことの繰り返しですよね。小説にムダは要りません。挑む⇒負ける⇒鍛錬する⇒再挑戦する⇒勝つ。これ以外の流れなんて必要ないのです。挑む⇒負ける⇒鍛錬する⇒再挑戦する⇒負ける。でループするだけの紙幅なんてありません。連載マンガじゃあるまいし。
たかだか原稿用紙三百枚・十万字しかない長編小説に三度目の挑戦はありえません。そんな余裕はないのです。あるとすれば戦記ものくらい。戦争ならきわめて短期間に三度戦っても不思議ではありません。先に二敗しても、最終決戦に勝てばよいのです。
この場合は「立ち直る」のは最終決戦に勝ったときになります。
最後まで負けて、それでも「立ち直れ」る物語もあるにはあるのです。
今の全力を出して、やれることはすべてやった。出し切った。だから悔いはない。
高校野球をテーマにした作品ではよくあります。
そもそも高校野球をテーマにした作品はすべて全国大会で優勝しなければならないのか。そこからして疑問ですよね。負けて綺麗さっぱり終わる物語だってあるはずです。
試合には負けても、人生では「挫折」からきちんと「立ち直っ」て終わる。だから負けたのに読後感がよいのです。
最後に
今回は「物語43.挫折と立ち直り」について述べました。
いっさい「挫折なし」で勝ちきる物語に魅力はありません。
一度は負けて「挫折」し、鍛錬して強くなり、「立ち直っ」て再挑戦し勝つ。
だからドラマチックなのです。
このパターンは一度しか使えないと思ってください。同じ相手に何度も「挫折」するような物語は、ただの水増しでしかありません。
「挫折」は一回だけにして、しっかりと鍛錬を積ませて主人公をたくましく育てあげましょう。
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