1272.物語篇:物語17.貴族と革命
今回は「貴族と革命」についてです。
「剣と魔法のファンタジー」では基本的に「革命」は起こりません。世界観ががらりと変わってしまうからです。
ですが単なる「剣と魔法のファンタジー」に飽きたら、一度は挑戦していただきたい物語になっています。
とくに「革命」はひじょうにドラマチックな場面を演出してくれるのです。
物語17.貴族と革命
世の中には「既得権」を有している人たちがいます。
「貴族」と呼ばれる彼ら彼女らはそこから権益を得てボロ儲けしているのです。
人によっては働かなくても暮らしていけるくらいの権限を有しています。
「剣と魔法のファンタジー」であれば国王や貴族は、とくに働かなくても生活していけるのです。
しかし既得権者の天下は永遠には続きません。必ず既得権は奪われるかなくなります。
貴族と革命
「剣と魔法のファンタジー」で描かれることの少ない物語に「貴族と革命」があります。
働かなくても暮らしていける人たちと、彼ら彼女ら「貴族」から既得権を取り上げる民衆の物語です。
いちばんわかりやすい例は、マンガの池田理代子氏『ベルサイユのばら』ではないでしょうか。
主人公である男装の近衛隊長オスカルとフランスのブルボン王朝マリー・アントワネット王妃、ルイ十六世など「王族」「貴族」側の人たちの日常に、ある日「革命」が起こります。「フランス革命」です。フランス革命戦争により「王族」「貴族」は既得権を奪われて平民以下に扱われ、市民に処刑される者も多数出ました。
寓話『シンデレラ』で主人公シンデレラの住む家も、王子が出席する舞踏会に参加できるほどの「貴族」です。シンデレラ自身が下女のような「灰かぶり」な女性に設定されているので気づきにくい。でも当然シンデレラ自身も「貴族」の端くれではあるのです。
それはそうですよね。たとえ王子様にひと目惚れされて結婚するにしても、平民の娘が相手ではすんなりと結婚なんてできはしません。必ずひと騒動あるはずです。でもシンデレラもいちおうは「貴族」ですから、みすぼらしい生活を余儀なくされていたとしても結婚は王族としても受け入れやすかったのではないでしょうか。
話は逸れましたが、ライトノベルとしても小説投稿サイトとしても「貴族と革命」の物語はほとんどありません。
私が知らないだけかもしれませんが、知らないくらいマイナーな物語だとは言えますね。
「貴族」が王族に反乱を起こす物語はあっても、「貴族と革命」をテーマにした物語はまず見当たらない。それほど難しい物語なのだと思います。
逆に言えば「貴族と革命」の物語がうまく書ければ、「小説賞・新人賞」なんて一発合格するくらいのインパクトは残せるでしょう。
マンガの尾田栄一郎氏『ONE PIECE』も「貴族」な海軍と、その支配を壊そうとする海賊との一大決戦として見れば「貴族と革命」の物語です。
アニメの谷口悟朗氏『コードギアス 反逆のルルーシュ』も主人公ルルーシュ・ランペルージが実は神聖ブリタニア帝国の王位継承権を持つ、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア王子です。ルルーシュは祖国・神聖ブリタニア帝国など世界に対して反逆を起こし、戦争のない世界を築こうとする、つまり「貴族と革命」の物語です。
『ベルサイユのばら』にしても『ONE PIECE』にしても『コードギアス 反逆のルルーシュ』にしても。多くのファンに支えられて今日に至ります。その要因は珍しい「貴族と革命」の物語だからかもしれません。
既得権を奪われる
「革命」とは中国で「天命が
桀王も紂王も、反旗を翻されて捕らわれ処刑されています。
しかし面白いことに、桀王の家族も紂王の家族も連座して誅殺された記録は残っていません。紂王の息子たちは領地まで与えられています。「フランス革命」では一族郎党処刑されたというのにです。
これはもうひとつの「革命」のせいだと思われます。「非支配階級が、支配階級を倒して政治権力を握り、国家や社会の組織を根本的に変えること。」です。根本的に変えるために、既得権者をすべて葬り去ります。これはニッコロ・マキャヴェッリ氏『君主論』でも明確に示されているのです。つまり「マキャヴェリズム」の初歩として「既得権者を根絶やしにしなければ、いつか担がれて反乱が起こる」という認識がヨーロッパにはありました。
だから「フランス革命」ではブルボン王朝に連なる人は皆殺しにされているのです。
その後王政が終焉を迎えて弱体化したフランスに諸外国から軍が差し向けられます。自国の王政が覆されないよう、フランスの領土国民を奪って自らの支配権確立につなげたかったからでしょう。卓越した軍才を誇るナポレオン・ボナパルト氏が、のちにフランス皇帝となって既得権を得るとは、そのとき誰も想像していませんでした。
企業小説に見る貴族と革命
企業小説として「貴族と革命」はネタになります。
創業社長が社員たちの反対に遭って追放されるなんていう物語は、企業小説としては書きやすく評価されやすいネタです。
それはそうですよ。千人の社員がいる会社に社長はただひとり。一対千では数の不利は明らかです。
そのため社長は人事権と賞罰権を手放せません。どちらかでも他人に委ねてしまえばいつか「革命」を起こされます。社長にとって人事権と賞罰権は「既得権」なのです。これを奪われてしまうと、もう社員は誰ひとりとして社長の命令に従いません。社員を損ねる権限が社長にないからです。
会社の話をしたので「貴族と革命」の少し変わった物語についてもお話しましょう。
一流企業に立ち向かうベンチャー企業。これが「貴族と革命」の少し変わった物語です。
今なら任天堂やSONYといったゲーム界の巨人に挑むスマートフォンのソーシャルゲームを運営するベンチャー企業の構図が考えられます。
一時期「貴族」である任天堂は存亡の危機まで追い込まれるのです。しかしソーシャルゲーム『Pokemon GO』の大ヒットによって命脈をつなぎとめ、逆にベンチャー企業へ反転攻勢を仕掛けるに至ります。
現在は新型コロナウイルス感染症による外出自粛が続いたため、同社のゲーム機『Nintendo Switch』の爆発的なヒットもあって、任天堂はゲーム業界のトップを快走しているのです。
一方SONYはゲームよりも、ソニー銀行やソニー生命やソニー損保などの金融、スマートフォンのカメラユニットなどに活路を見出しており、安定した業績をあげる企業となりました。SONYにとってゲーム機はすでに「お
ですがここでも新型コロナウイルス感染症が関係してきます。なんとそれまでお荷物だったゲーム事業だけが売上を急激に伸ばし、需要減となったカメラユニットやミラーレス一眼カメラのマイナスを帳消しにするどころか決算で黒字化させてしまうのです。
そんな中で十二月には『PlayStation 5』が欧米市場で発売される予定となっています。日本国内のリリースは未定です。日本企業なのに。
このように一流企業の既得権益をベンチャー企業が奪い去っていくさまは「貴族と革命」の物語の引き写しとなっています。
池井戸潤氏「半沢直樹シリーズ」「下町ロケットシリーズ」なんて、下剋上が当たり前の痛快企業小説です。
最小の構図
「貴族と革命」の物語の難しさは、どうしても規模が大きくなるところから来ているのです。
国家対民衆、一流企業対ベンチャー企業など、普通に考えるとどうしても規模が大きくなります。
そこをあえて小さくするなら「いじめっ子対転校生」も考えられるでしょう。「いじめっ子と転校生」は「勇者と魔王」でも触れていますが、物語としては「貴族と革命」にもしやすいのが特徴です。
既得権を破壊し覆す弱者が主人公の物語。
その最小の形は「親と子」です。
子はいつか親を越えていきます。それまで「家族の生計を立てる」のは親の役割で、そのため親の権限が高い。しかし子が就職して生活費を入れるようになれば「革命」が起こって子の権限が高まります。もちろん親も歳をとるにつれ衰えていきますから、子の介護を受けなければなりません。その時点で子の「革命」は成功しているのです。
親の天下は長く続かない。いつか子に取って代わられる。
そういった人間関係を描ければ、「貴族と革命」の物語もすんなりと書けるようになります。
最後に
今回は「物語17.貴族と革命」について述べました。
どうしても規模が大きくなりがちで、連載小説向きの物語ではあります。
しかし「親と子」のような小さな構図に気づければ、これほど含蓄のある物語も珍しい。
だからこそ「小説賞・新人賞」を狙うには格好の物語です。
ぜひ挑戦してみませんか。
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