1270.物語篇:物語15.職業と役割

 最近「職業」ものの小説が増えてきたように感じています。

 もちろん今までも冒険者だったり勇者だったり、なんらかの「職業」には就いていたのです。

 でも最近は一般的なよく見られる「職業」が物語の主役を張るケースが増えました。





物語15.職業と役割


 最近の小説投稿サイトでは「職業」ものが流行っています。

 戦士・魔術師・神官・盗賊などの冒険者は当たり前すぎてすでに飽きられているのです。今は商人・農民・職工・主夫など戦いとは無縁の職業が主役として持て囃されています。

 職業は星の数とは言いませんが、数百種類はあるはずです。

 どんな職業の主人公が活躍する物語なのか。これが差別要因なのです。




主人公が戦う職業ではない

 商人は、物を仕入れて他人へ売って利益を上げるのです。

 だから商人が主人公なら「物を仕入れて他人へ売る」物語がまず考えられます。

 しかしそれだけでは「異世界ファンタジー」にする意味がありません。

「異世界ファンタジー」にするなら、地方の国で仕入れた商品を中央国家へ輸送する途中で魔物に襲われる、という鉄板の物語があります。

 ここで商人の主人公は、ある人は腕力で、ある人は魔法で、そしてある人は財力でなんとかしてしまうのです。

 この中では「金に物を言わせる」財力こそ主人公を商人にした最大の理由となります。

 農民なら開墾技術、栽培技術などを戦いに活かせないか。まさか鍬や鋤を武器に最強の敵を倒す物語なんて考えていませんよね。確かに戦う職業の人間がまさか鍬や鋤を武器にするはずはない。それらを武器にできるのは農民だけ。でも武器を使って戦っている時点で、戦士となんら変わりません。

 もし敵が土地を痩せさせ、収穫量が激減して食糧が急減しかねない、という事態が発生したら。主人公の農民は特別な開墾技術で肥えた土地に戻せるかもしれません。これが主人公を農民にしたときの鉄板の物語です。

 職工は鍛冶屋が多く、勇者にすぐれた武器を授けて強くしていくのが鉄板でしょうか。鍛造技術を磨いて一戦ごとに強い武器を供給できれば、無名の若者を無敵の勇者に仕立て上げられます。これは鍛冶屋でなければできない物語です。

 戦う「職業」でもないのに剣術や魔術で魔物を撃退するのなら、主人公はなにも戦わない「職業」である必要がないのです。護衛や守備する戦士や魔術師を主人公にしたほうが構造は単純になります。

 まぁ過去に最強戦士だったとか最強魔術師だったとか。最近の小説投稿サイトで流行りの「職業」ものではそんな設定が多いですよね。「今は商人をしているけど、昔は世界最強の戦士だった」チート設定は定番となっています。

 これは小説投稿サイトでの「職業」ものの特徴です。

「今はこんな職業だけど、昔は世界最強」ばかりが目立ちます。

 これだと今どんな「職業」であっても意味がありません。やはり「職業」にはその「職業」にふさわしい戦い方があるはずです。それこそが「職業」ものに求められています。

「小説賞・新人賞」で「職業」ものに挑むのなら「昔は世界最強」だけは避けてください。凡百すぎてまったく評価されません。




職業によって物語の役割は異なる

 主人公の「職業」によって、物語での役割は大きく異なって当たり前です。

 普段は商人や農民や職工や主夫として暮らしている。ごく当たり前の日常です。

 しかしある日突然生活を脅かされる事態が発生します。

 まったく同じ事態でも「職業」による役割の差が表れるのです。

 もし魔王が現れたら、商人は財力で、農民は食糧で、職工は武器で、主夫は身のまわりの世話で、勇者を支援します。

 他にもさまざまな「職業」があり、「勇者」ではない主人公はさまざまな方法で「勇者」を操り、魔王退治に挑むのです。

 もしかしたら、そのうち主人公が「勇者」になるのかもしれません。それでも当面は「職業」に見合った支援の仕方をします。そうでなければ「職業」ものにする必要がないからです。

 国の役人にもさまざまな人がいますよね。『遠山の金さん』は町奉行、『銭形平次捕物控』は岡っ引き、『鬼平犯科帳』は火付盗賊改方と違いますよね。『暴れん坊将軍』なんて将軍が主人公ですし、『水戸黄門』も先の副将軍です。時代劇を観るだけでも、さまざまな「職業」ものに触れられます。

 徳田新之助は将軍でありながらも最後は殺されそうになり、「成敗」と言ってお付きの忍者に親玉を斬り殺させます。将軍自らは手を下しません。その証拠に刀を抜いて敵が襲ってくるまでの間に刃を返して全員を峰打ちしています。

 このあたりは『水戸黄門』も同じで、水戸光圀公は杖を使って殴るだけ、佐々木助三郎、渥美格之進は峰打ちや腕力だけで敵をさばいていきます。しかし忍者である風車の弥七やかげろうお銀は容赦なく斬り殺しているのです。やはり忍者は手加減なしか。柘植の飛猿は忍者でも腕力で勝負するタイプなのでまだ救いはありますが。

 このように「職業」によって物語での役割は異なるものです。

 別にその「職業」でなくてもやれるのなら、「職業」にこだわる意味がありません。

 主な読み手が中高生であるライトノベルだから、主人公も中高生がいいな。

 これだけだと「職業」として弱すぎます。部活動で武術をやっているのなら、異世界で活躍できるかもしれません。でも文化系だとなんの役にも立たないですよね。まぁ声楽部なら吟遊詩人になればよいのですが。生徒会役員が異世界に行ったら、なにができるのでしょうか。仮にできたとして、それは生徒会役員でなければできないのでしょうか。物語の構成を考える手をいったん止めて、必然性に注目してください。

 その「職業」でなければ成立しない物語なのかどうか。

 その「職業」だからできるものなのかどうか。




身分を偽る

 水戸光圀公が「越後のちりめん問屋の隠居・光右衛門」でなければならない理由は必ずあります。身分を隠すとしても「アパレル会社の会長」くらいの格がないと先の副将軍とのギャップがありすぎてしまいますからね。

 将軍・徳川吉宗が「貧乏旗本の三男坊・徳田新之助」を名乗っているのは、市井を正しく見るためには最低限武士でなければならないからです。護身用に刀を差すとしても、武士でなければ不審がられます。だから武士の中でも最下層と思われる「貧乏旗本の三男坊」を決め込んでいるのです。

「位が高い人物」以外では、とくに「悪名高い人物」が身分を偽ります。

 素性を知られてしまうと脅されるおそれがあるからです。

 川原礫氏『ソードアート・オンライン』において、主人公キリトが「悪名高い」ビーターであることを隠すのも、偏見で見られてしまうから。結局のところ「浮遊城アインクラッド」を攻略したのは「黒の剣士」と通称だけが残っています。もし「キリト」の名が残ってしまうと、他のVRMMORPGでは別名を名乗らなければならなくなり、読み手が混乱してしまうでしょう。作者の配慮から「攻略者名は残されなかった」のだと思います。





最後に

 今回は「物語15.職業と役割」について述べました。

 最近流行りの「職業」もの。

 本当にその「職業」でなければ成立しない物語でしょうか。

 たとえ身分を偽るにしても、その「職業」を名乗る妥当性があるのでしょうか。

 執筆を始める前に、一度立ち止まって考え直してみましょう。



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