1266.物語篇:物語11.探索と冒険

 今回は「探索と冒険」の物語です。

 スマートフォンのソーシャルゲーム『Fate/Grand Order』をプレイされている方には「聖杯戦争」と言えばわかりやすいかもしれませんね。

 アーサー王が円卓の騎士たちに「聖杯」を探させる物語が「探索と冒険」の形をしています。

『旧約聖書』でモーゼがユダヤの民を約束の地へ導いたのも「探索と冒険」の物語と言えないこともありません。





物語11.探索と冒険


 誰かが「全知全能になれる王冠があるらしい」と言ったとします。

 するとその「王冠」を探索するために多くの人々が派遣されるのです。

 そうして始まる冒険の旅の数々。それが読み手を魅了するのです。




とあるアイテムがあるらしい

「探索と冒険」の物語には、必ず「○○というものがあるらしい」という不確かな情報がもたらされます。

『アーサー王伝説』では「イエス・キリストの血を受けた杯」それを「聖杯」と呼びますが、それが存在するらしいという話をアーサー王が聞き及ぶのです。

 そうして円卓の騎士たちが聖杯探求の旅へと出立します。

 水野良氏『魔法戦士リウイ ファーラムの剣』ではリジャール王の庶子リウイが、魔精霊アトンを倒せる唯一の武器「ファーラムの剣」を探し出すために諸国を渡り歩くのです。

 このふたつは物語ですが、もっと身近な例を挙げるなら『竹取物語』のかぐや姫でしょう。

 五人の求婚者に「仏の御石みいしの鉢」「蓬莱ほうらいの玉の枝」「火鼠ひねずみの皮衣」「龍のくびの玉」「つばくらめの子安貝」が欲しい。持ってきてくれたら結婚する。という話です。そしてどれも手に入らずに月の世界へと帰っていきます。

 このように「○○というものがあるらしい」から持ってこいという話はいつの時代どの世界にも存在する「古典的」な物語なのです。

 中東でも『千夜一夜物語』別名『アラビアンナイト』に似たような話があります。

 肝心なのは「必ずある」ではなく「あるらしい」という点です。

 不確かだから探し出さなければなりません。「確かに存在する」のなら、所在地も判明しているはずですからね。

 アーサー王が円卓の騎士に探させた「聖杯」も「あるらしい」という情報だけ。それでも漁夫王ことカーボネック城の主ペラム王が、傷口の癒えないロンギヌスの槍で負傷してそれを治せるのは「聖杯」だけという状況があったので、「あるらしい」だけで探索の旅が始められたのです。

「確かに存在する」なら所在地へ取りに行けば済むだけの話。なんの冒険にもなりません。ただの使い走りです。

 しかし「あるらしい」と言われると探し出そうとするのが人の業とも言えます。

 かつて雑誌『ムー』では「ネス湖のネッシー」や「ツチノコ」など「いるらしい」というだけで記事にしていたのです。UFOの存在も「あるらしい」という不確かな情報だからこそ人々が「見た」「存在しない」の二論に分かれます。

 マンガの鳥山明氏『DRAGON BALL』なら「なんでも願いを叶えてくれる神龍を呼び出すのに必要な七つの玉があるらしい」というだけでブルマが旅を始めるのです。

 マンガの尾田栄一郎氏『ONE PIECE』も海賊王ゴール・D・ロジャーが「この世のすべてをそこに置いてきた」と言い残した「ワンピース」を探し求める海賊たちの物語。

「あるらしい」「いるらしい」だからこそ人々は「探索の冒険」を始めるのです。




冒険の旅

「あるらしい」「いるらしい」という情報だけで人々は探索の旅へ赴きます。

 それがどんなに困難な旅路になろうとも、探し出すまでやめられません。

 とくに物語の主人公は、探索の旅を途中でやめられないのです。やめたらそこで物語が終わってしまい、読み手には「時間のムダだった」と思われてしまいます。

 探索の旅はつねに危険がつきものです。安全な旅などありません。誰も通ったことのない道を切り開きながら前進を続けます。

 これを「冒険」と呼ぶのです。

「冒険」は危険を冒してまでも険しい旅を続けることを指します。

 植村直己氏は「日本人初の」「世界初の」にこだわった日本一の冒険家です。彼の消息も「世界初の冬季マッキンリー単独登頂」を果たした直後に途絶えます。しかもその後マッキンリーへ登頂する誰もが彼を発見できず今日に至るのです。これはもう「植村直己氏を探し出す」旅が始まってもおかしくない状況と言えます。

 なぜ人々は「あるらしい」「いるらしい」のように不確定なものに惹かれるのでしょうか。「好奇心」と言えばそれまでですが、他にもなにかあるはずです。

 人間は「珍しいものに興味を覚える」性質があります。これが「好奇心」です。

 しかし「あるらしい」「いるらしい」は「珍しいもの」ではありません。存在そのものが不確かなのですから。

「あるとまでは言い切れないが、完全にないとも言い切れない」というもやもやした感覚を持ちます。

 これを的確な言葉で示すと「わからないものをわかるまで突き詰める」つまり「探究心」です。

「あるらしい」「いるらしい」は「あるのかないのかわからないもの」であり、実際に存在するのかを明らかにしたい。

 こう考えて成功した人は偉人になれます。

 ニコラウス・コペルニクス氏が提唱した「地動説」を証明したり「運動の第一法則」「万有引力の法則」で有名となったアイザック・ニュートン氏、「一般相対性理論」「特殊相対性理論」のアルベルト・アインシュタイン氏。

 一般人が「どういうものかわからないもの」を発見して「法則」に落とし込んだ人は、往々にして「偉人」となります。

 また「こういうものがあるんだけど」と発見した「法則」を道具に落とし込んだ人は「発明家」と呼ばれます。

「蓄音機」のトーマス・アルバ・エジソン氏、「電話」のアレクサンダー・グラハム・ベル氏(他にアントニオ・メウッチ氏やイライシャ・グレイ氏またエジソン氏も発明していたとされています)、「麻雀点数自動計算機」の菅直人元総理大臣……は置いておいて。

 今私たちが当たり前のように使っているコンピュータだって、誰かが「発明」してくれなければ存在していないのです。一般的にはジョン・フォン・ノイマン氏が仕組みを考えたとされています。これを「ノイマン型コンピュータ」と呼ぶのです。ノイマン型でないコンピュータも存在していて「非ノイマン型コンピュータ」と称されます。違いはインターネットで調べてくださいね。

 単純に「あるらしい」「いるらしい」なにか、誰かを探し出す「探求」の旅もあります。

 しかし発見や発明をして「こんなものを作った」というのもひとつの「探究」の旅なのです。

 私たちが『DRAGON BALL』『ONE PIECE』が好きなのも、人間に具わった「探求心」をくすぐられるからです。

 ニュートン氏やエジソン氏の伝記を読むと「探究心」がくすぐられます。

「探求心」「探究心」は人間なら誰もが持っているのです。

 だからこそスマートフォンのソーシャルゲームでガチャに際限なく金をつぎ込んでしまいます。「全部揃わなくていいや」なんて人は、そもそもソーシャルゲームにはハマりません。レアカードを手に入れるためだけ、揃えるためだけに大枚をはたくのです。だからソーシャルゲーム界隈は任天堂やSONYとも張り合えるだけの会社が乱立しています。そんな中で任天堂もNiantic社と手を組んで『Pokemon GO』を開発・運営して業績を安定させつつ、新たなゲームの形に足を踏み入れました。

 残念ながらSONYにはキラーコンテンツがありません。任天堂はポケモンの他にもマリオやカービィやゼルダなどのキラーコンテンツを数多く抱えています。弾はいくらでもあるのです。今ならスプラトゥーンですかね。

「任天堂の倒し方、知らないでしょ? オレらはもう知ってますよ」でおなじみとなったグリーの田中良和社長は、同社の業績悪化で「倒し方知ってるんじゃなかったのか」と揶揄されたほど。これはのちに「デマ」という形で終息しています。しかしそう言ったと思わせるほどの潮流は確かにあったのです。

 ソーシャルゲームには大手ゲーム機メーカーと張り合えるだけの集金力があります。

 しかし業績が安定するかどうかは別問題です。魅力のあるコンテンツを生み出せなければ明日にでも業績は悪化してしまう。それもソーシャルゲーム界隈の特徴と言えます。

「探求心」「探究心」のくすぐり方を心得た者だけが、ほとんど欲を抱かない「さとり世代」の若者を消費者へと変えているのです。





最後に

 今回は「物語11.探索と冒険」について述べました。

 人間なら誰もが持っている「探求心」「探究心」こそ「探索と冒険」に不可欠なものです。

 皆様も「小説家になる道」を探索してくださいね。



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