1264.物語篇:物語9.喪失と復讐(毎日連載1200日目)

 今回は「旅立ちと帰還」の物語に含まれることの多い「喪失と復讐」の物語についてです。

 前回お話した物語とは異なるので、あえて別項と致しました。






喪失と復讐


「旅立ちと帰還」の物語の一種に「喪失と復讐」があります。

 旅立つ理由が異なるので、あえて別の物語と解釈しました。




襲撃を受けて喪失する

 平和な村が何者かに襲撃される。「剣と魔法のファンタジー」ではよくある出来事です。

 これにより主人公はたいせつなものを奪われます。愛する家族、愛する人、仲のよかった友人、整然とした町並み、平和な日常。

 主人公は奪われたものへの償いを求めて立ち上がります。

 これが「喪失と復讐」の物語のコンセプトです。

 将来を誓い合った恋人を襲撃者に殺されてしまう。亡くなった恋人の敵を討つために主人公は襲撃者を見つけ出して「復讐」するのです。

 この物語のよいところは、主人公が自然と「旅立つ」理由を与えられる点です。

「旅立ちと帰還」の物語は、いかにして自然に主人公を「旅立たせる」かで頭を悩まされます。

 しかし「喪失と復讐」の物語は明確な「復讐心」が「旅立つ」動機になるのです。

 これはごく当たり前な流れでしょう。

 襲撃を受けてなにかを喪失したのになにもしないような人物は主人公にふさわしくない。ヘタレな村人Aにしかなりません。

 物語の主人公であれば、なにかを「喪失」したら必ず襲撃者に「復讐」するものです。

『カチカチ山』のウサギのように、義憤にかられて「おばあさんを喪失した」力なきおじいさんに代わって「復讐」する主人公はまずいません。

 主人公は基本的に「利害関係者」です。襲撃者になにかを奪われた人物が多い。

『カチカチ山』の問題点は、物語が始まったときには主人公であるウサギが出てこないところです。おじいさんとおばあさんとタヌキしか出てきません。これでなぜウサギがおじいさんに代わってタヌキに「復讐」しなければならないのか。昔おじいさんに助けられたのならわからないでもない。しかしそんな事情はなく、嘆いているおじいさんを不憫に思ったウサギが義憤にかられて「復讐」を始めるにすぎません。これでは物語の展開が強引です。なぜ物語の最初からウサギが登場しないのでしょうか。

 小説は基本的に主人公に始まって主人公で終わります。

 ウサギが主人公なら、物語の最初からウサギが登場しなければ唐突なのです。

 どれだけスムーズに主人公を登場させるのか。

 ひとつの村が「魔王」の軍勢に滅ぼされた。その村を訪れた「勇者」が生き延びた村人から「魔王」の軍勢の悪辣さを聞いて「魔王」退治の旅に出る。

 これだと「勇者」はなにひとつ「喪失」していませんから「喪失と復讐」の物語にはなりません。単なる「旅立ちと帰還」の物語です。

「勇者」の住む村が「魔王」の軍勢に壊滅させられた。生き残った「勇者」が「魔王」退治の旅に出る。これなら「喪失と復讐」の物語になるのです。




勇者が喪失と復讐を期す物語

「勇者と魔王」の中でも、主人公が魔王になにかを奪われて、その「復讐」のために「魔王」を倒そうと立ち上がる物語があります。

「襲撃」を受けて損害が出る。そのとき主人公はたいせつななにかを「喪失」します。それが憎悪を駆り立てて襲撃者への「復讐」を決意するのです。

「剣と魔法のファンタジー」鉄板の展開は「勇者と魔王」ですが、多くには「喪失と復讐」の物語が組み込まれています。

 それは「勇者」が「魔王」を倒そうとする強い動機になるからです。

 個人的な恨みを持っていないのに「魔王」を退治しようと出立する「勇者」にはかなり無理があります。

 なにかを奪われた「勇者」だからこそ、「魔王」への復讐心に満ちあふれて「打倒魔王」の旗を掲げるのです。

「勇者」に個人的な損失がなければ「魔王」を倒そうとする動機がありません。

 人一倍他人の痛みがわかる「勇者」が、虐げられた民を哀れんで「魔王」打倒を胸に期す。そういう物語もありますが、読み手にはなかなか受け入れられません。一般的な読み手の価値観と相違するからです。

『カチカチ山』は「喪失と復讐」の物語でなく単なる「復讐物語」でしかない。それは主人公であるウサギがなにかを「喪失」したわけではないからです。だから底が浅い。これでは寓話にはなっても小説にはなれません。




裏切りと復讐の物語

「襲撃」は「裏切り」でもあります。信じていたのに「裏切られる」。だから「復讐」を決意するのです。

 たとえば「魔王」に「大金を騙しとられた」としたら、「勇者」は「魔王」を絶対に許せない。必ず償いを求めて立ち上がります。「勇者」は泣き寝入りなどしません。

 池井戸潤氏「半沢直樹シリーズ」では、主人公の半沢直樹はいつも誰かに「裏切られ」ては「復讐」しています。

「やられたらやり返す。倍返しだ!」は「喪失と復讐」の物語を端的に表した言葉です。

 信じていたものに裏切られると、誰でも処罰感情が湧きます。

 信じていたのになぜ裏切ったのか。裏切るくらいなら信じさせるな。信じたのだから裏切るな。

 すべて負け犬の遠吠えです。

 裏切ったのなら償いをしろ。

 これが「強者の理論」と呼ばれます。

『半沢直樹』を観て痛快さを覚えるのは「強者の理論」を実践しているからです。

 半沢直樹は「勇者」である。だからどんな強敵にも「復讐」して勝ってみせます。負けたまま終わるのでは「惨めな末路」でしかありません。「裏切った」相手に「復讐」を果たすから痛快なのです。尻尾を巻いて逃げる半沢直樹を想像できるでしょうか。

「裏切られ」たら必ず「復讐」を果たす。一種の「勧善懲悪」です。

『大岡越前』『遠山の金さん』は、庶民が悪徳商人や悪代官に「裏切られ」てたいせつなものを失い、それを裁判で「復讐」する形になっています。

「裏切りと復讐」は「喪失と復讐」の変形であり、「勧善懲悪」の一パターンです。

「剣と魔法のファンタジー」ではあまり見られない形なので、使いこなすとかなりの達人感を醸し出せます。

 普通の物語に飽きたら、一度挑戦してみましょう。





最後に

 今回は「喪失と復讐」について述べました。

「旅立ちと帰還」の物語の亜種ですが、特殊な形をしているので一項設けました。

 主人公は何者かにたいせつなものを奪われます。それを取り返すか敵を討つのが「喪失と復讐」の物語です。

 単純なようで奥が深い「喪失と復讐」の物語は、きちんと書ければただの「剣と魔法のファンタジー」よりも「小説賞・新人賞」に近づけるでしょう。



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