1263.物語篇:物語8.旅立ちと帰還

 今回は「旅立ちと帰還」の物語です。

 ほとんどの物語は「旅立ちと帰還」で成り立っています。

 どんな理由かは不明ですが、村を出なければならない。

 そしてなにかを成し遂げて村へ帰ってくるのです。

 そう考えるとさまざまなバリエーションを生み出せる物語の形だと思います。





旅立ちと帰還


「異世界ファンタジー」でおそらく最も多いのが「旅立ちと帰還」の物語です。

 なにがしかの理由で主人公が住んでいる村や町から旅立ち、仲間を増やしながら目的を達成し、帰還して人々から祝福されます。

 とくに平和を取り戻し、英雄として讃えられる物語は世界中にあるのです。

 そんな「旅立ちと帰還」について考えます。




旅立ち

 主人公は旅立たなければならないのですが、なんのあてもなく旅立てません。必ず目的があります。

『桃太郎』なんて唐突に「鬼退治に行ってきます」で村を出て、鬼退治して金銀財宝を持ち帰って英雄視されているのです。

 作中で「鬼が悪さをしている」話は語られていません。なのに「鬼退治」に行く。もう無理筋です。今『桃太郎』のような作品を「小説賞・新人賞」へ応募したら、一次選考すら通らないでしょう。だって「鬼退治」に行く動機が書かれていないのですから。

 もし「鬼たちが村々に悪さしている」という前フリがあれば、それが根拠になります。

 しかし『桃太郎』では「鬼が悪さをしている」なんて話はいっさい書かれていません。

 つまり「鬼退治」に行く理由がないのです。

「鬼退治」が「旅立ち」の根拠なのですから、「鬼が悪さをしている」話がないと唐突にすぎます。

「旅立ち」には明確な根拠が必要です。

 J.R.R.トールキン氏『指輪物語』の主人公フロドは、手にした「一つの指輪」の破壊を託されます。これが彼の「旅立ち」のきっかけです。

 水野良氏『ロードス島戦記』の主人公パーンは「父のような聖騎士になりたい」という衝動から親友の神官エトとともにゴブリン胎児へ出かけています。そして助けに現れた魔術師スレインとドワーフのギムとともに村を出て「聖騎士になる」べく冒険の旅へと赴くのです。

 川原礫氏『ソードアート・オンライン』の主人公・桐ヶ谷和人は、VRMMORPG「ソードアート・オンライン」を楽しむべくアクセスし、誰かが浮遊城アインクラッドを攻略しなければゲームからログアウトできない状況に陥ります。だからプレイヤー名「キリト」として攻略の旅に出かけるのです。

「剣と魔法のファンタジー」は、たいていが「旅立ちと帰還」の物語です。

 マンガの堀井雄二氏&三条陸氏&稲田浩司氏『DRAGON QUEST −ダイの大冒険−』も主人公ダイが勇者アバンに弟子入りし、村を出て巨悪を倒して村へ帰還する物語になっています。

 マンガの尾田栄一郎氏『ONE PIECE』の主人公モンキー・D・ルフィも「海賊王になる」と決意して村から旅立ちました。連載二十年を超えてもまだ海賊王にはなれず、村へ帰れるかもわかりません。それでもファンは「ルフィはいつか海賊王になる」と信じて連載を追っています。でも二十年以上も連載して到達できないのでは、読み手から脱落者が出て当たり前です。




旅立ちの動機を達成しないと帰還できない

「旅立ちと帰還」の物語は、途中で挫折すると物語が成立しません。

 必ず「旅立ち」を決意した「動機」を達成して「帰還」するから「旅立ちと帰還」の物語になるのです。

 一見「旅立ちと帰還」の物語に見えて、もし途中で挫折して「帰還」したら、成し遂げた「英雄」にはなれないのです。そうなれば惨めな最期を迎えるほかなくなります。

 元「勇者」の村人が主人公を心配するのも、挫折して「帰還」すれば俺のようになると警告したいからです。その姿を見せられると、主人公は「必ず役割を果たして帰還しなければ」と意を強くします。

 形を変えた「旅立ち」としてはマンガの森川ジョージ氏『はじめの一歩』の主人公・幕之内一歩が挙げられます。彼はいじめられっ子で「強いってなんだろう」という疑問を抱えていました。そこに現れたのがプロボクサーで新人王を獲った鷹村守です。彼に助けられた一歩は「強いってなんだろう」の答えを求めてボクシングの世界へ踏む出します。これが彼にとっての「旅立ち」です。

 しかし「旅立ち」の「動機」である「強いってなんだろう」に到達せず現在は試合から離れています。そうなると「動機」に復帰するためのなにがしかの「きっかけ」が必要です。今はそれを整える段階であり、いずれリングに戻ってくると私は信じています。もしセコンドとして世界を極めても、それが「強いってなんだろう」の答えになるとは思えないからです。やはり自らの手でつかみとってこそきちんと「帰還」できます。

 このように「旅立ち」には必ず「動機」があって、その「動機」を達成しないと「帰還」はできないのです。達成できなければ惨めな末路が待っています。

 達成できなければ「旅立ちと帰還」の物語にはなりませんから、読み手も消化不良を起こしてしまう。「小説賞・新人賞」の選考さんが「これは名作」と判断するのも、「旅立ちと帰還」の物語で「旅立ち」の「動機」がきちんと達成されて正しく「帰還」するからです。




シンプル・イズ・ベスト

「旅立ちと帰還」はシンプルでありながらも奥が深い物語です。

 主人公に「旅立つ」理由が生じて、それを成し遂げて「帰還」したら英雄扱いされる。

 読み手も選考さんも、この手の物語を何作も読んでいるのに、いつまでも読み続けていられます。

 それはどんな「主人公」がどんな「ミッション」を課せられて、それをどう達成するのかが作品によってまったく異なるからです。

 最終的に人々から「英雄」扱いされるのは変わりません。しかし誰がどういうことを達成するのか、は作品によって変わります。だからいつ読んでも新鮮なのです。

 多くの書き手は「旅立ちと帰還」の物語をありきたりで凡百だと考えています。

 しかし読み手はそのありきたりをこそ求めているのです。

 変にひねられるよりも王道のほうがすんなりと受け入れられます。

 構造がシンプルである以上、雑念なく「物語を楽しもう」と思えるからです。

「剣と魔法のファンタジー」の王道は「旅立ちと帰還」。読み手も純粋に楽しめます。

 そして「小説賞・新人賞」を獲る作品の多くは「旅立ちと帰還」の物語です。

 王道だからこそ物語でハズレを引きにくい。読み手や選考さんが思い描いた結末にたどり着くから面白いのです。

 ドラマ『水戸黄門』で三つ葉葵の印籠が出される時間は毎週同じ時間と決まっていました。それでも視聴者は『水戸黄門』を観続け、高視聴率を叩き出したのです。

 王道には安心感があります。安心感が次第に満足感へと変わるのです。





最後に

 今回は「旅立ちと帰還」について述べました。

 奇抜な物語もたまにはよいのですが、基本はあくまでも王道つまり「旅立ちと帰還」の物語であるべきです。

 独創的な物語が思いつかない方は、なにも考えずに「旅立ちと帰還」の物語を書けばよい。そうすれば読み手が見当たらないような作品は書かずに済みます。

 王道には需要があるのです。書きたい物語がなくても「旅立ちと帰還」ならいくらでも思いつくはずです。主人公と目的を変えるだけで、同じ物語が再利用できます。

 こんなに応用が利く物語もなかなかありませんよ。



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