1261.物語篇:物語6.仲間と友情

 もういくつ寝ると毎日連載1200日目になります。

 1日1本なら第1264回で到達です。

「物語篇」の後をまったく構想できていませんので、いけるところまで「物語篇」で引っ張ります。

 そのまま毎日連載が終わるかもしれません。その際はあらかじめお知らせ致します。

 今回は「仲間と友情」についてです。





物語6.仲間と友情


 主人公には「仲間」がおり、絆でつながっています。それが「友情」かもしれません。

 場合によっては「仲間」と「友情」は別もので、「仲間」以外に「友人」が出てくるパターンもあります。




異世界は仲間と友情で出来ている

「異世界ファンタジー」では表現しやすいのが「仲間と友情」の物語です。

 多くの「異世界ファンタジー」は「勇者とその協力者」のように階級が分かれているので、純粋な「仲間と友情」を演出しづらい。

「勇者パーティー」だと「仲間と友情」よりも「王子と騎士」の関係に近くなります。

 あくまでも一村人がリーダーの「冒険者パーティー」が「仲間と友情」の主体です。

 水野良氏『ロードス島戦記』は一村人だったパーンが、神官のエト、魔術師のスレイン、ドワーフのギム、それにハイエルフのディードリット、盗賊のウッドチャックの六人パーティーのリーダーになります。誰が上でも下でもない「冒険者パーティー」です。

『ロードス島戦記』の本流は「勇者と魔王」の物語ですから、純粋な「仲間と友情」の物語ではありません。しかし内包されているので「仲間と友情」の要素は間違いなくあります。

 このようにすべての物語は他の物語を内包しているものです。唯一それだけしか持っていない物語のほうが数少ないと思います。

 とくに「冒険者パーティー」を組んで行動する「異世界ファンタジー」の世界では、「仲間と友情」と無関係ではいられません。「冒険者パーティー」は「メンバーと友情」でつながっているからまとまれるのです。もし信用のおけない人物をパーティーに入れると、不協和音を奏でてしまいます。

『アーサー王伝説』の円卓の騎士たちは、アーサー王を含めて全員に序列をつけないことで「連帯感」つまり「仲間と友情」を育んでいったのです。

「仲間と友情」が前面に立った作品は案外少なく、とくに「仲間っていいな」と思わせるような作品はほとんど見ません。「友情」なら太宰治氏『走れメロス』のように挑戦する書き手はいます。

「仲間っていいな」と思わせる作品は、そのほとんどが「青春小説」です。

 高校生の部活動や、大学生のサークル活動など、そういったものは部長はいても、それ以外はたいてい横並び。「仲間と友情」が「恋愛」へと発展するケースが多いのですが、純粋に「仲間」と目標に向かっていく物語も「あり」です。

 たとえばアニメの『宇宙よりも遠い場所』は南極を目指す「仲間」たちの「友情」物語になっていますよね。目標があれば本来バラバラな人たちがひとつにまとまるのです。

 マンガのかきふらい氏『けいおん!』も軽音楽バンド「放課後ティータイム」の「仲間」であり「友情」の物語になっていましたよね。

「仲間」の「連帯感」それ自体が物語となるのは、簡単に書けそうで意外と難しい。

『けいおん!』にしろ『宇宙よりも遠い場所』にしろ、まったりとしたアニメだったから魅力が引き出されたところもあります。

 小説でこれを表現するのはひと筋縄ではいきません。

 しかし他の物語のサブテーマとしてなら、いくらでも設定可能です。

 前出の『ロードス島戦記』『アーサー王伝説』も、他の物語に内包される形で読み物になっています。




いつまでも仲間と期限付きの仲間

「異世界ファンタジー」で一緒に冒険の旅を続けているパーティーは、目標が達成されたら基本的に解散します。

『ロードス島戦記』は“灰色の魔女”カーラを倒したらそこでパーンたちのパーティーは解散しました。

 これは極端だとしても、パーティーが出立した村へ戻ってきたらそこで解散するのが習わしです。その大半が勝利しての「凱旋」になっています。

 国王から魔王を討伐するように頼まれた勇者パーティーは、王都へ「凱旋」して国王に報告し、皆が褒美をもらったら解散です。

 パーティー・メンバー共通の目的は「魔王を倒す」こと。それが成し遂げられたらいつ離脱してもかまいません。もちろん国王から褒美をもらってから別れてもよいのです。なんらかの理由で世間に知られずパーティーから去る人物もいるでしょう。

 こういった期限付きの「仲間」が「異世界ファンタジー」にはあふれています。

 それはそうですよね。共通の目的は達成したのだから、いつ別れてもその人の自由です。もちろん褒美をもらえるとわかっていたら、もらうまでは勇者と一緒に行動する人もいるでしょう。

「異世界ファンタジー」に限りましたが、「SF」でも同じです。

 ジョージ・ルーカス氏『STAR WARS』でも、主人公のルーク・スカイウォーカーや途中参加のハン・ソロが反乱軍の基地へ「凱旋」したのち解散し、『STAR WARS 帝国の逆襲』ではルークがハン・ソロの救出のためにジャバウォックのもとへやってくるところから始まります。

「パーティー」はメンバー共通の目的を達成したら、いつ解散してもかまいません。それが「パーティー」のよいところです。終生をともにするのは伴侶だけ。『ロードス島戦記』もパーンとディードリットは、パーンの終生まで行動をともにしています。

 終生をともにする「仲間」は幼馴染みか結婚することが多いですね。

 いつまでも「仲間」でいるのは現代では難しくなりました。

『けいおん!』では高校編の終わりのほうで「放課後ティータイム」四人組が同じ大学へ入ることが決まった、となったのです。これにより大学編も始まりましたし、残された中野梓を中心とした新たなバンドによる高校編もスタートしました。

 進路がある以上、学生は「いつまでも仲間」を作りにくいのです。家が近いとか同じ駅を利用しているとか。なにがしかの条件がないとその「仲間」は「期限付き」になりやすい。

 社会人であれば転勤や転職をするまでは同じ「仲間」がいつまでも続きますので、「いつまでも仲間」を作りたいなら、社会人にするのが手っ取り早いでしょう。

「異世界ファンタジー」でも、元服して大人の仲間入りをしたらなんらかの組織に属するのが必然です。独立して起業するには「異世界」はハードルが高すぎます。


 ひとりで野獣や魔物と戦いながら交易商人をやるのはまず不可能です。傭兵を雇おうにも若いですから資金力などありません。そうなるとひとりでできることなんて犯罪くらいしかないのです。金をもらって人を殺す。金目のものを奪うために人を殺す。まぁ殺す必要はないのですが、顔を見られたら捕まる可能性もありますから、たいていは殺すでしょう。

 このように「仲間」を作らずにひとりで生きていくには「異世界」は厳しい環境なのです。





最後に

 今回は「物語6.仲間と友情」について述べました。

 仲間は利害関係をともにする人たちの集まりです。

 利害によって情がつながる、つまり「友情」が育まれるのです。

「異世界」は「仲間」がいないと生き残れない環境なのかもしれません。だから多くのライトノベルでは「仲間」を集めてパーティーを組むのです。

 ひとりでも生きていける「現代」でも、物語を進めるためには「仲間」がいると楽になります。「孤独」それ自体が「テーマ」となる場合は、「仲間」をあえて作らないのもひとつの方法です。

 アーネスト・ヘミングウェイ氏『老人と海』もありますからね。



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