物語篇〜どのような関係になるか

1256.物語篇:物語1.神と悪魔

 今回から「物語篇」を始めます。

 とくに有名なものをいくつか抜き出してみますので、皆様の創作の参考になれば幸いです。

 最初は「神と悪魔」。「神の手下」と解釈すれば「天使と悪魔」でもかまいません。





物語1.神と悪魔


 いつどこの神話でも描かれるのが「神と悪魔」の戦いです。

 一神教の場合「悪魔」はたいてい別の宗教の「神」になります。

 神話には対決構図の原点が隠されているのです。




主人公が神なら

 基本的に主人公が「神」であることはまずありません。

 私たちは人間であり、「神」とは程遠い存在だからです。

 そこで主人公を人間として登場させ、「実は神のご落胤」だったという設定が考えられます。主人公が「実は神」だったよりも腑に落ちやすいので「ご落胤」はありがちです。

 藤川桂介氏『宇宙皇子』の主人公・宇宙皇子もそのような存在と定義されています。

 でも、これでは物語が盛り上がりにくいのです。

 多くの神話では「神」そのものが主人公であり、多くの戦いを繰り広げます。

 ギリシャ神話・ローマ神話のような多神教も、時代を経るとキリスト教のように一神教へとシフトしていくのです。

 一神教では「神と悪魔」の戦いは難しい。「神」が全知全能であるため「悪魔」をすぐに懲罰してしまうからです。

 そこで人間となった主人公の「神」は能力に目覚めていない設定も多く見られます。

 いつその能力が解放されるか、目覚めるかによって物語は盛り上がりを見せるのです。

「神」とまでは言えませんが、円谷プロダクション『ウルトラマン』シリーズに出てくるウルトラマンも、「悪魔」のような怪獣を相手に奮闘する物語。人間よりもはるかに能力が高く、怪獣とも互角に戦えます。制約に「地上では三分間しか変身していられない」がありますけれども、それ以外は「神」と呼んでも差し支えないでしょう。

 ウルトラマンの場合、普通の人間の体に宿り、地球の危機で変身して正体を現します。

「神」がい続けると世の中が「神」頼みになり、健全な人間社会が崩壊してしまうでしょう。

 キリスト教でイエス・キリストが死に、復活の時を待っているという設定は、「神」にすがりつきたい弱い人間の心を一神教に結びつける方便です。

 この世に「神」なんていない。そう断言する神話もあります。たいていの神話はその末期において最終戦争が起こってすべての「神」が死に絶えたり、若手の神々だけが生き残って人々を見守っていたりという形で世界の表舞台から消えていくのです。

 これはギリシャ神話・ローマ神話でも見られる「神と悪魔」の一大決戦「最終戦争」に見られます。

 主人公が「神」であれば「なんでもできる」全知全能よりも「ある分野においては右に出る者がいない」という類いの「神」が求められるでしょう。

 戦の神アテナを中心とした聖闘士たちの物語、マンガの車田正美氏『聖闘士星矢』で主人公自身はただの人間です。しかし彼らがアテナと敬う城戸沙織は「女神」として主人公パーティーの中心にいます。ときに世界のために身を賭す姿も見られるのです。

「神と悪魔」の物語において、主人公は「神」ではなくその周りにいる人間であることが多い。『聖闘士星矢』も人間が「神」を中心に結束して戦う姿を見せるパターンだからです。

「八百万の神」を持つ日本人からすれば、「デウス」「キリスト」や「アッラー」もともにひと柱の「神」です。しかも仏教の仏なども「神」として取り入れています。大日如来が天照大神だったり、インド神話のシヴァ神が不動明王だったり。

 この世に存在する「神」それぞれが「神」の立場で並び立っているのが日本社会のよいところです。

 その発想からマンガの中村光氏「聖☆おにいさん」が生まれたのではないでしょうか。

 また小説で「神」が主人公にならないのも、人間とは程遠いため感情移入がしづらいからかもしれません。なんでもできてしまう主人公だと盛り上がりに欠けますからね。




主人公が悪魔なら

 主人公が「悪魔のような存在」で、「神」と対決する物語はかなりあります。

「悪魔」は、一神教なら「他宗教の神」、多神教なら「煩悩の産物」と分類されるものです。

「神」に反逆する人間を「悪魔」と規定する作品も多く見られます。

 マンガの永井豪氏『デビルマン』や石ノ森章太郎氏『サイボーグ009』も、ただの人間ではない存在が最終的に「神」と戦いますから、「神と悪魔」の物語としても問題はないでしょう。

 一神教ではキリスト教とイスラム教が対立しており、双方互いの神を「悪魔」と規定しています。

 少なくともキリスト教は寛容の宗教のはずですから、イスラム教を受け入れるべきなのですが。聖地エルサレム奪還のために十字軍を中東へ派兵したのもキリスト教なんですよね。戦いのために相手の信仰する神を「悪魔」と位置づけました。

 いくつかの例外はありますが、主人公が直接「悪魔」で、「神」と戦うまたは反逆する物語は滅多に現れません。「悪魔のような存在」ならいくらでもあるのですが。

 変形としてマンガの萩原一至氏『BASTARD!〜暗黒の破壊神』の主人公ダーク・シュナイダーも「悪魔」のような存在とされています。こういう見せ方をすると物語は際限なく拡大していくものです。




神と悪魔は難しい

 いずれにせよ「神と悪魔」の物語は、無宗教の日本人には難しい。

 どちらかといえば欧米人が好みそうな題材です。

「神」が主役として活躍したり、「悪魔」が主役として悪逆のかぎりを尽くしたり。

 やはり日本人には理解しづらい構図ではあります。

 理解しづらいからこその魅力もありますが、原稿用紙三百枚・十万字に落とし込めるだけの題材ではないのです。

「神」を主人公にすれば「主人公最強」系で済ませられますが、それだと「神」である必然性はありません。逆に「悪魔」を主人公にすれば「神」へ反逆する過程を読ませるだけで十万字はあっという間に尽きてしまいます。

 だから「神と悪魔」は長編小説よりも連載小説向きの物語です。短編連作の形でも書けなくはありません。ギリシャ神話・ローマ神話も短編連作と言えなくはないからです。

 それでも「小説賞・新人賞」に「神と悪魔」で挑みたいなら、徹底的に一対一の対決構図に持ち込んでください。多神教と悪魔軍団との戦いだと十万字にはけっして収まりません。

 たとえば「神と悪魔」のラブロマンスであれば、十万字に収まる可能性があります。これも双方が「神」と「悪魔」である必然性が問題です。

 人間よりも格上とされる「神」と「悪魔」が、妙に人間くさい。そんなところに魅力を感じる読み手が多いのも事実です。

 ただ「神と人間」の物語よりも落差がないため、設定を「神と悪魔」にする意味があるのかなとも思いますね。「神と悪魔」での禁断のラブロマンスなら、ウイリアム・シェイクスピア氏『ロミオとジュリエット』とさして変わらないからです。





最後に

 今回は「物語1.神と悪魔」について述べました。

 物語の発端は神話を始めとした民間伝承です。

 神々同士の物語も多いですが、それでは「神」である必然性はありません。

 人間よりは高い次元の存在「神」が、人類に悪さをする「悪魔」と対峙する物語こそ、「剣と魔法のファンタジー」のおおもとだと思います。



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