1253.学習篇:師匠から学ぼう
皆様には「師匠」はいらっしゃいますか。
たとえ師事していなくても、皆様が尊敬して「こんな人みたいになりたい」と思える人。それが「師匠」です。
師匠から学ぼう
小説に限らず、なにかを学ぼうと思ったらまず「師匠」を見つけてください。
たとえばパソコンを学ぼうと思ったら、書籍だけでなかなか身につくものではありません。パソコン教室に通えば、手取り足取りわかるまで教えてくれますよね。講師が「師匠」となって手本を見せてくれるからわかりやすいのです。
小説も「師匠」を見つけると格段に上達します。
師匠を見つける
まずやりたいものがあるとします。やりたいものもないのに学ぶ必要なんてありませんからね。
やりたいものをひとりの努力で達成するのはひじょうに困難です。よほど要領がよい人でないと、ひとりですべてを網羅なんてできはしません。
その道でプロ級の腕前を持つ「師匠」がいれば、その方から逐次指導を受けられます。
もちろん「師匠」にも都合があり、あなたがなんでも尋ねればいつでも応えてくれるなんて無理でしょう。それでも「師匠」がいると「わからなかったら師匠に聞こう」と頼みの綱になります。
なんでも「師匠」頼みなのはそれはそれで困りものです。まずはひとりで挑戦してみて、わからなかったり成果が出なかったりしたときに「師匠」の意見をうかがいましょう。どこがわかってわからないのか。それが明確なら「師匠」もどう応えていいかすぐにわかります。
小説においても「師匠」は必要です。
ひとりで原稿用紙やパソコンに向かって執筆している方が多いと思います。
そんなとき「ここ、どう書いたらいいのだろうか」と疑問に思う場面も出てくるでしょう。
本コラムを読めば、たいていの悩みは網羅しているはずです。
僭越ながら、本コラムがあなたの最初の「師匠」になれたら作者冥利に尽きます。
本コラムを読んでみて、それでもわからないところがあったら、コメントか感想かを送っていただければお時間はかかるかもしれませんが逐次お答え致します。
文豪を師匠と仰ぐ
現役の「プロ」や小説セミナーの講師だけを「師匠」とするのは狭量です。
あなたが憧れる「文豪」を「師匠」と仰いでもかまいません。
芥川龍之介賞最大のヒット作である『火花』を書いたお笑い芸人コンビ・ピースの又吉直樹氏は、太宰治氏を「師匠」と仰いでいたのは有名な話ですよね。
「師匠」となる「文豪」の作品を、自分が書き直すならどうするか、の視点で読んでください。そして書き直した部分が周囲から浮いていないかチェックするのです。
書き直したほうがよい場合ももちろんあります。なにせ「文豪」の文章は古くさいですからね。ですがたいていは元の文章のほうがよかったと気づきます。
この「気づき」がたいせつなのです。
なぜ文豪はこの場面でこの一文を書いたのか。全体を読み込んで初めてその一文がいかに重要だったのかに「気づく」のです。
「気づき」を持っていれば、あなたのオリジナル作品でも「この一文は物語全体にどんな影響があるのだろうか」と考えるようになります。
結果として「一文のムダもない洗練された文章」が完成するのです。
「気づき」を得るのが目的ですから、「文豪」ではなく昭和・平成のベストセラー作家でもかまいません。令和のベストセラーはあなたに近すぎて、かえって「気づき」を得にくいので注意しましょう。
「師匠」を「反面教師」とするのも「あり」です。
私は村上春樹氏の文章が大嫌いなので、あえて村上春樹氏の作品を少し読んでみて、「これは私には合わない」と思う点に「気づける」かどうか。まぁ「〜た。」の連打だったり奇抜な比喩だったりするわけですが。これらは私の感性には合いません。だから「反面教師」として私のような読み手のためにそれを「意識して」避けるのです。
私は「よりわかりやすい小説」が最も読みやすく大衆にウケると思っています。
村上春樹氏のような奇抜な比喩が快い方ばかりではないはずです。熱狂的ファン「ハルキスト」もいますが、「アンチ・ハルキスト」のほうが多いかもしれません。だって売れても百万部程度なんですよ。「ハルキスト」が百万人いるのなら、日本にいる一億二千万人は「アンチ・ハルキスト」になりますよね。だって彼らは新作を買わないのですから。「ハルキスト」なら新作を待ちわびているはず。でも売れて百万部。買わない人のほうが大多数。これでノーベル文学賞を授与されるのでしょうか。
あなたの「師匠」は、模範とするべき「文豪」「ベストセラー作家」のほかに、「反面教師」とするべき「感性に合わない書き手」を設定してください。
「反面教師」がいるからこそ、模範とするべき「文豪」「ベストセラー作家」の作品の良い点にも「気づけ」ます。
自分の失敗作も反面教師になる
ときには自らの「失敗した作品」も「反面教師」となりえます。
「なぜこの作品は多くの人に読まれなかったのだろうか」「誰からも評価されなかったのだろうか」「ランキングに載れなかったのだろうか」
そういう視点から自らの作品を謙虚に反省し、後日のための「反面教師」とするのです。そうすれば次作はもっと良い作品が書けます。
なにが足りなかったのか。なにが多すぎたのか。
それがわかれば改善は可能です。
ひとりで伸びていく方は皆自らの「悪かった部分」に気づいて直していけます。
ひとりでは「悪かった部分」を判別できない方には「師匠」が不可欠です。
小説投稿サイトを利用してるのであれば、講評を行なっている方に講評してもらうとよいでしょう。
「てにをは」がおかしい文章は、物語に入り込もうとする読み手を阻害しやすい。だから最低限「てにをは」に代表される文章をきちんと書けるようになりましょう。
「文豪」を「師匠」にしているといちばん困るのは「てにをは」の使い方です。現代の「てにをは」のルールとは異なるので、そっくりそのまま真似れば完璧な文章が書けるかと言われればまず書けません。
今は格助詞を一文で複数使うのは、並列の例外を除いて厳禁です。「文豪」の時代はまだ「よい文章とはどんなものか」がわからなかったので、格助詞が一文に何度も出てきます。これでは現代の「小説賞・新人賞」は獲れません。現代語へのアップデートが不可欠です。
もし文章自体は完璧なのに、あまり評価がつかない作品があったら。ここで物語の展開が問題になります。
物語の展開は致命傷となりうる重大な問題です。
「文豪」にも物語の展開で首を傾げたくなる作品が多かった。しかし「名作」や「代表作」と呼ばれるものは、物語の展開がしっかりとしています。
ですので「文豪」を「師匠」とする際は「名作」「代表作」を中心に読み込みましょう。
ご自身の作品でもウケのよかった作品が一本でもあれば、それを分析しながら読んでください。ウケの悪かった作品は、どこが駄目なのかを探すのは困難です。なにせ書いた本人はそれで伝わると思っていたのですから。そういうときは、いったん時間をあけてから検討してください。
自らを「反面教師」にできるのは、自分を客観的に見られる方だけです。
あなたが書いた作品でも、他人のように読めるか。
忘れやすい方に有利です。しかし記憶力のよい方でも「この作品にはアラがある」と意識して読めば、問題点は必ず見つかります。
正直に言って自分の作品の「アラ」を探せない方には「小説賞・新人賞」は獲れません。
そのレベルに達するまで「小説賞・新人賞」へ応募しないようにしましょう。
潔く玉砕してもよいのですが、過度な自信がポッキリと折られて戦意喪失するのは目に見えています。
最後に
今回は「師匠から学ぼう」について述べました。
わからなければ「師匠」今で言う「メンター」に聞け。そんな「師匠」を持てばあなたの才能はみるみる伸びていきます。
悩みがあれば、すべて「師匠」に相談する。相談役や顧問に雇うのは無理ですが、知恵を拝借するのなら誰にでもできます。
「文豪」を「師匠」と仰ぐなら、彼らの作品こそが知恵の塊なのです。
執筆しているとどうしても詰まる場面に出くわします。そのとき「文豪」の名作が解決法を提示してくれるのです。
又吉直樹氏だって、中編小説『火花』に取り組むときには太宰治氏の名作の力を借りていたでしょう。まったくの独学で書けたのであれば天才です。しかし彼は堂々と「太宰治氏のフォロワー」だと名乗っています。それだけ「師匠」の存在は大きいのです。
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