1227.学習篇:無理だと思ったら深追いしない

 学校では嫌な教科でも単位をとるために苦労しながら勉強したはずです。

 しかし小説を書くうえで、それらの知識が必要になるとはかぎりません。

 そもそも好きな教科と嫌いな教科は、あなたの向き不向きを自覚するために存在するのです。





無理だと思ったら深追いしない


 学校の勉強では、単位を取るために「無理たど思う科目でも否応なしに記憶」せざるをえません。

 しかし小説を書くために必要そうな知識でも「これを憶えるのはまず無理だ」と思ったら、それ以上深追いしないでください。




学校の勉強は自分の向き不向きを知る手段

 なぜ小学校から高等学校まで、あらゆる種類の科目を勉強しなければならないのでしょうか。

 それは「自分の向き不向きを知る」ためだと思います。

 同じ時間をかけているのに、国語で百点がとれ、英語では六十点しかとれない。

 これは明らかに国語に向いていて、英語には向いていません。

 それがわかるだけでも、実は凄いのです。

 人間にはあらゆる可能性が詰まっています。それは事実です。

 しかし「効率のよい可能性」と「効率の悪い可能性」があるとは知られていません。

 そして学校の勉強で「効率のよさ」が視覚化されているとも知らないのです。

 あなたはどんな科目が得意だったでしょうか。

 小学校なら国語・算数・理科・社会・体育・図画工作・音楽、これに今なら英語とプログラミングでしょうか。

 体育だとしても、陸上競技が得意な人と水泳が得意な人、野球、サッカー、バスケットボールが得意、さまざまな競技がありますよね。もし水泳が得意なのなら水泳選手を目指し、サッカーならJリーグでもリーガ・エスパニョーラでも目指しましょう。

 たとえ好きでなくても点数だけは高かった科目というのもあったはずです。

 この場合主観的な「好き」を追わず客観的な「点数」を追ってください。

「好き」であっても「点数」が低いのなら、あなたにとっては「効率の悪い科目」なのです。

 たとえ「嫌い」でも「点数」が高いのなら「効率のよい科目」と言えます。




高得点をとると好きになる

 私は国語が得意で、英語が不得意でした。国語なら九十点前後は安定して取れましたが、英語は七十点取れればよいほうです。

 だから私は中学の頃から早々と英語は捨てました。いくら不得意を追いかけても、ものになるのに時間がかかりすぎると判断したからです。

 その代わりに情報処理つまりコンピュータの勉強に磨きをかけました。

 以前からお話ししているように、コンピュータ・ゲームを自作するのが目標でしたから、英語なんて知らなくてもよいのです。知らなくたってゲームは作れます。

 その代わり、ゲーム作りに必要なゲームデザイン、プログラミング、コンピュータ・グラフィックス、音楽、シナリオについてはとことん勉強しました。元々「できないと作れない」からやっていましたが、いざその知識が学校で必要となった際に高得点でしたから、「好き」になりましたね。

 とくに情報処理、美術、音楽、国語の成績は、高校では最高評価を取り続けたのです。

 興味が向くものは「好き」になりますが、「得意」「向いている」か「不得意」「不向き」かは試験の点数で客観的にとらえたほうがよいでしょう。

「好き」だけど「不向き」を追うよりも、「嫌い」だけど「向いている」ものを追ったほうが、人生の役に立ちます。

 私のように手当たり次第に挑戦してみて、結果として「点数」で示された「得意」「不得意」で才能を判断するべきです。

 とくに小説の書き手になろうなどと思っている不届き者は、どれだけ幅広い知識があるかを問われます。

 点数がとれるつまり「得意」な科目なら、思いどおりに書くだけで正確な知識を披露できる。しかし点数がとれない「不得意」な科目だと、よほど注意深く構成しないかぎり必ずポカをするものです。




不得意ができるようになっても生活は変わらない

 その代わり、英語は五段評価で三を取り続けました。ムダなことはしない主義ですので、必要になりそうなら勉強し直すでしょう。しかしこれからの人生で英語が必要になるとも思えないので、不得意なままでよしとしています。

 たとえば今私に英語力を求められたら。私は「できません」と即答します。

 人は全員違って当たり前。

 義務教育でオール百点を獲ったところで、出来あがるのは既製品の金太郎飴です。どれをとってもまったく同じで「無個性」。そんな人に「個性的な作品」が書けるものでしょうか。あの書き手にしか書けない小説と呼ばれる作品に仕上がるでしょうか。

「無個性」ではまず完成しません。

 不得意があってもかまわないのです。それが「個性」のひとつであり、「個性的な作品」を書く源となります。

 それなら、あえて不得意を克服しようとするべきではありません。

 不得意は不得意のままにし、得意なものを可能なかぎり伸ばしていくのです。

 そうしたいびつな個性が「個性的な作品」につながります。

 偏りのないフラットな作品世界では、すべてのものが止まってしまうのです。

 しかし歪な作品世界なら、上に載せたものはすべて勝手に動き出します。人物が勝手に動きだすのです。

 自分にできることとできないこと。できないことはすべて放り出して振り返らず、ただひたすらにできることだけを究めるのです。

 そのほうが断然面白い作品に仕上がりますからね。





最後に

 今回は「無理だと思ったら深追いしない」について述べました。

 不得意ならあえて追いかける必要はありません。不得意なままでも小説は書けます。日常生活にも支障をきたしません。

「無理だ」と思ったら、それ以上追いかけるのをやめましょう。

 それだけで、あなたは個性的な存在になれます。

「文豪」って皆個性的ですよね。すべてに隙がない「パーフェクト」な小説家なんて存在しないのではないでしょうか。

 高校入試、大学入試なら、弱点を補ったほうが総得点を伸ばせます。四教科九十点で、英語だけが五十点だとしたら。四教科を百点にするよりも、英語を九十点にするほうがはるかにラクです。

 しかしそんな小さくまとまった人には「個性的な作品」なんて書けません。

 長所と欠点がある。だからその人特有の作品に仕上がるのです。

 人を惹きつける作品が書けるのは、歪な才能の持ち主だと断言します。



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