1226.学習篇:テーマ、表現力、論理性

 小説に必要な三つのもの。

 これが揃っていないと、なかなか評価されません。





テーマ、表現力、論理性


 小説に必要な三つのもの。それが「テーマ」「表現力」「論理性」です。

「テーマ」のない小説は読んでも得るものがない。

「表現力」のない小説は味けない。

「論理性」のない小説は意味がわからない。

 この三つは小説に欠かせません。




テーマの重要性

 小説には「テーマ」が必要です。

 読んでみて「テーマ」がわからないと、なんの感動も得られません。

 心を動かされない小説なんて、どんなに美文であっても無価値です。

 世界中にある民間伝承や神話の類いは、必ず「心を動かされる」エピソードが語り継がれています。

 表現力がなくても、「心を動かされる」作品には魅力があるのです。

 ギリシャ神話・ローマ神話が世界中で愛されるのは、妙に人間くさい神様たちがさまざまな戦いや関係を持つことで「心が動かされる」からではないでしょうか。

 もし完璧超人のような全知全能の神がいたら、そんな神話が面白いとは思えません。

 キリスト教の救世主イエス・キリストは全知全能かと言われれば違いますよね。もし全知全能なら磔の刑になんてなりません。そうなる前に逃げ出しています。

「人はパンのみにて生くるにあらず」「右の頬をぶたれたら左の頬を差し出せ」など、キリストの教えはよくわかりません。

 しかし十三番目の弟子であるユダの裏切りによって新興宗教団体であったキリスト教団は教主を失うのです。

 キリストの生誕にはさまざまな説がありますが、死に方はだいたい「人類をその罪から救うため、身代わりとなって磔の刑に処された」とされています。

 キリスト教の経典である『新約聖書』は、そういう「テーマ」を持った物語なのです。

 だから読んだ人が「心を動かされ」て信徒になってしまいます。

「テーマ」には「心を動かす」ほどの力があります。

 宗教の経典は「テーマ」の塊だと言ってよいでしょう。教えのひとつひとつが「テーマ」を体現しているのです。




表現力の重要性

 ざっくり表現力には「どれほどわかりやすくかつ具体的に書けるか」「比喩でどうたとえるか」「和語と漢語の割合はいかほどか」が含まれています。

 まず比喩は「直喩(明喩)」と「隠喩(暗喩)」だけ知っていれば大丈夫です。

 和語と漢語の割合は、ページを開いたときの圧迫感を左右します。「柔軟な」より「柔らかな」のほうが文字列の濃さは淡いはずです。


 そして「どれほどわかりやすくかつ具体的に書けるか」についてお話ししましょう。

 小説では使用頻度の高い語彙に「へつらう」があります。しかし常用漢字ではありませんし、意味合いも捉えづらい。

 試しに『Google検索』をすると「上の立場の人に気に入られるために、お世辞を言うなど機嫌をとること」とあります。また「人の気に入るように振る舞う。また、お世辞を言う。おもねる。追従する。」とあります。

「諂う」は「おもねる」の語彙なのですね。

 では「おもねる」の意味合いはわかりますか。

 こちらも『Google検索』をすると「人の気に入るように振る舞う。へつらう。」とあります。

「諂う」は「阿る」であり、「阿る」は「諂う」なのです。これ、わかりやすいですか。

 正直に言ってわかりづらい。

 そこで記事を読んで差を見てみましょう。

「阿る…相手に媚を売って、気に入られるような言動をとること」

「諂う…気は進まないものの自分を必要以上に卑下して、無理に相手に気に入られるような言動をとること」

 とあります。

 つまり能動的に「気に入られよう」とするのが「おもねる」であり、気乗りしないけど「気に入られよう」とするのが「へつらう」なのです。

 また「権力に阿る」とは言いますが「権力に諂う」とは言いません。「へつらう」は見えないものには使えないのです。

「媚び諂う」という言葉があります。これ、実は「阿る」と同義です。「媚びて気に入られようと」します。多少「諂う」の「気は進まないものの」が入りますが、言いたいことはほぼ「阿る」です。

 では小説を書く場合、「阿る」「諂う」「媚び諂う」のどれを使うべきか。

 まずどれも常用読みではないのでかなに開きます。「おもねる」「へつらう」「媚びへつらう」。

 次に意味合いがわかるものを選びます。「おもねる」「へつらう」は単語を知らないとわからない。しかし「媚びへつらう」は「へつらう」の意味がわからなくても「媚び」がついているため、「気に入られようとする」意は伝わります。であればわかりやすいのは「媚びへつらう」です。

 中高生を対象とするライトノベルでは「媚びへつらう」が最もわかりやすい。

 しかし文学賞を狙うときは、より短くて端的な表現が求められるため、「媚びへつらう」を使うと減点されます。その際は「阿る」「諂う」のいずれかを用いるのです。しかし上記したとおり指し示す意味合いは微妙に異なります。その違いを知り、状況に最も適した単語を用いるようにしてください。

 ライトノベル寄りなら「もてはやされる」、文学賞寄りなら「人口に膾炙する」と表現するのです。

 それが「わかりやすい」表現につながります。




論理性の重要性

「論理性」という字面では難しそうですよね。「矛盾」と呼べばよいでしょうか。

 小説は「論理が破綻していない」つまり「矛盾を起こしていない」作品しか評価されません。「矛盾」が生じた段階で、読み手は物語から弾き出されてしまいます。

 ライトノベルで多く見られる「論理性」は「俺は正義。ヤツは悪。だから俺はヤツを倒す」というもの。俗に「三段論法」と呼ばれる論理です。

 実はこれ、「正義は悪を倒すもの」という論理が欠落しています。なのにライトノベルでは特段この論理を挟まずに「三段論法」で利用しているのです。

 桃太郎は「俺は桃から生まれた特別な存在。鬼は悪。だから俺は鬼を倒す」という「三段論法」で成り立っています。世の勧善懲悪物語は、ほぼこの構図です。

 これとは違い「俺には俺の正義がある。ヤツにはヤツの正義がある。だから対立するんだ」という論法があります。俗に「二項対立」と呼ばれる論理です。

「二項対立」を簡単に言えば、男と女、主体と客体、内と外、資本経済と社会福祉が当てはまります。

 では「三段論法」と「二項対立」を合わせた論理はないのか。名前はわかりませんが、そんな論理もあるんですね。

「俺には俺の正義がある。ヤツにはヤツの正義がある。だけど俺はヤツを倒さなければならない」というもの。

 そもそも「二項対立」はふたつの概念が矛盾または対立の関係にあることを指します。また概念をそのように二分することです。

 最も卑近な例として「俺は男である。彼女は女である。だから子供が産まれた」が「二項対立」を「三段論法」に乗せています。

 最近のライトノベルはこの「二項対立」を「三段論法」に乗せて成立した物語が多い。

 川原礫氏『ソードアート・オンライン』なら「プレイヤーと管理者」の「二項対立」に、「俺はオンラインゲーマー。誰かが管理者の作った浮遊城アインクラッドを攻略しないと生きて現実に戻れない。だから俺はアインクラッドを攻略する」という「三段論法」が乗っているのです。だから物語に深みが出ますし面白くなります。

 もし物語が「三段論法」でも「二項対立」でもなければ、デタラメな論理で成立した世界になるのです。それでは読み手が満足できません。

 物語を作るうえでは、必ず「三段論法」「二項対立」を意識して取り入れてください。





最後に

 今回は「テーマ、表現力、論理性」について述べました。

 これらは小説の面白さを構成する重要なピースです。

 三つすべて揃えていれば面白くなり、ひとつでも欠けていればつまらなくなります。

 せっかく三百枚・十万字の長編小説を書いても、面白くない作品は読まれてもせいぜい五枚止まりです。そこでたいてい見限られます。

 最初の五枚で「テーマ、表現力、論理性」をしっかりと提示しているから、読み手は「この物語は面白くなりそう」と前のめりになってくれるのです。



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