1225.学習篇:好奇心を満たすと教養が深まる
今回は「好奇心と教養」についてです。
「好奇心」があると自然と「教養」が身につきます。
「知りたい」と思う心がないと、記憶に定着しません。
好奇心を満たすと教養が深まる
どんな勉強でもそうですが、一度「あれが知りたい」と思えば、自分が「わかる」まで貪欲に知識を食い尽くします。
結果として知識がたくさん手に入り、教養が深まるのです。
やってみなければわからない。そんなものが世の中にはあふれています。
株式投資を始めてみて
私はどうも凝り性で、「これが知りたい」と思ったらつい実体験したくなります。
小学生の頃に「コンピュータ・ゲームが作りたい」と思ったら、ゲームデザイン、プログラミング、音楽、コンピュータ・グラフィックス、シナリオを貪欲に学んだのです。
学んだ順番はこのとおりだったと記憶しています。
このうちシナリオの勉強が「小説の書き方」コラムの原点です。
ゲームデザインは当時アドベンチャー・ゲームが主流でしたから、ほとんど学ぶものはありませんでした。しかし一周してまたゲームデザインにたどり着いたとき「兵法が知りたいな」と思いました。そこで『三十六計』次に『孫子』を読んで見事にハマったのです。
そして長らく兵法の勉強に時間を費やしました。
高校では「簿記」を選択して授業を受け、のちに書店店長となる礎を築いたのです。
その後派遣社員で官庁を渡り歩き、書店員だった頃に負った事故の後遺症で仕事に支障が出てきたことにより退職。以後静養に努めています。
最初はコンピュータ・グラフィックスをやっていたのですが、事故の後遺症から利き手の握力が低下してきたためしばし休養。そこから小説について考える時間ができました。
以前から構想していた長編四部作の中で、現代ものに「デイトレーダー」を出す予定でいたのです。しかし株式投資がどういうものか知りません。
そこで書店で入門書から読んでみましたが、ほとんどが「運」を「理論」と勘違いしている方の著書でげんなりとしてしまいました。
普通そうなると「デイトレーダー」をあきらめそうなものですが、私は違ったのです。
「運を理論と勘違いしているように見えるから、実際に取引してみたら書かれている理論が本物か偽りか見抜けるのではないか」と思いました。
すると持ち前の好奇心と挑戦者魂が一致して、実際に証券口座を開設したのです。
試しに書籍に書いてあった手法を試しますが、確かにある程度は理論どおりだったのですが、どうも「運」の要素が強すぎるように感じました。
そもそも株価というものは、売り手と買い手が手を握ると決まるのです。
つまり売り手が「一万円で売りたい」と思い、買い手が「八千円で買いたい」と思っていたら、永遠に株価は決まりません。
そんなときに「いくらでもいいから買いたい」という人が現れて、「一万円で売りたい」人から買えばここで株価が一万円になるのです。
すると買い手は株価一万円の銘柄を八千円で買いたいと思っても手に入るはずがありません。
多くの株式投資の書籍では「いくらでもいいから買いたい」人と「いくらでもいいから売りたい」人が大勢いる設定になっています。
しかし実際に相場を眺めていると、そんな人は早々見当たりません。というより、そういう人は姿を見せずに約定(この価格で何株買うが成立)して消えていきます。
「この価格で何株買う」が成立する約定を視覚化したものが「歩み値」です。これを見ていると「何時にいくらで何株成立したか」が一目瞭然。
しかし株式投資の書籍では「歩み値」の重要性を説いているものはがほとんどありません。
そこで「これは知られると困る情報ではないか」とにらみました。
他に書籍でほとんど書かれていないものに「出来高」があると気づいたのです。
「出来高」とは「約定した株式の総額」になります。
つまり「歩み値」が積み重なると「出来高」になるのです。
現在はまだ「デイトレード」に手を出していませんが、「板情報」と「歩み値」と「出来高」を毎日チェックしています。こうして「デイトレード」の知識を身につけていくのです。
そもそも私は「演技の知識があれば、後日役に立つかもしれない」と思っただけで俳優養成所に通い始めるくらいの行動派。「デイトレーダー」を誤りなく書きたいと思っただけで株式投資を始めるくらい朝飯前です。
もちろん「投資信託」「株式投資」「ファンダメンタルズ分析」「テクニカル分析」「スイングトレード」「デイトレード」の書籍を何冊も購入し、納得がいくまで読んではザラ場(東京証券取引所が開いている時間の売り買いの場)を眺める日々を過ごしています。
おかげで「デイトレーダー」とはどういうものかを肌で知れました。「デイトレーダー」の考え方や情報の仕込み方についても学んでいます。
これだけやれば「デイトレーダー」を誤りなく書けそうです。
元手があれば「デイトレーダー」として生きていけるかもしれません。
まぁ元手がないからお小遣い稼ぎ程度しかできないのですけどね。
好奇心を追究していく
このように、好奇心があると追究していくのが私のクセです。
たとえ途中で挫折しても、実践する、体験することでより本物に近づけます。
小説に「芸能人」を出そうと思ったら、昔の俳優養成所で得た知識が役立つのです。
剣豪を出したければ、と思って剣術道場に三回通いました。
格闘家をと思えば、昔いじめられっ子だったときの中国拳法と柔道とボクシングの知識が役に立ちます。
遠回りしていますが、確実に「すべての道はローマに通ず」を地で行く人生なのです。
次にどんな職業の人物やどんな特技のある人物を出したいかで、なにに挑戦するか決まります。
とりあえず魔法や超能力は使えませんので、魔法のない「異世界ファンタジー」である長編四部作の第一作を書きたいですね。本コラムでたびたび登場する『秋暁の霧、地を治む』。これを書き始めたら、ほぼ一直線に長編四部作へ取り組めるのです。
そのためには本コラムを適当なところで切り上げないといけないのですが。
私個人の話をするなら、もう本コラムを書く必要はありません。書いた知識はすでに脳細胞に刻み込まれています。しかし「まだ踏み出せない」方がいるかぎり、本コラムは指針となりうるのです。それならば書き続けたほうがよかろう、と判断しています。
ですので「コラムを見て小説が一本書けました」とご報告いただければ、それが私の指針です。ぜひ一声おかけいただければと存じます。
好奇心は教養の源
上記したように、私は「これってどうなんだろう」と思ったものはやらずにいられない性質です。
好奇心が湧くととことん追究していきます。そのため知識が他の人より深くなっているのです。「知識が深くなる」と「教養」がつきます。
つまり「好奇心は教養の源」となるのです。
できれば皆様にも「好奇心」をたいせつにしてもらいたい。
「好奇心」は「教養」をつける最高の手段だと思っています。
私ほどフットワークの軽い「小説の書き方」を執筆している人間なんてまずいないでしょう。
そんな私だからこそ「好奇心は教養の源」だと断言できます。
知らないものを知らないままにはしておけない。
これという「真実」やそれに近いものを手にするまで、私の「好奇心」は尽きません。
その無尽蔵な「好奇心」こそが、本コラムを四百二十五万字余も書き続けている秘訣です。
普通の方なら絶対に途中で飽きます。
私は「好奇心」がなかなか尽きないので、知らないことがあればどうしても知りたくなってしまうのです。
小説投稿サイトにおいてランキング上位の作品がエタっている(エタる:永遠に終わらない)のをよく見ます。
私に言わせれば「その小説に好奇心がなくなった」のでしょう。「好奇心」があれば途中で放っておくなんてできません。たとえ単行本十巻以上の連載になろうとも、「好奇心」の赴くまま書き続けます。
本コラムなんて単行本四十二巻ぶんも書いていてまだ終わらないのですよ。
それもこれも、私に「好奇心」があるから。「好奇心」が尽きたか失ったかしたときに本コラムは終わるのかもしれません。
最近は早く『秋暁の霧、地を治む』を書きたいなぁと思っています。そちらの「好奇心」が上回ったら、本コラムをいったん中断してでも書き始めるでしょう。
「小説賞・新人賞」を獲りたいのなら、本コラムを書くより長編小説を書いて応募しなければなりませんからね。
最後に
今回は「好奇心を満たすと教養が深まる」について述べました。
私は人並み外れて「好奇心」が強い性質です。
「これは将来なにかの役に立つ」と思えば、一心不乱に打ち込みます。
そしてひととおり身につけたら満足するのです。その頃になればすでに「教養」が相当深まっています。
私ほどの「好奇心」は求めません。
ただ皆様の「これってどういうことだろう」という問いには、たいてい世の中のどこかに答えがあります。
それを見つけ出そうとするのかあきらめてしまうのか。そこに「教養」の差が生じます。
どうせ時間を費やすのなら、遊んでいないで「好奇心」を満たしてみませんか。
そこから見えてくるものが必ずありますよ。
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