1219.技術篇:背中から学べは時代錯誤

 今回は「徒弟制度」についてです。

「文豪」は多くの徒弟を抱えていましたが、その中からはほとんど「文豪」は生まれませんでした。

 昔でもこうなのですから、今「徒弟制度」なんて古臭いと思いませんか。





背中から学べは時代錯誤


 徒弟制度が確立した当時なら、師匠の振る舞いを見て学ぶのにも一理ありました。

 しかし個別学習塾の時代になると、背中ではなにも伝わりません。




徒弟制度

「文豪」の時代、「プロ」の書き手は多くの徒弟を抱えていました。

 徒弟制度とは、親方や師匠などが職人を雇い、その世話をする「徒弟」と呼ばれた見習い制度のことです。

『Wikipedia』では「徒弟(とてい、英語: apprenticeship)、見習いとは、商人や職人の職業教育制度であり、若い世代を業務に従事させて(現任訓練、OJT)、時には座学(学校教育や読書など)を行う制度。 いわゆる「弟子」も含め、キャリアを構築することが可能であり、公的な技能認定を取得することが可能である。」とされています。

『コトバンク』で「徒弟制度」は「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」として「中世ヨーロッパの都市におけるギルドの内部で,後継者の養成と技術的訓練を行うために,また同時に職業的利益を守るために存在した制度。親方-職人-徒弟という身分秩序を構成し,徒弟になる年齢は 10~16歳で,期間はおよそ2~8年程度であった。親方の家で寝食をともにし,技術を修め,さらに3年間ほど職人として働いたのち,「親方作品」を提出して試験に合格すれば独立の親方となることができた。しかし,中世末期になると親方になれない職人がふえて,彼らは団結して親方に対抗するようにもなった。やがて,工場制大工業の発展に伴って徒弟制度それ自身は解体することになる。しかし,技芸の熟練を重んじる職人の伝統はヨーロッパの社会に今日でも残っている。日本ではでっちや手代と呼ばれる一種の徒弟制度が封建的労使関係の残滓として長い間温存されてきた。」とあります。


 しかし日本文学の徒弟制度は丁稚でっちよりももっとルーズで、基本的に「文豪」の日常の世話をさせられるだけで、満足に教えを請うことすらできません。

「文豪」が原稿を完成させたら、生原稿を間近に見せてもらって、徒弟たちがああだこうだと議論を交わすくらいのものです。

 ある「文豪」の徒弟は、自らの原稿を書く暇もなく雑用にこき使われ、嫌けが差して「文豪」のもとを去っていきました。他の「文豪」の徒弟となる方もかなりの数いたようです。

 そもそも日本文学の徒弟制度では、徒弟の側が師匠である「文豪」を選り好みできました。「この人から小説の書き方を学びたい」と思った「文豪」のもとに弟子入りできたのです。

 徒弟制度がうまく機能すれば、徒弟は雑用の合間に自分の原稿を書きあげて師匠に見てもらえます。筋がよいと見込まれたら担当編集さんに「この子の原稿を見てあげてよ」と口添えして、出版社レーベルに推薦していました。

 この方法で「プロ」デビューした「文豪」もそれなりにいたのです。

 だからこそ、徒弟を「雑用係」扱いする「文豪」の徒弟はなかなか芽が出なかった。

 門下生を数多く抱えていたのが夏目漱石氏、弟子を数多く抱えていたのが尾崎紅葉氏とされています。

 夏目漱石氏の門下生で四天王と呼ばれたのが「小宮豊隆氏・鈴木三重吉氏・森田草平氏・安倍能成氏」です。他にも著名なところでは岩波書店創業者の岩波茂雄氏、『冥途』『阿房列車』などの著書を持ち芥川龍之介氏に慕われた内田百間氏、戦前日本の物理学者で随筆家・俳人でもあった寺田寅彦氏など錚々たる面々が集まっていました。

 尾崎紅葉氏の弟子には『夜行巡査』『高野聖』で知られる怪奇的な作風の泉鏡花氏、『足跡』『仮装人物』『縮図』で知られる徳田秋声氏、『蒲団』に代表される私小説の開祖である田山花袋氏などがいます。

 このように「当たり」の「文豪」の徒弟になれればデビューも近かったのが、日本文学の徒弟制度なのです。




背中から学べはもう古い

 このような徒弟制度は、師匠である「文豪」の生原稿から徒弟たちが侃々諤々で意見を戦わせ、なぜここでこのような表現をしているのかを論評していました。その結果を自らの文体として昇華したのです。

 しかし現在では徒弟制度はまず見られなくなりました。

 インターネットが急速に普及したからです。

 誰もが世界中に向けて作品を発表できるので、誰かの徒弟となって苦労する必要もなくなりました。「文豪」や現役「プロ」作品の論評を戦わせる場もインターネットが主流となったのです。

「文豪」の人となりや文体を見習うよりも、独自の文体が身につけば格段に成功しやすくなります。そもそも「文豪の劣化コピー」が「文豪」を超えられるはずもないのです。

 前項で書いた門下生、弟子の中で師匠並みに評価されたのは泉鏡花氏くらい。他は師匠の足元にも及びませんでした。

 それでも「プロ」デビューしやすいから徒弟になりたがるんですよね。

 今ならさしずめお笑いの「たけし軍団」「よしもと芸人」でしょうか。

 お笑い芸人になりたい人たちがビートたけし氏に弟子入りをし、「たけし軍団」を形成していきます。しかしビートたけし氏は「たけし軍団」へほとんど指導していないそうです。自主性を重んじる気風があり。背中で語るタイプのビートたけし氏ですから、面白そうなヤツにチャンスを与えたかったからでしょう。

「よしもと芸人」は養成所である吉本総合芸能学院通称「NSC」から出発する人が多く、面白そうかつまらなそうかでふるい落とされます。面白そうなら誰かとコンビを組ませて漫才の練習をさせるのです。ちなみに「漫才」という呼称は吉本興業が使い始めました。吉本興業も以前は徒弟制度だったのですが、現在では養成所制度で運営されています。付き人はいてもマネジメントは専門の職員が行なっているのです。


 つまり現在の芸術では徒弟制度はほぼ存在しなく、今でも「俺の背中を見て学べ」と言っている方はほぼいません。いても勘違い野郎くらいでしょう。(刀剣類の鍛冶屋は今でも徒弟制度のようですが)。

 吉本興業のように、養成所で集中的に教えて、ものになるのが一割いればよい。その一割が養成所の運営資金を捻出してくれるのです。そうすれば循環で養成所運営を維持できますからね。

 インターネットの時代、徒弟制度はもう古いのです。「俺の背中を見て学べ」は通用しません。そんな姿勢ではすぐにSNSで悪評が拡散してしまいます。

 誰もが情報を共有できる養成所こそ、これからの技能習得の道なのです。

 本コラムが皆様の「養成所」となれるよう精進してまいります。





最後に

 今回は「背中から学べは時代錯誤」について述べました。

 情報が少なかった時代なら徒弟制度は有効に機能していました。

 しかしインターネットでいくらでも情報が発信・閲覧・拡散される時代では、徒弟制度では師匠の悪評が立つだけです。

 インターネットの時代は、養成所システムで幅広く募集しながらも、授業でふるい落としていきます。

 そのほうが高い技能を習得できる人が増えるからです。

 今でも徒弟制度を絶対視する方はほとんどいません。



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