1217.技術篇:記憶しやすいように書く
今回は「印象的な作品を書くには」についてです。
なぜ「文豪」の作品は記憶に残るのか。
ちょっと不思議ですよね。
記憶しやすいように書く
名作には印象に残るフレーズが散りばめられています。
書き出しが印象に残る、決め台詞が印象に残る、結びの一文が印象に残る。
それがどこかは人それぞれですが、たいていあの文豪の『○○』という作品は、と聞かれると「あぁ、〜、で有名なあの作品ですね」と答えられます。
書き出しが印象に残る
「文豪」の作品は基本的に「書き出しが印象に残る」ように作ってあります。
書き出しで読み手を惹きつけなければ、紙の書籍が売れなかったからです。
中でも書き出しに最も腐心したのが夏目漱石氏。彼はあらゆる書き出しを試しています。『こころ』『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『夢十夜』などは例示するまでもない書き出しが印象に残ります。
書き人知らずの『平家物語』の書き出し「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。」なんて国語の時間に無理やり憶えさせられたものです。そのためか、よくクイズとして使われていますね。
芥川龍之介氏『羅生門』『蜘蛛の糸』はたいてい試験に出てきましたので憶えていらっしゃる方が多いでしょう。
島崎藤村氏なら『夜明け前』『初恋』の出題率も高かったですね。
森鴎外氏『舞姫』はセンテンスが短い。逆に尾崎紅葉氏『金色夜叉』はとにかく長い一文で始まります。
川端康成氏『雪国』『伊豆の踊子』や太宰治氏『走れメロス』も例示は不要でしょう。
大江健三郎氏『万延元年のフットボール』も多くの方は知っているでしょうし、芥川龍之介賞作『飼育』をご存じの方も多いはず。
「文豪」が印象に残る書き出しを書くのか。印象に残る書き出しを書くから「文豪」と呼ばれるのか。「卵が先か、鶏が先か」論争ではあります。それほど「文豪」と「印象に残る書き出し」はイコール関係なのです。
これをちょっと勘違いしているのが村上春樹氏で、彼は「印象に残る書き出し」を書こうと意識しすぎて空回りしています。ノーベル文学賞が「印象に残る書き出し」で決まるのなら、夏目漱石氏をおいて誰が獲るのか。村上春樹氏の書き出しは夏目漱石氏に到底及びません。そして盟友であるカズオ・イシグロ氏にも劣るのです。
ふわふわと浮ついた感覚をもたらす文体が持ち味ですが、ともすれば意味不明と断ぜざるをえない文章に仕上がっています。これでノーベル文学賞が獲れるなら、もっとふさわしい日本人作家はいくらでもいるのです。
『十二国記』の小野不由美氏、『ブレイブ・ストーリー』の宮部みゆき氏、『精霊の守り人』の上橋菜穂子氏などは村上春樹氏の上を行っているように見えます。
書き出しがうまい「プロ」は、安定して売れるので賞を獲りやすいのかもしれませんね。
記憶に残る名言
名作には名言がつきものです。
田中芳樹氏『銀河英雄伝説』は群像劇ですが、とにかく名言が多い。歴史に絡めた言葉もあれば、書き手の思想から出た言葉もあります。あだ名にしてもカッコいいものばかりで、中二病をこじらせている方にはとにかくウケるのです。
「文豪」の名作にも記憶に残る名言があります。また、歴史を学んでいると有名な人物は名言を残しているのです。
たとえば孫武氏『孫子』には「兵は拙速を尊ぶ」とあり、三国時代魏の軍師・郭嘉奉孝氏は『三国志』郭嘉伝によると「兵は神速を尊ぶ」と言いました。
このふたつ、字面は似ていますが言わんとしていることが違います。
孫武氏は「準備不足でもとにかく人より早く動け」と言っているのに対し、郭嘉氏は「誰も追いつけないほど早く仕掛けろ」と言っているのです。これは郭嘉が魏軍を巧みに統率できていたからこそ生まれました。孫武氏の頃はまだ兵の統率さえ困難な時代で、練兵まで待っていたら好機を逸していたのです。だから練兵するくらいなら先に動けと言いたかった。
孫武氏は呉に仕える際、呉王闔閭から「用兵の腕前を見せよ」と言われて、女中たちを兵に見立てて練兵の手腕を振るいます。まず呉王の寵姫二人を隊長とし、女中たちに右と合図したら右を向け、左と合図したら左を向けのように基本動作を教えます。そして孫武氏は銅鑼を鳴らして右を向けと言ったのに、女中たちからは笑い声があがるのです。これに孫武氏は「これは命令が理解できなかったので私が悪かった」と言ってもう一度丁寧に基本動作を教えます。そしてまた銅鑼を鳴らして右を向けと指示したのに、女中たちはまた笑い声をあげたのです。孫武氏は「最初は命令がわからなかったので私の責任だが、今度は命令がしっかりと伝わっている。部下を統率できなかった隊長が悪い」と言って寵姫を斬り殺そうとします。呉王は「その娘たちがいなければ食事も喉を通らないからやめてくれ」と言いますが、孫武氏は「軍にあっては君命と言えども受けざるところあり」と述べて容赦なく寵姫を斬り殺しました。その様を見た女中たちは「この人に逆らったら殺される」と気づいたのです。孫武氏は次の女中を隊長役にして同じことをしましたが、今度は一度で命令が徹底されました。この「将、軍に在りては君命も受けざるところあり」は孫武の用兵を端的に表した言葉です。
小説ではありませんが『孫子』『三国志』にすら名言はあります。
小説なら名言のひとつもなければ内容を憶えてもらえません。
名言は難しいけど挑戦する価値がある
しかし名言を作るのはとても難しい。
まず「これは名言です」と書き手が主張してはならない。読み手が自発的に「これは名言だ」と思わなければ「押しつけられた感」が強くなって素直に受け入れられないからです。
次に「名言には含蓄があり」ます。つまり正論でなければ名言にはならないのです。詭弁の名言もなくはないのですが、なかなか受け入れられません。
これを考え合わせたうえで『銀河英雄伝説』のダスティ・アッテンボローの名言を挙げます。
「いいことを教えてやろうか、ユリアン」「何です?」「この世で一番、強い台詞さ。どんな正論も雄弁も、この一言にはかなわない」「無料で教えていただけるんでしたら」「うん、それもいい台詞だな。だが、こいつにはかなわない。つまりな、それがどうした、というんだ」
この例では書き手である田中芳樹氏が自ら「名言です」と断りを入れて述べています。
「無料で教えていただけるんでしたら」と「それがどうした」。ふたつの名言を読み手へ提示しているのです。
これは群像劇だから使える手ではあります。
主人公の一人称視点の場合、主人公が断りを入れてから名言を吐けません。いつも他の文に埋もれる形で提示されます。読み手はそれを読んで「名言」かどうかを判断するのです。だから小説は「名言」を書いても必ず受け取られるとはかぎらない。気づかれずにスルーされる可能性のほうが高いのです。
それでも書き手は「意識して名言を書く」必要があります。
たとえキザになったとしても、名言を連発する。それだけの面の皮の厚さが求められます。
『銀河英雄伝説』なんてセリフだけを読んでいくと、とにかく名言にあふれています。群像劇の三人称視点ですので、そもそもセリフは少ない。少ないセリフの多くが名言なのです。
名言はその域に達するまでが難しい。書き手に相応の教養が求められるからです。
とくに『銀河英雄伝説』はSFではあっても歴史小説の意味合いもあります。紀元前の人物の名言をさらりと書くだけの教養が田中芳樹氏にはあったのです。
一人称視点ではなかなか名言だらけとはいきません。しかしここぞという場面では名言を吐かせたいところです。
教養が求められますが、古典の読書量を増やせばいくらでも知識は増やせます。
難しいのですが、名言に挑戦しなければ読み手の記憶には残らないのです。
それなら挑戦してみるのも悪くない選択ではないでしょうか。
最後に
今回は「記憶しやすいように書く」について述べました。
読み手の記憶に残るには「書き出し」を工夫するか「名言を吐かせる」かしましょう。
あなたの小説が俎上に載せられたとき「あぁ、〜で有名なあの作品ですね」とシェアできる作品を目指すべきです。
そのためには「書き出し」か「名言」かに凝りましょう。
初心者は「書き出し」には凝れないので「名言」をひとつでも盛り込めればよいと思います。
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