1210.技術篇:物語世界のサバイバルブック

 今回は「教則」についてです。

 小説は物語の中での「生き残りの書」つまりサバイバルブックになっています。

 まずはどんな世界なのかを明確にしてください。





物語世界のサバイバルブック


 小説とは、詰まるところ「物語世界のサバイバルブック」です。

 確かに小説は「物語」そのものではあります。しかし実際は「物語世界をいかにして生きていくのか」その一例を示しているのです。




物語世界の紹介

 小説に限らず物語では、必ず前提となる世界設定の説明が必要です。

 童話『桃太郎』では「大きな桃が流れてくる」「大桃から子どもが生まれる」「強い鬼が存在する」「桃太郎が犬・猿・雉と会話できる」とこれだけの情報を説明しなければなりません。

 ですがこの「なんで?」に対する答えは先を読まないかぎりわからない仕掛けです。

『桃太郎』が短い物語だからこそ、こんな展開でもうまくいきます。もし原稿用紙三百枚・十万字の作品だとしたら、設定の後まわしはご都合主義もよいところです。

 もしお時間がございましたら『桃太郎』の物語をそのまま小説にしてみてください。

 すると足りないものが次々と見つかります。

 まずそこはいつのどんな場所ですか? 日本かもしれないし中国かもしれないし、他の国かもしれない。また日本だとしても現代かもしれないし江戸時代かもしれないし平安時代かもしれない。これをすべて「昔々あるところに」で片づけているのです。小説としてはかなりの強引さを感じませんか。

 次におじいさんとおばあさんの設定ですが、どちらが何歳かなんて語られませんよね。どんな容姿なのかもわからない。そもそもおじいさんとおばあさんはどこに住んでいるのでしょうか。「山へ柴刈りに」「川へ洗濯に」いくわけですから、山里なのかもしれませんが、おじいさんが健脚なら川沿いの平地かもしれません。逆におばあさんが健脚なら裏山のある丘かもしれません。どちらも健脚ならどちらも遠く離れたところでもかまわない。このあたりの設定もぜひ冒頭に盛り込みたいですよね。

 桃太郎が長じると「鬼退治に行く」と言い出します。桃から生まれるような摩訶不思議な人物ですから、何年かけて何歳くらいになったのか。これもわかりません。

 おばあさんは桃太郎にきびだんごを渡しますが、元々きびだんご作りが得意だったのか、旅の空腹を紛らわせてほしいと慣れない手つきで作ったのか。そして犬・猿・雉が欲しがるほどの出来栄えですよ。となれば相当な達人なのかもしれません。

 犬・猿・雉が出てきましたので、なぜ桃太郎は彼らと話ができたのでしょうか。桃から生まれるくらいだから、動物と会話ができても不思議ではない。それも間違いないかもしれませんが、犬・猿・雉同士も会話をしていたら、そこにはなんらかの理由が必要です。この物語世界では「すべての動物が日本語を話せる」のかも。どんどんわけがわからなくなりますよね。

 このように、童話ならなあなあで妥協できることも、小説では詳らかに書かなければなりません。童話と小説では「求められるもの」がそもそも異なるのでしょう。

 だから小説だと物語世界の設定を折々はさみながら、主人公である桃太郎を追い続けなければならないのです。




物語世界は恐ろしい

 基本的に物語の中にはとても恐ろしい世界が広がっています。

 我々が日常野良猫に出会うのと同じ頻度で魔物と遭遇するのです。中には当然野良猫もいるでしょうが、自分よりはるかに強い魔物と出会うかもしれません。彼らを相手に生き残れるでしょうか。

 このように脅威は頻繁に起こります。

 童話『桃太郎』では、鬼ヶ島にたどり着くまでに鬼がいっさい登場しません。もし村々を襲っているのなら、遭遇しないほうがおかしい。なぜか桃太郎一行が旅をすると襲っていた鬼たちが鬼ヶ島にたむろしているのです。

 しかし小説ならそんな手抜きは許されません。

 日々遭遇する魔物との戦いを通して「この物語世界は危険なんだ」と読み手に思っていただけるか。それが「剣と魔法のファンタジー」に求められるリアリティーでもあります。

 もちろん原稿用紙三百枚・十万字の中にこういった遭遇をすべて書けるわけではないのです。それでも「そういう危険な世界なんだ」ということは匂わせないと、中立地帯や無政府地帯なのに軽々と踏破できてしまいます。

 このあたりは川原礫氏『ソードアート・オンライン』を読めば歴然でしょう。「紙の書籍」版ではデスゲームが始まり程なくして大幅にレベルアップして物語が進んでいきます。その間の緊張感が読み手にまったく伝わらないのです。

「主人公最強」なら主人公が苦労してレベルアップしている姿を読み手に見せたくないときもあります。そういうときは「あえて」端折ってください。主人公が誰かに負けたり苦労している姿を見せると「主人公最強」が際立ちませんからね。「主人公最強」は物語のスタートから無双しているときと、最初は弱くても途中から最強になるときのふた通りあります。

 脇役たちが悪戦苦闘して敵をやっつけているところへ、主人公が颯爽と現れて敵を一掃する。だから「主人公最強」を演出できるのです。

 物語世界は本来とても恐ろしいところであるべき。

 その中で一般人はどんな暮らしをしているのか、勇者はどうやって腕を磨いているのか、主人公はなぜ最強となったのか。

 そういった疑問をひとつずつ読み手に明かしていけば、どれほど「主人公最強」なのかが伝わります。

 それ以外の方法では、正確に読み手へ伝わりません。凡人と最強との落差こそが「主人公最強」を読み手へ正確に伝えられるのです。




小説はサバイバルブック

 小説が童話と決定的に異なる点は、「現実にフィードバックできるか」どうかです。

 童話は物語が楽しめればそれでよい。ですが小説は「人物の行動による影響を詳しく書かなければならない」のです。

 なぜそんな行動をとらなければならないのか。その行動をとればどんな影響が及ぶのか。読み手が知ってどんなフィードバックを得られるのか。

 小説はそこまで考えなければなりません。

 小説とは「主人公が物語世界をどうやって生き抜くのか」を示した書物です。つまり「サバイバルブック」と言えます。

「主人公が生きた証」こそが小説なのです。

 ゲームの日本ファルコム『Ys』シリーズは、主人公アドル・クリスティンが生涯成した百余の冒険談を著した書という位置づけになっています。つまりアドルがどのような世界で、どのような冒険を繰り広げて冒険を成し遂げたのか。アドルの「サバイバルブック」としてゲームが存在しているのです。

 小説も同じで、主人公が冒険を成し遂げる。その遍歴を綴って主人公のサバイバル術にフォーカスします。

 つまり主人公の体験を通して、読み手がその物語世界を生き抜いていく術を身につけるのが娯楽としての「小説」なのです。

 もちろんサバイバル術はひとつとはかぎりません。同じ境遇でも人によってさまざまなサバイバル術があるはずです。だから小説はいくらでも生み出されます。

 中には境遇も同じ、主人公も仲間も同じ、倒すべき「対になる存在」も同じ。そしてその物語世界を生き抜くサバイバル術まで一緒という作品をよく見かけます。小説投稿サイトのトップランカーとそのフォロワーによく見られる現象です。

 でもこれってまったく同じ内容なのですから、何冊読んでも同じ展開になって飽きますよね。私ならすぐに飽きて、続きを読む気さえ起こりません。

 主人公によって異なるサバイバル術で解決するから、小説は面白いのだと思っています。まったく同じなら、そのサバイバル術はすでに読み手へ刷り込まれており、今さら同じサバイバル術を憶える必要なんてありません。





最後に

 今回は「物語世界のサバイバルブック」について述べました。

 とくに「異世界ファンタジー」は現実世界とは違い、危険に満ちているものです。

 その日常の危険をどのように生き抜いているのか。それを書いたものが「小説」なのです。

「主人公最強」なら日常の脅威をあっという間に片づけるかもしれません。

 しかし凡人は日常の脅威へまさに命懸けで立ち向かうか、逃げまわるかするしかないのです。

 その差を読ませれば、いかに「主人公が最強なのか」が読み手へ伝わります。



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