1208.技術篇:人格者を目指そう
小説を書くのは自堕落な人でもできる。
そう思っている方は考えを改めてもらいたい。
名を残す「文豪」は教師や医師だった聖職者が多いのです。
人格者を目指そう
「文豪」といえば「ハチャメチャ」な人が多い印象がありますよね。
三島由紀夫氏は割腹自殺するわ、田山花袋氏は自分の元から去っていった女性の弟子の布団に潜り込むわ。筒井康隆氏はクスリをやるわ。奇行は挙げるときりがありません。
しかし歴史に名を残す「文豪」はたいてい「人格者」でした。少なくとも死ぬときまでには「人格者」になっていました。
教師や医師が多い
実は「文豪」は教師や医師だった方が多いのです。ともに聖職者であり「人格者」でなければ務まりません。
森鴎外氏は陸軍軍医としてドイツでも軍医の経験があり、東京美術学校で美術解剖学講師、東京専門学校で科外講師、慶應義塾大学で審美学講師を委嘱されています。
国木田独歩は麻郷小学校で英語、廃校となった小学校を借り上げて波野英学塾を開設して英語や作文など、のちに鶴谷学館で英語と数学の教師を務めました。
夏目漱石氏は英文学者で愛媛県尋常中学校教師、熊本第五高等学校教授などを務めてのちイギリスへ留学し、帰国後に東京帝国大学(今の東京大学)講師として英文学の教鞭を執っていました。
島崎藤村氏は明治女学校高等科英語科教師、東北学院でも教鞭を執り、小諸義塾で英語教師、慶應義塾大学で文学科講師となっています。
他にも芥川龍之介氏は海軍嘱託教官として英語を担当し、中島敦氏は横浜高等女学校で国語と英語を、新美南吉氏は半田第二尋常小学校で代用教員として国語と英語と農業を教えていたのです。
小説以外でも、宮澤賢治氏は農学校の教諭であり英語と数学と科学と農業、石川啄木氏は尋常高等小学校の代用教員でした。
パッと挙げるだけでもこれだけの「文豪」が教師や医師として働いた経験があります。
ちなみにマンガ家の手塚治虫氏も外科医師で、その知識と経験が『ブラック・ジャック』に活かされているのです。
さらに序文で「ハチャメチャ」と称した三島由紀夫氏も大蔵省で勤務していますから、実はかなりのインテリです。インテリすぎて発想がぶっ飛んでしまったのでしょうか。
翻って私たちは教師や医師でしょうか。
ほとんどの方が「違う」と答えるでしょう。私も書店店長をやっていましたが、教師や医師の経験はありません。まぁ本コラムを通して皆様に「小説の書き方」を教えている講師くらいの位置づけはありそうですが。
では教師でも医師でも講師でもない方は小説を書いてはならないのか。
勘違いしてほしくないのですが、それ以外の職業を経験した「文豪」のほうが多いのです。
ただ「文豪」には意外と教師や医師の経験者が目立っていた時期が確かにありました。
それだけ「小説を書く」のは高尚な趣味だったのです。
人格者を目指す
私たちは教師でも医師でもありません。
では私たちには時代に残る作品は書けないのでしょうか。
書けます。正しくは「教師や医師」などの聖職者のような「人格者」になれば、多くの読み手が影響を受ける作品なら書けるのです。
「人格者」すぐれた人格の持ち主のことです。
なにをもって「すぐれた人格」とするかは諸説あります。
主に性格、行動、仕事などの面にすぐれている人を指しているのです。
すこぶる温和をもって「人格者」とも呼ばれますし、常識に外れず「人格者」とも呼ばれます。このあたりは「人格者」イコール「聖職者」のイメージがあると考えられるのです。
つまり名だたる「文豪」のような教師や医師などの「聖職者」でないのなら、イコール「人格者」になれば同じラインに立てます。
だから私たちはまず「人格者」を目指すのです。
ライトノベルでは『まおゆう魔王勇者』『ログ・ホライズン』の橙乃ままれ氏がある意味で有名になりましたよね。
二〇一一年に著作権管理会社を設立して二〇一四年までの三年間に税務申告をしなかったため「脱税」で東京国税局に告発されました。執行猶予が三年つきましたが懲役十か月、著作権管理会社は罰金七〇〇万円の実刑判決です。
これによって悪名がついてしまい、創作活動に支障をきたしています。
たとえ意図的でなくても、結果的に「意図的」とみなされれば「人格者」ではなくなるのです。
私たちは橙乃ままれ氏の事例を反面教師としましょう。
遵法精神を心がけてけっして法に触れず、人を助けてけっして損ねず、物腰柔らかくけっして居丈高にならず。
未来の「文豪」も前例に則り「人格者」だけがなれると、私は考えています。
もしいま後ろ暗いことをしているのなら、すっぱりと手を切ってください。
どこから見られても清廉潔白である。義理人情に篤い。
その程度の節制もできないのに、未来の「文豪」とはなれません。
まぁ人生で一作だけ大ヒットさせればよいのであれば「人格者」でなくても達成は可能です。
代表作が一作しかない「文豪」も数多くいますからね。
ですが生涯現役で活躍する「プロ」になりたければ、やはり「人格者」でなければなりません。
第一、担当編集さんとスムーズな意思疎通ができなければ、要求される小説なんて書けやしません。書きたくもないものを、多くの方に読まれるよう書ける人。それが「プロ」なのです。
最後に
今回は「人格者を目指そう」について述べました。
過去の「文豪」には教師や医師などの聖職者が多かった。
もちろんそれ以外の方も多かったのですが、当時はインテリでなければ小説を書けなかったのです。
今は誰にでも小説は書けます。とくに本コラムをお読みになれば、誰でも書けるようになるのです。しかし長く書き続けられ、評価される方は、ほぼ例外なく「人格者」です。
「小説賞・新人賞」を獲って担当編集さんが付き「紙の書籍」化を目指す。それなのにコミュニケーション能力に乏しければ「紙の書籍」化は権利だけあるのにいっこうに出版されない事態が起こります。そんな書き手とこれからも末永くお付き合いしたい出版社レーベルはありません。
小説を書く以上、過去の「文豪」のように「人格者」であるべきです。
(ハチャメチャな「文豪」がいたことは、反面教師にしておきましょう)。
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