1182.技術篇:間違いはすぐに素直に認める
指摘されるとつい反発してしまいがちです。
しかし小説は書き手のものではあまりせん。
ここを勘違いしていると、いつまで経ってもレベルアップできませんよ。
間違いはすぐに素直に認める
小説を書いていると、どうしても犯してしまうのが「間違い」です。物語の展開に関わる間違いは「矛盾」といえます。
当初の「企画書」「あらすじ」で物語を進めてきて、あるとき「あれ? このままだとつじつまが合わないぞ」と気づくのです。
そんなときは「すぐに」「素直に」間違いを認めてください。
間違いは指摘されないと気づきにくい
書いているときは「執筆者モード」「一人称視点の主人公モード」になっていますから、間違いには気づきにくいものです。
するとコメントや感想などで「これっておかしくないですか?」と指摘されることも一度や二度ではありません。
とくに連載が長くなり、読み手も加速度的に増えていけばいくほど、指摘の数は多くなります。
ここで考えなければならないのは、「その指摘は正しいのか」です。
多くの指摘は「誤字脱字」「慣用句の誤用」だと思います。
これらは「すぐに」謝罪して「素直に」訂正してください。
とくに「慣用句の誤用」は私たちが思い込んでいるから「間違い」に気づけないのです。
「ムッとする」ことを「憮然とする」と書くのは間違い。ですが多くの書き手は用いてしまうのです。
しかもたちが悪いことに「ムッとする」を別の表現ではなかなか書けません。あれこれ悩んだ末に、結局「憮然とする」と書いてしまいます。
よく歌の「さわり」を聴かせてほしいと書く方がいますが、このときの「さわり」は「出だし」ではありません。「いちばん聴きたいところ」つまり「サビ」です。
他にも「ここらが潮時か」も誤用しやすい。多くの方が「もうおいしいときが過ぎてうま味がなくなった頃」と認識しています。本来は「今が最もおいしい頃」を指しています。「最高潮」という言葉を思い出してください。これは「今がいちばん潮が高い」意ですよね。この「潮」の時こそが「潮時」。だから「潮時」と「最高潮」はほぼ同義になります。でも誤用が多い言葉です。今では誤用のほうが定着した言葉かもしれません。
こういった「慣用句の誤用」はとても多いので、よほど自信がない言葉を用いるときは、いったん辞書で意味を調べましょう。もしPCで執筆しているのなら、ブラウザを開いて『Google検索』に調べたい言葉を書いて検索するだけで、正しい意味がわかります。
「誤字脱字」は漢字の間違いがとても多い。
「きく」には「聞く」「聴く」「訊く」「利く」「効く」の五つの漢字があります。それぞれ意味は異なるのですが、ある程度の汎用性があるのです。
たとえば「訊く」は「たずねる」意で用います。「道をたずねる」意で用いるときは「道を訊く」と書くのです。これは「たずねる」の漢字に「訊ねる」があると知っているだけで正しく選択できます。ただし常用漢字ではないため、基本的に「たずねる」意であっても「聞く」と書くのが一般です。とくにライトノベルは対象年齢が中高生なので、「訊く」は用いないほうが無難だと思います。中二病を考慮すれば、あえて「訊く」もありでしょうけれども。
物語の矛盾
しかしときに「物語の矛盾」も指摘されます。ここがいちばんの困りどころ。
「この指摘はすぐに訂正するべきか」「これからの展開を考えると、この指摘をここで訂正できない」
このように先々の展開次第では「今の矛盾が将来の伏線」となりやすいのです。
つまり書き手としては「意図して起こした矛盾」なのですが、読み手に先々の展開なんてわかりません。
読み手は「意図して起こした矛盾」だとは知らないのです。当たり前の話。「伏線」に気づいたらそこで先々の展開が読めてしまって冷めますからね。
書き手は「伏線」を巧みに隠したいのです。読み手は伏線に気づかずに物語を楽しみたい。だから「今の矛盾」をあえて起こしているとしても「伏線」にまで気づかれてはならない。しかし「伏線」だとわからなければ、読み手は「矛盾」だけが目につくのです。
だからこそとても困ります。
早々に「矛盾」は「伏線」と明かすべきなのか。読み手が離れてもかまわないから「伏線」を隠してあえて「矛盾」を野放しにするのか。
どちらを採っても読み手は確実に減ります。
どちらも駄目なら「伏線」と明かさないほうがよいのです。いつか「伏線」が明かされたときに、一度離れた読み手たちが帰ってきますから。早々に「伏線」だと明かしたら、先々が読めてしまって面白くない。これでは離れた読み手は帰ってこないのです。
だからこそ「その指摘は正しいのか」をよく吟味しなければなりません。
ですが「伏線」でもないのに「矛盾」が発生したら、それはすぐに訂正しましょう。素直に謝罪して、正しい展開へ改めるのです。
読み手に「伏線」か「矛盾」かの区別はつきません。だから「伏線」でない「矛盾」は、ただの間違いですから、すぐに訂正してください。
指摘を素直に受け入れる
書き手には「他人の指摘を素直に受け入れられない」方が多い。
それは「自分がこの小説や世界を創ったのだから、私のほうが詳しいし正しい」と思い込むからでしょう。
その思い込みがあるうちはけっして大成しません。
小説は、書き手がどう書いたかではなく、読み手がどう受け取ったか、がすべてです。
つまり世に出た小説は「書き手のもの」ではありません。「読み手のもの」になります。
書き手は「読み手のもの」となった作品をどう導いていくのか。肝心の読み手が違和感を覚えないながらも、想定を超える展開が必要です。
「違和感を覚える」展開は読み手から鋭い指摘が飛んできます。
「主人公はこんなバカな選択などしない」とよく指摘されるのです。
設定で主人公は「バカだけどまっすぐな人物」だとしても、読み手が感情移入すると基準は読み手へ移ります。つまり主人公が「バカ」ばかりやっていると、読み手が「こんなことはしない」と反発してしまうのです。
だから、最初は愚かな主人公でも、次第に成長していかなければ、そのうち読み手の期待に応えられなくなります。
どうしても「バカ」を直したくないのなら、「バカ」なりの「成果」を出すしかありません。これはとくに「コメディー」「ラブコメ」でありがちな指摘です。
「コメディー」だからこそ、誰かが「バカ」をやらないと読み手は笑ってくれません。
そして「主人公がバカをやる」タイプの物語では、最初のうちは読み手に好評なのですが、話が進むにつれ不評が募ってきます。
このあたりに「コメディー」「ラブコメ」の限界が見えてくるのです。だから「コメディー」「ラブコメ」は最後まできっちり書けると評価が高まります。
きちんと笑わせて、それでいてきちんと考えさせる。
この絶妙のバランスをとるのが「コメディー」「ラブコメ」です。
最後に
今回は「間違いはすぐに素直に認める」について述べました。
小説は、発表した時点で「書き手」の手を離れて「読み手のもの」となります。
だから読み手が「これは違うんじゃないかな」と言ったら、やはり違うのです。
いくら書き手が「自分の創作物」と主張しても「読み手のもの」という認識は変わりません。
あとはいかに書き手が謙虚になれるか。
書き手はただ我を通せばよいわけではないのです。
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