1171.技術篇:伝えたいことを書かずに伝えるには
小説には「テーマ」があります。
「テーマ」のない小説は読み応えがありません。
でも直接「テーマ」を書かないようにしましょう。
伝えたいことを書かずに伝えるには
小説には「テーマ」が設定されています。
しかし多くの読み手は、物語を楽しむだけで「テーマ」の存在に気づきません。
気づいていないのですが、楽しみながら「テーマ」について考えてしまうのです。
なぜ書かれていない「テーマ」について読み手は考えてしまうのでしょうか。
テーマは直接書かない
小説を読もうと思っていて、もし選んだ本のタイトルに「テーマ」がそのまま書いてあったとしたら。あなたはどうしますか。
私だったら読まずに書棚に戻します。だって、どんなに面白い作品であったとしても、訴えてくる「テーマ」が最初からわかっているのです。読んでいて楽しくありませんよね。ネタバレしたドラマやマンガほどつまらないものはないのです。
小説だって、最初からネタバレしていたら、そこから改めて十万字を読もうと思いますか。
だから少なくとも作品のタイトルに「テーマ」をそのまま書いてはならないのです。
たとえばフョードル・ドストエフスキー氏『罪と罰』。
ひじょうに文字数の多い小説です。当然ページ数もあるのでぶ厚い書籍で、刊行形態によっては分巻もされています。
しかし本文を読む前にテーマはすでに書かれているのです。
「罪と罰」。そのままです。
これ、読んでみたいと思いますか?
海外文学を好んで読む方以外で『罪と罰』を読破しようとする方は少ないはずです。
とにかく分量が多いのに、ドストエフスキー氏の訴えたかった「テーマ」がタイトルにそのまま書いてある。
だからこそ現代人は『罪と罰』は読まないのです。
では小説投稿サイトに目を移します。
一番人気のジャンルである「異世界ファンタジー」「ハイファンタジー」のランキング上位のタイトルをよくご覧ください。
どんな物語なのか、タイトルだけでネタバレしていますよね。それでもランキング上位にいるのです。
なぜでしょうか。
それは「スタート時点のネタバレしかしていない」からです。
つまり「こんな主人公のこんな物語です」としか書いていません。『罪と罰』のように「テーマ」がそのまま書いてあるわけではないのです。
まぁ中には「ざまぁ」とか「俺TUEEE」とか「テーマ」のようなものもそのまま書いてある作品はあります。
しかしそもそも「ざまぁ」にしろ「俺TUEEE」にしろ、「テーマ」と呼べるほど底が深くない。というより「テーマ」ではないのです。
「追放」されたから「ざまぁ」する。それってただの因果関係にすぎませんよね。
「ざまぁ」は結果であって「テーマ」ではない。「見返してやろう」は「テーマ」にもなりますが、ここでは経過にすぎません。
「追放」されたから「見返してやろう」と思って結果「ざまぁ」する話。ただそれだけです。
実は読まれている、そして評価されている作品はタイトルだけでは区別がつきにくい。「タイトルでスタート時点のネタバレをしながらも、本当に訴えたい『テーマ』は書かれていない」のです。
タイトルは「テーマ」のネタバレではなく、「スタート時点の設定」のネタバレにすると閲覧数が増えるというのがよくわかります。
たとえば「命は世界で最もたいせつなもの」という「テーマ」を設定する。
であれば、誰かの言葉で「命をたいせつにしなさい」と書いてはなりません。
「テーマ」が読み手にすぐ伝わってしまい、それ以上考える余地がなくなります。
あまりにあけすけで、読み手の気づきを導けないのです。
テーマと正反対のものを出す
「テーマ」を表現するとき最も利用され、また効果があるのは「テーマと正反対のもの」を出すことです。
「命は世界で最もたいせつなもの」が「テーマ」なら、「平気で他人の命を奪う人」や「自分の命を軽んじる人」を登場させるのです。そしてそれらを否定する展開に持ち込めば、語らずとも「テーマ」は読み手へ周知されます。
たとえば伝説の人斬りが、「平気で他人の命を奪う人」と戦って打ち負かすけれども命はとらない。これで「命をたいせつにする」という「テーマ」は、ただ訴えるよりも読み手に伝わるのです。
殺人鬼と不殺の者が戦って、不殺の者が勝つ。だから「人殺し」よりも「人の命を守ろうとする」意志のほうが強いと認識され、「命をたいせつにする」べきだと思わせられます。
「テーマ」はその方向だけを出しても正確には伝わらないのです。
ときに「テーマ」と正反対のものを出して、対比によって「テーマ」を導き出す手法をとりましょう。
「戦争をしてはならない」が「テーマ」なら、「戦争を引き起こしている人」を出すのです。
「友情は愛情よりも尊い」が「テーマ」なら、「友情より愛情のほうが尊いと思っている人」を出します。
訴えたい「テーマ」があるなら、「テーマ」と正反対のものを出すのです。
私たち書き手には訴えたい「テーマ」があります。「テーマ」を持たない小説には深みがないのです。
訴えたい「テーマ」があっても、それをただ単に書けばよいわけではありません。
「テーマ」を直接書くのはあまりにも野暮で、あけすけで、安直です。
「テーマ」とは正反対のものを出せば、読み手は「テーマ」を無意識に意識します。
書かなくても伝わるものなのです。
たとえばマンガの和月伸宏氏『るろうに剣心 〜明治剣客浪漫譚』の主人公・緋村剣心は明治維新において「人斬り抜刀斎」と恐れられた人物でした。しかし現在は「不殺」を信条としており、佩いている愛刀も逆刃刀です。そんな剣心の周りに「人殺し」たちがたくさんやってきます。それらをことごとく打ち倒すことで「人殺し」よりも「不殺」のほうが強いと読み手に思わせるわけです。
ただし「不殺」という「テーマ」を作中で語りすぎていますから、ちょっと見え透いています。剣術バトルシーンは心躍りますが、どうせ「不殺」でしょうと冷めて見られるおそれかあるのです。
ドラマの『暴れん坊将軍』の主人公・徳田新之助こと徳川吉宗は、弱い庶民の味方として悪徳商人や悪代官に立ち向かいます。しかし剣術バトルシーンは必ず吉宗が構えた刀を回して峰打ちすると「わざわざ」視聴者に見せているのです。剣術バトルの爽快感がありながらも「人殺し」をしているわけではない。まぁお付きの忍者は容赦なく斬り殺していますが。そして最後に悪徳商人や悪代官へ「成敗」と告げて忍者に殺させます。吉宗自身は「不殺」を貫き、汚れ役は忍者に任せるのです。だから「不殺」は「殺人鬼」よりも強いと視聴者に訴えかけられます。
『るろうに剣心』と『暴れん坊将軍』とは同じテーマ「不殺」を取り上げながらも、受け手が「テーマ」をどれだけ無意識に納得できるかには差が出るのです。
もちろん『るろうに剣心』は子供向け、『暴れん坊将軍』は高齢者向けと、対象年齢層が異なります。だから「テーマ」を直接書いたほうがよいのか、直接観せないほうが伝わるのかも、ある程度ターゲット層によって分かれるのかもしれません。
ただ『暴れん坊将軍』では「テーマ」を直接書かなくてもはっきり伝わると証明してみせました。
小説でも「テーマ」とは正反対のものを登場させて、主人公がそれと対峙して打ち勝つのです。
応用もあります。
主人公自身が「テーマ」とは正反対のものを抱える人物であり、「テーマ」を体現するものに負けるのです。すると「これでは駄目なんだな」と読み手へ伝えられます。このパターンの代表格は「悲劇」であり、ウィリアム・シェイクスピア氏『ロミオとジュリエット』の主人公たちの境遇でもあります。
「テーマ」が伝わるには、正反対のものを出して対比を演出する。
それが「テーマ」を直接書かなくても読み手へ伝える手段です。
最後に
今回は「伝えたいことを書かずに伝えるには」について述べました。
書き手としては伝えたい「テーマ」は直接書きたくなるものです。
しかしそれでは「テーマ」の一文を読んだ方が、「あぁ、こういうテーマの作品か」と認識した時点で本を閉じられてしまいます。
伝えたい「テーマ」は直接書かず、正反対のものと向き合う姿を読ませればよいのです。
それだけで読み手の心に「テーマ」が芽生えてきます。
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