1151.技術篇:読み手は物語を読みたいだけでない

 今回は「知識」についてです。

 人は知らないものを知ろうとします。

 その原始的な欲求は、小説を読む動機づけともなるのです。

 そしてお知らせです。

 本コラムは2017年4月17日に『ピクシブ文芸』へ第一回を投稿して以来、毎日連載を続けてきました。つまりあと十日ほどで三周年、そして四年目へ突入致します。ここまでお付き合いいただきまして誠にありがとうございます。

 本コラムはあとちょっとだけ続く予定です。あと少しお付き合いいただければと存じます。





読み手は物語を読みたいだけでない


 小説は物語を楽しむために作品を読む。

 それが世界の真実である保証はない。

 少なくとも一部であってもすべてではありません。

 世界を広くそして深く理解したい欲求を満たすために読みます。

 極論すると、その小説に登場する「知識」を読み手がすべて知っていたら、その作品は「つまらない」と評価されるのです。




読み手が知らない知識を入れ込む

 私がこのコラムで断片的に公開している『秋暁の霧、地を治む』は、戦場における「戦術」の重要性を読み手へ知らしめたいと思って構想しています。

 つまり「戦術」に詳しくない方が読めば、「戦術」の知識が手に入るのです。

 思いもつかなかった「戦術」が目の前で繰り広げられれば、誰だって興味を示します。

 まぁ戦争もの自体が嫌いな方には、なんの得にもなりませんけどね。

 ですが私は中国古典のとくに「兵法書」を数多く読んでいます。だから私が皆様にお伝えできる知識も「戦争」に関するものばかりです。

「私はこれといった知識を持っていないんだけど、どうすればよいのですか」

 そのような声が聞こえてきます。

 その場合は「物語世界」つまり世界観を読み手へ伝えるようにしてください。

 小説投稿サイトでは「異世界ファンタジー」に人気が集まります。それは読み手に「異世界ファンタジー」の舞台となる異世界の「知識」がいっさいないからです。つまり読み手は文章から「どのような世界なのか」を知る楽しみがあります。

 本来なら「日常生活にも役立つ知識」が最上なのです。しかしそんな知識をあなただけが知っていることは少ない。私の「兵法」の知識は、知っている方がかなり限られるものです。だからこそ伝える価値があります。

 ですが「兵法」を本格的に学ぼうとすれば、洋の東西を問わず難解な兵法書の数々を読破しなければなりません。今から「兵法」の「知識」を学ぶのは効率が悪すぎます。

 もっと簡単なのが「異世界ファンタジー」の世界観を読み手へ伝えることです。

 未知の世界に潜む「謎」が次々と解き明かされていくさまは、読み手に「知識」を与えるようなもの。読み手が世界のすべてを理解したときには、物語は終わりを迎えている。

 世界観がまったくわからない「異世界ファンタジー」に人気が集まる。ひとえにこれが原因です。

 現実世界の東京が舞台だと、世界観は皆が知っているため、この手法は使えません。その場合はなにがしかの「知識」がどうしても必要になってしまいます。そこで「現実世界ファンタジー」にして架空の都市を創り上げる方が多いのです。

 現実世界で皆が知らない世界観を舞台にする手法はあります。「旅情ミステリー」と呼ばれる推理小説がその代表です。

 全国各地の名所を舞台に物語を繰り広げます。当然その名所に詳しくなければ書けませんが、逆に言えばその名所に詳しければ読み手へ「知識」を与えられるのです。取材力が物を言いますが、取材に手を抜かなければ読み応えのある現実世界ものが書けます。

 いずれにせよ、読み手に「知識」を与えられるかどうかが、名作か駄作かを分けるのです。




さまざまな主義主張に触れたい

 登場人物には、それぞれの主義主張があります。

 読み手はさまざまな主義主張に触れたくて小説を読むのです。

 性善説で生きる主人公と、性悪説で生きる皇帝の対比はよく見られます。

 利己的な主人公と、利他的なヒロインの対比も定番です。

 人は実にさまざまな主義主張を踏まえて生きています。自分とは異なる主義主張・価値観を知りたがるのも人の性です。

 たとえば利己的な人なら、利己的な主人公に感情移入しやすい。それは主義主張・価値観が同じだからです。

 そんな利己的な主人公が、冒険を通じて利他的な精神に目覚めていく。その過程を物語で体験すると、読み手にも利他的な精神が宿ってきます。それほどまで深く感情移入できるのが小説という「一次元の芸術」が持つ魔力です。

 最近ではライトノベルの多くがアニメ化されていきますが、アニメを見ても視聴者の主義主張・価値観は変えられません。映像を観ることに意識が向かってしまい、「主人公へ深く感情移入する」という本来の魅力が薄れてしまうからです。

 読み手は己の主義主張・価値観と異なるものに強い関心を抱きます。

 たとえば性格の穏やかな文学少年は、血湧き肉躍るバトルシーンに強く惹かれるのです。

 自分ではできないことを主人公ならやってのける。だから憧れを抱きます。

 さまざまな主義主張・価値観に触れれば、人としての度量が広くなるのです。虫も殺せないような心優しい少女が、強大な魔法を駆使して魔物の大群を蹴散らす魔術師の物語を読む。そうすれば、戦わなければならないときに意を決する覚悟が定まります。


 このような事例は戦時下に多く見られるのです。

 たとえばマンガの田河水泡氏『のらくろ』は戦争の啓発マンガという位置づけにありました。上官からの命令を受けて主人公のらくろがハチャメチャな行動をとります。そのため太平洋戦争前に内務省から圧力を受けて連載が打ち切りになったのです。

 打ち切られるまでは、のんきな戦争啓発マンガだったので、軍隊という組織の主義主張を読み手に紹介する役割を担っていました。

 軍隊の主義主張に親しんだ子供は、自ら進んで軍に入隊していったのです。まぁ入隊してからがたいへんなんですけどね。マンガと現実とではギャップがありすぎますから。

 その点小説は軍隊についても厳しい現実を突きつけてきます。

 小説家は基本的に反戦論者が多かったのです。これは欧米の主義主張・価値観を知っていて、軍事主義の大日本帝国は欠陥が多いとわかっていたからでしょう。

 だからなのか、太平洋戦争の際にはほとんどの小説家が断筆させられています。活動を続けられたのは新聞連載のプロパガンダ小説くらいですね。

 他の小説家は同人誌を編纂するなど、地下に潜って活動していました。それが戦後の日本復興の希望ともなったのです。


 かといって、書き手が作中に登場して主義主張・価値観の講釈を垂れるようでは興醒めもよいところ。

 ある主義主張・価値観を説明したいのなら、その主義主張・価値観の変遷や末路を物語として読ませればよいのです。偉そうに講釈を垂れるから、主人公への感情移入も妨げられます。作中に書き手が登場して、よいことはいっさいありません。

 物語を通じて、主人公の変化を通して主義主張・価値観がどうなるのかを書くのが小説です。

 小説は物語を読ませる芸術であって、講釈を垂れる代物ではありません。

 書き手として最上の主義主張・価値観がなにかを持っていれば、主人公にその主義主張・価値観を持たせればよいのです。そうして物語を進めれば、いかにその主義主張・価値観が素晴らしいものかを読み手へ伝えられます。

 もし読み手が受け入れられない主義主張・価値観を持つ主人公であれば、そもそもその作品を読みません。多少なりとも受け入れられる方だけが読むのです。

 だから右翼的な主義主張・価値観の小説もあれば、左翼的な主義主張・価値観の小説もあります。プロレタリア文学の旗手・小林多喜二氏『蟹工船』もあったのです。

 いずれにせよ、主義主張・価値観は物語を通じて描くべきであり、講釈を垂れてはならない。小説は物語を楽しむための娯楽だと、正しく理解してください。

 あなたの主義主張・価値観を押しつけるための芸術ではないのです。それでは多くの読み手に逃げられてしまいますよ。





最後に

 今回は「読み手は物語を読みたいだけでない」について述べました。

 知らない「知識」を得るために読む。知らない主義主張・価値観を得るために読む。

 小説を始めとした物語を読む理由は、そういったところにもあります。

 もしすべて知っている方がいたら、その人は小説は読みません。なにせ書いてあるすべてを知っていて、面白さがまったく味わえないのですから。

 数多くの小説を読んできて、あらゆる「知識」、あらゆる主義主張・価値観を得ているのであれば、いっそ書き手を目指しましょう。

 あなたが持っている「知識」や主義主張・価値観は、他人が持っていないものかもしれません。であれば、それを分け与えるだけの徳を積んでもよいのではないでしょうか。



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