技術篇〜いかにして名作が創られるか

1150.技術篇:最初の一文が書き出し

 今回から「技術篇」に入ります。

 実はかなり温めていました。これだけ長い連載で技術面は「描写篇」「表現篇」でも書いていますので、まったく初めてではありません。

 今回は技術の精神的な面を重視して連載してまいります。





最初の一文が書き出し


 なにを当たり前のことを。そうお思いですね。

 しかしこの「当たり前」が理解できていない書き手は多い。




書き出しで惹き込めるか

 小説の書き方は人それぞれです。私は「企画書」「あらすじ」「箱書き」「プロット」の順に工程を踏んで書くよう推奨しています。

 そういった工程をすべて吹っ飛ばして、書き出しから思いつきで筆を執るから書けないのです。このやり方だと、書き出しをひらめかないかぎり小説は書けません。

 ドラマや映画などでよく「文豪」が書き出しを書いては「こんなんじゃ駄目だ!」と原稿用紙を丸めてゴミ箱の方向へ投げ捨てる場面がありますよね。

 あのイメージが強い人は「小説とはよい書き出しが思い浮かばなければ書けない」と思い込んでしまうのです。

 実際には、書き出しは「企画書」「あらすじ」「箱書き」「プロット」の順に物語を確定させた後、最初へ戻ってどこから物語を始めるべきか考えて決めます。

 この手順であれば、どの場面から始まるかを決められるため、どんな書き出しが作品にふさわしいか見えてくるはずです。

 まったく手がかりのない状態で書き出しに悩むから、書いては消し、書いては捨てを繰り返します。

 時代は「文豪」を求めていません。もはや「文豪」が活躍する時代ではないのです。「売れる作品」が書ける「プロ」が求められています。

「売れる作品」はいかに書き出しで惹き込めるかどうかにかかっているのです。

 太宰治氏『走れメロス』の書き出し「メロスは激怒した。」は有名だと思います。この書き出しは「文豪」らしくありません。「文豪」ならもっと小洒落た書き出しで読み手を惹きつけようとします。しかし「メロスは激怒した。」にはそういった小洒落た印象を受けません。感情が剥き出しなのです。

 ではなぜ「メロスは激怒した。」という書き出しをしたのでしょうか。

 推測の域を出ないのですが、物語の締めの一文までを構想し、どんな締めにするか確実にしたからこそ、あの書き出しになったと考えると納得しやすい。

『走れメロス』の締めの一文は「メロスは赤面した。」です。

 つまりこの締めと対になるように、書き出しを工夫したから「メロスは激怒した。」となりました。

 このように始まりと終わりが直結すると、物語は綺麗に終われます。

『走れメロス』並みのうまさを、書き出しから書くタイプの方が真似するなら、中編小説までがせいぜいです。長編小説では分量が多すぎて、締めの一文をどう書こうかまでを想定できません。できたら間違いなく天才です。




最初の一文が読まれるかの関門

 実は冒頭の一文こそ、その作品が最後まで読まれるかを左右します。

 長編小説なのにひじょうに個人的なことが書いてあると、読み手は物語の広がりを想像できません。

「これからなにか起こりそうだ」という期待があるから、長編小説を読もうとするのです。波乱がなさそうな作品なんて、読むに値しません。

 少なくとも長編小説には波乱が必要です。ショートショート、短編小説、中編小説までは波乱が起こらなくても物語が成立してしまいます。対して長編小説、連載小説では波乱がなければ物語の最後まで読ませられないのです。

『走れメロス』の書き出しが「メロスは激怒した。」ですから、個人的ですよね。物語の広がりを想像できません。名作と呼ばれているのは、短編小説だからです。短編小説であれば「ちょっと気になる書き出し」でも読んでくれます。

 しかし長編小説の書き出しで「メロスは激怒した。」にすると、物語がまったく広がりません。状況の畳みかけで面白さを醸し出せはします。しかし長編小説の広がりはどうしても弱くなるのです。

 ではどうすればよいのでしょうか。

 冒頭の一文つまり書き出しは「主人公を動かす」。主人公が動けば読み手はその主人公へ惹き込まれていくのです。「メロスは激怒した。」も動いているじゃないか、という向きもありますが、これは感情を直接書いているだけで動いてはいません。単なる状態・設定を述べているにすぎないのです。事実『走れメロス』はその後メロスが暴君を許せないことをつらつらと書き連ねています。つまりメロスの設定を延々と書いてあるだけ。

 では「主人公を動かす」だけで読み手は引き込めるのでしょうか。

 実はこれだけでは足りません。

 よく推理小説の書き出しで「死体を転がせ」と言われます。物語が始まったらまず「謎」を読み手に提示する。これで読み手は「この謎はどうやって解けるのだろうか」が気になって先を読ませる力となるのです。

 ライトノベルでも同じことが言えます。冒頭の一文から「謎」が提示されないと、読み手が食いつかないのです。

 たとえば冒頭の一文で「主人公が何者かに襲われている」ことを書く。すると「なぜ主人公は襲われているのか」が気になって、先を読ませる力となります。

 恋愛小説で「私は今恋をしている。」という書き出しにしたとします。「主人公が恋している」という動きが提示されているのです。すると「誰に恋しているんだろう」と気になりますよね。そこで「担任の先生が気になって仕方ない。」と続けて書けば「担任の先生に恋しているのか」とわかるのです。すると「担任の先生ってどんな感じの人だろう」と気になる。こうやって次々と「謎」を提示していくことで、読み手をぐいぐいと物語に引っ張り込めるかどうか。

 書き出しひとつで惹きはここまで大きく変わります。

 読まれる作品はつねに読み手へ「謎」を投げかけているのです。

 物語の入り口だからこそ、そこから「佳境クライマックス」まで一気に読ませて、「結末エンディング」で物語を完全に締めましょう。

 すべての「謎」は「結末エンディング」までに解き明かされなければなりません。

「謎」が残ると読み手は消化不良を起こします。

 とくに「小説賞・新人賞」へ応募する作品は、すべての「謎」を解き明かして締めてください。

「謎」が残るとあなたの構成力に難癖をつける人は必ず現れます。そうなるとすんなりと大賞は獲れなくなるでしょう。

 逆に「謎」をすべて解き明かしていれば、構成力を高く評価されます。物語の展開の仕方、「謎」の解明の仕方が正しいため、構成力を高く評価されるからです。


 理想的な書き出しは「主人公を動かし」つつ「謎」を作る一文になります。

 主人公が出てこない。または「謎」がいっさいない書き出しはすべて失格です。





最後に

 今回は「最初の一文が書き出し」について述べました。

 どんな物語も書き出しから始まります。読み手にとっては「最初の一文が書き出し」の認識です。

 しかし最初の一文から世界観の説明に終始してしまう。第一章を丸々世界観の説明に費やす方が予想以上に多い。

 最初の一文から主人公が登場しなければ、惹きは弱まってしまいます。結果「面白くないのでは」と読み手に思われてしまうのです。



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