1149.鍛錬篇:鍛錬に近道なし

 今回で「鍛錬篇」は終わりです。

 鍛錬にズルは通用しません。愚直に突き進んだ者しか、成果は得られないのです。

 指が折れるまで、指が折れるまで! セガサターンしろ!(脱線しました)





鍛錬に近道なし


 できれば最小の努力で最大の効果を上げたいところですよね。

 しかし鍛錬には近道なんてありません。

 愚直に挑戦し、失敗し、精査し、改善する。そしてまた挑戦するのです。

 その繰り返しでしか上達しません。

 自ら気づけなければ、いくら他人から聞いても簡単には受け入れられないのです。




鍛錬はしょせん単純作業

 どんな鍛錬も、突き詰めれば「単純作業」です。

 剣術の鍛錬も、刀の握り方や振り方、体さばきなどの「単純作業」を繰り返して体に染み込ませます。

 野球のピッチングも、ボールの握り方や体の使い方、腕の振り方、投げ終わった後の体のさばき方までの一連を何度も繰り返すことで体に憶えさせるのです。

 たとえ宮本武蔵氏であろうと柳生宗矩氏であろうと、大谷翔平氏であろうと江川卓氏であろうと、鍛錬はつねに「単純作業」を繰り返しました。

 だからこそ誰も届かないほどの高みまで登りつめられたのです。

 彼らは天才と呼ばれますが、天才ほど「単純作業」を愚直に繰り返してきました。もしかすると「天才」とは「単純作業」をしても飽きが来ない方々なのではないでしょうか。だから何度も繰り返して、いつの間にか真理に到達してしまうのです。

 発明王のトーマス・アルバ・エジソン氏、相対性理論のアルバート・アインシュタイン氏らは病的なまでに同じことを繰り返しているそうです。たとえばある実験をするときに、ひとつ失敗しても同じことを触媒を変えて何度でも繰り返すだけの忍耐力がありました。彼らにとって実験や思考は「ゲーム」なのです。やっていて楽しいことだから、休憩している間にも楽しんでしまいます。その飽くなき探究心こそが天才の天才たるゆえんかもしれません。

 あなたは天才ですか? 少なくとも私は天才ではありません。

 天才なら「単純作業」をひたすら繰り返してください。

 天才でないなら、天才以上に「単純作業」を繰り返すのです。とにかく量で天才に負けてしまっては、天才の上へ行けるはずもありません。




天才はいつも参加している

「小説賞・新人賞」へ応募してくる方の中に天才が必ずいると思ってください。

 日本だけで毎年百万人ほどは生まれてきます。だから一年に一度の賞であっても新規に百万人の中から精鋭が参戦してくるのです。その中に天才がいないなんてまず考えられません。

 天才を相手にして大賞を射止めないかぎり、あなたは「プロ」にはなれないのです。

 どうしても「プロ」になりたければ、天才よりも上のものを持ちましょう。

 それが「単純作業」による筆力の向上です。

 愚直に挑戦し、失敗し、精査し、改善する。そしてまた挑戦するのです。

 この繰り返しで筆力を高め続けているかぎり、あなたは天才に負けはしません。

 もし全力で繰り返しているのに天才に負けるのであれば、それは天才が「単純作業」という努力の重要性に気づいたからです。

 凡人が天才と同じことをすれば必ず負けます。もし凡人が全力で筆力を高めようと努力しているのに、天才も同じだけ努力していたとしたら。同じことをしていますから凡人は負けてしまうのです。

 だから凡人は自分がどのくらい努力しているかを他人に明かしてはなりません。

 とくに天才の耳に入ったら、立場が一気に逆転しかねないのです。

 たとえ努力を繰り返していたとしても、「努力を積み重ねた結果です」とコメントするようでは、天才に努力の重要性を気づかれてしまいます。

 謙遜であっても「努力のおかげ」なんて言ってはならないのです。

 言った途端、天才が猛烈な勢いで努力するきっかけを与えてしまいます。

 凡人が大賞を射止めたいなら、天才にヒントを与えてはならないのです。

 天才はわずかなことから本質を見抜きます。「努力のおかげ」と聞いただけで飽くなき努力を積み重ねるのです。

 小説投稿サイトで連載しているのであれば、ポーカーフェイスでいてください。

「努力しました」「苦労しました」「頑張りました」

 これらはいっさい禁止です。天才に本質を気づかれてしまいますよ。

 とくにあなたがまだ本質を見抜いていないのなら、口に出してはなりません。

 天才相手には、臆病なくらいがちょうどよいのです。

 けっして悟られないでください。

「眠れる獅子」には眠り続けていただきましょう。

 少なくとも、あなたが大賞を獲るまでは。




秀才は努力を積み重ねた凡人

 世の中には秀才がいます。

 彼らは天才に匹敵するほどの才能を持っていますが、天才とは違います。

 天才は生まれたときから本質を見抜くのです。

 秀才は努力を積み重ねて本質が見抜けるようになった凡人の行き着く先。元は凡人なのです。

 凡人も努力を積み重ねれば天才と対等に渡り合えます。

 天才と対等に渡り合える凡人を、人は「秀才」と呼ぶのです。

 もし天才が自分を「天才」だとは思わず、凡人同様に努力を積み重ねたら、人類の高みに到達します。

 それこそトーマス・アルバ・エジソン氏、アルバート・アインシュタイン氏やレオナルド・ダ・ヴィンチ氏のような天才中の天才です。

 社会に資するには、天才は「天才中の天才」であるべき。凡人は秀才であるべき。

 ただの凡人は社会では底辺の仕事しかさせてもらえません。それこそ「単純作業」だけを行なう単純労働者として。

 社会的ステータスを考えれば、凡人ほど秀才になりましょう。

 凡人は努力を積み重ねれば秀才になれます。苦労して大成した人の多くが秀才型です。

 たとえば徳川家康氏。天才型の織田信長氏、豊臣秀吉氏に逆らわず、コツコツと努力を積み重ねた結果、関ヶ原の戦いで石田三成氏率いる西軍を打ち破り、長期政権となる徳川幕府を築けました。

 世の中には小説の天才が数多くいます。現在「プロ」として活躍している書き手の多くが天才です。「小説賞・新人賞」で大賞を授かった人たちしか活躍していません。もはや大賞を獲らずして「プロ」になれない時代なのです。

「小説賞・新人賞」を獲って「プロ」デビューしたい方は、鍛錬を怠ってはなりません。

 凡人であれば秀才になるため。天才であれば「天才中の天才」になるため。

 一角の人物になるには、努力を積み重ねるほかないのです。

 鍛錬に近道はありません。基礎を愚直に続けてきた人ほど大成します。

 たとえ鍛錬が「単純作業」であっても、飽くことなく繰り返せるかどうか。

 上達の秘訣は「単純作業」に面白さを見出だせるかどうかです。





最後に

 今回は「鍛錬に近道なし」について述べました。

 誰もが一回の苦労ですべてを手にしたいと思っています。

 しかし才能は「単純作業」の鍛錬を繰り返さないかぎり花開きません。

 あなたは凡人でしょうか。天才でしょうか。

 天才は本コラムを読まなくても「小説賞・新人賞」の獲れる作品が書けます。

 本コラムをお読みになる方は、総じて凡人です。

 であるなら鍛錬を怠らず、天才に匹敵するほどの秀才を目指しましょう。



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