1146.鍛錬篇:譲れないものを持つ

 今回は「譲れないもの」についてです。

 小説を書くのは「譲れないもの」を書くと同様の意味を持ちます。

 つまり書き手に信念がなければ、小説に魂が入らないのです。





譲れないものを持つ


「小説家」という職業は、他人に流されるだけではなれません。

 たとえ誰かから指摘されても、譲れないものを持っているかどうか。

 不動の価値観、信念こそ「小説家」には不可欠です。




絶対に書きたい物語なら譲らない

「この作品、あの有名な小説に似ていますよね」

 小説投稿サイトで活躍していると、そう言われることもあります。

 あとは「なにを参考にしたのですか」もよく言われますね。

 あなたが一から考えて生み出したにもかかわらず、パクリやモノマネのように言われてしまうのです。

 このとき、あなたは物語の進行方向を変えるべきでしょうか。

 ここで譲ってはなりません。

 指摘してきた人がなんと言おうと、その物語はあなたのオリジナルです。

 確かに誰かの小説に似ているのかもしれない。でも世界中に小説なんて有史以来おそらく億単位で存在しているはずです。そのどれともかぶらない小説は今さら書けるはずもありません。

 ウィリアム・シェイクスピア氏『ロミオとジュリエット』に似ている。

 悲恋の物語なんて多かれ少なかれあのフォーマットになります。あえて避けて独自性オリジナリティーを出そうと考えても、話の筋が通らなくなるのです。

 王道結構! 批判結構!

 あなたが本当に書きたかった物語が、どこかのどれかの作品に似ていても気にしないでください。書きたいものを書いたほうが話の筋は通りますし、読んでいて面白いものです。

「この作品って、まんま『ロミオとジュリエット』だよな」と言われるかもしれません。

 しかし、あなたが確信犯でパクリ引用しているならいざしらず。書きたいものを書いているだけなら、批判されたって貫き通すべきです。

 先に書きましたが、小説なんてすでに億単位で書かれています。そのどれともかぶらない作品なんて書けようはずもないのです。

『小説家になろう』で人気の「異世界転生」だって、誰かが真っ先に書いたフォーマットを、皆が平気で下敷きにしていますよね。なぜ「異世界転生」「異世界転移」「悪役令嬢」などが批判されず、『ロミオとジュリエット』に似ているというだけで非難されなければならないのか。

 絶対に書きたい物語なら、絶対に譲らないでください。

 似ていたっていいじゃないですか。

「○○に似ている」と言われたら、「異世界転生」の作品だって皆似ていますよね、と言い返しましょう。




訴えたいテーマは譲らない

「離れ離れになった親子が再会する」というテーマで長編小説を一本書こうと思います。

 ですが意外と多いんですよね、このテーマの作品って。

 小説に限らずマンガやアニメ、ドラマに映画、ゲームも含めれば、万単位以上は確実にあります。小説の総数が一億だとして、最低でも百万は同じテーマです。

 だから評価で「この作品って陳腐なテーマなんですね」と言われても気にしないでください。

 変化をつけるために立場を入れ替えてもかまいません。しかしテーマはあまりいじらないほうがよいでしょう。伝えたいテーマがぼやけてしまうからです。

 テーマは荒削りで剥き出しなほうが読み手に正しく伝わります。

 物語が始まってからすぐに「主人公は親と再会するために旅に出る」とテーマを大々的に訴えかけたほうがよいのです。

 そういう物語が読みたい方は続きを読みます。読み飽きている方はそれ以上読まずに去っていくのです。去ってくれれば「この作品って陳腐なテーマなんですね」なんて書かれる心配もありません。そんな「陳腐な」テーマが読みたい方は確実に存在するのです。

 だから訴えたいテーマがあるのなら、たとえ多くの書き手が書いていようとも譲らないでください。

 テーマに億単位のバリエーションなんてありません。

 よくて千。「異世界ファンタジー」に絞れば百あればよいほうではないでしょうか。

「国を追われた王子が、荒廃した国を復興しようと王都を目指す」

 これなんて、何度同じテーマの作品が作られたでしょうか。

「追放」ものの原点ともとれるテーマですね。だからこそ定番であり、多くの作品で用いられました。

「初恋に落ちたのは友人が付き合っている女性だった」

 恋愛小説でも鉄板のテーマではないでしょうか。

「被害者を殺した犯人を自白させる」

 推理小説はほとんどがこのテーマです。犯人が自白せずに逮捕されることはまずありませんし、犯人を追い詰める前に死なれてしまうことも珍しい。

 もし犯人が自白せずに逮捕されたら、物的証拠がなければ有罪に持ち込めませんよね。そうなると物語はここで終わらず、「解決編」を書かなければならなくなります。推理ジャンルの「小説賞・新人賞」へ応募するのに「解決編」が必要な作品なんて書いてはなりません。必ず応募作一本で解決しなければ「完成原稿」とはみなされないのです。

 犯人を追い詰める前に死なれてしまうと、「残念な事件でした」で終わってしまいます。犯人を自白させられないのですから動機がわからず、読み手も読み終えてすっきりしないのです。

 推理ものの例を見ると、いかにテーマを貫くことが物語の完成度を高めるかがわかるのではないでしょうか。

 だからこそ、訴えたいテーマにケチをつけられても、絶対に譲ってはなりません。

 多くの作品が用いているテーマであっても、見せ方、読ませ方は書き手によって千差万別です。あなたの感性が赴くままに構想を練りましょう。

 テーマなんてほとんど出尽くしています。もし凡百なテーマを外そうと思ったら、王道から少し展開を変えてみてください。

「国を追われた王子が、荒廃した国を復興しようと王都を目指す」

 これを「辺境の地で身分を知らずに育った王子が」としたり「魔王に乗っ取られた国を取り戻そうと」としたりするのです。少しだけですがテーマがズレましたよね。いずれもまだ王道です。

 そうなのです。まず「王道」があり、そこから少し展開を変えてみる。そうやって数多くの作品が創られてきたので、ひとつやふたつ変えてみたところで、それもすでに「王道」なのです。

 それなら訴えたいテーマは最初から譲るべきではありません。

 譲った結果支離滅裂な展開が生まれてしまえば、もう大賞を射止めるなんてできはしないのです。

 どうしてもテーマで差別化を図りたい。そのほうが「小説賞・新人賞」で有利になる。

 この発想は理解できます。実際に黒田夏子氏が芥川龍之介賞を授かった『abさんご』でそれを証明しました。テーマの差別化で大賞が獲れたのです。

 しかし他の芥川龍之介賞作品は、それほどテーマの差別化は図られていません。

 お笑い芸人ピースの又吉直樹氏『火花』も、テーマ自体はよくある葛藤劇でした。

 それでもあなたは大賞を獲るために訴えたいテーマを譲ろうと思いますか。





最後に

 今回は「譲れないものを持つ」ことについて述べました。

 書きたい物語や訴えたいテーマがあるのなら、安易に譲ってはなりません。

 たとえ凡百であっても、作品の見せ方、読ませ方を工夫すれば面白くなります。

 変に意識するから物語やテーマが破綻しやすいのです。

 それなら堂々と凡百な物語やテーマで作品を書きましょう。



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