1141.鍛錬篇:記憶したいとき
今回は「記憶する」ことについてです。
小説を書くには、語彙や表現など憶えなければならないものが多い。
それらを効率よく憶えるためには、記憶術を知る必要があります。
記憶したいとき
小説を書くためには憶えなければならないものが多いのです。
語彙や表現やイベントの種類だけでなく、登場させる事物についても詳しくなりましょう。
事物を正しく描写・表現できなければ、物語は読み手に伝わりません。
興味を持つ
記憶したいものがある。試験や仕事にかかわってくるものなら、忘れてはならないものもありますよね。
最強の記憶術があるとすれば、「興味を持つ」ことです。
人は興味を持っているものなら忘れません。
たとえばあなたの好きな歌があるとします。その歌詞を見ないでカラオケを歌えるでしょうか。ほとんどの方は歌えるはずです。好きで何度も歌っていれば、歌詞を見ないでもカラオケで歌えます。
これが「興味を持つ」ものは忘れない原理です。
歌といえば、アニメ『巨人の星』のオープニング歌である『ゆけゆけ飛雄馬』に乗せて出てくる、主人公・星飛雄馬が引っ張るあの「いかにも重そうな物体」が思い出されます。
あの「いかにも重そうな物体」を飛雄馬が引っ張っていますし、歌の冒頭で「思い込んだら試練の道を」と流れるのです。
すると頭の中では「重いコンダラ試練の道を」と聞こえてしまい、あの「いかにも重そうな物体」は「コンダラ」と言うんだなと誤って憶えてしまいます。
しかも毎週繰り返し聴いているため、もう完全にあの「いかにも重そうな物体」は「コンダラ」であり、歌詞も「重いコンダラ試練の道を」だなと誤認するのです。
あまりにも場面と歌詞がマッチしていて「コンダラ」で憶えた方が多くなりました。今でも野球部などでは「コンダラ」で通じるそうです。
あの「いかにも重そうな物体」は正確には「整地ローラー」と呼びます。
今こう言われて「へぇ、コンダラって本当は整地ローラーと言うのか」と憶えた気になるのです。
しかし一週間、いや明日のこの時間にもう一度『ゆけゆけ飛雄馬』を聴いたら、やはりあの「いかにも重そうな物体」は「コンダラ」だと思ってしまいます。
「興味を持っ」て憶えたものは、そう簡単に上書きされません。強力に記憶として定着してしまっているのです。
小説でいえば、十巻以上も続く作品を読んでいたとします。
その中である事件が起きた。するとこの事件を読み手は憶えるのです。たとえ第一巻に出てきた事件でも最終巻で再び触れたとき、忘れないで憶えていられます。
それは「物語が面白い」からです。言い換えれば「興味を持っ」ている物語だからこそ、その事件の場面が正確に記憶されます。
もし「物語がつまらない」のであれば、そもそも憶えようとは思いませんし、実際憶えません。
たとえば英語が苦手であれば、「a」と「the」の使い分けの理屈はいつまで経っても覚えられない。なにせ苦手であり「興味がない」のですから。
「面白い小説」は、読み手の脳内に忍び込んで記憶に刻み込まれます。
あなたの書いた小説が面白いかどうかは、読んだ方の記憶にどれだけ残っているかで決まると言ってもよいでしょう。
私は田中芳樹氏『銀河英雄伝説』が好きで、銀河帝国側、自由惑星同盟側の登場人物の名前や、どのような事件や戦争が起こったのかについて、かなり詳しく憶えています。これは「物語が面白かった」表れです。もし読んでいて「つまらない」と感じていたら、本伝十巻、外伝五巻の内容などとても憶えてはいられません。
私が栗本薫氏『グイン・サーガ』に手を出さなかったのは、百巻以上にも及ぶ物語を憶えるだけの脳力がないと判断したからです。読んでいたらあまりの面白さに、おそらく記憶力の大半をつぎ込んでしまったでしょう。
「面白い物語」は憶えようとしなくても、憶えてしまうもの。
書き手としては「憶えやすいよう」にするよりも「面白くなるよう」にしたほうが建設的です。
五感を刺激する
物事を記憶しようと思ったとき、「興味を持つ」だけではなく「五感」を活かせばさらに効率よく憶えられます。
私は四十年近く前に初めてマイコンピュータ(今のPCつまりパーソナル・コンピュータ)というものを知り、マイコン雑誌の付録だった実物大キーボード写真を手に入れました。そこでどの位置にどの英数字、カナがあるのかを憶えようとしたのです。
まず「興味を持っ」ています。だからこそ憶えようと思ったのですから。
キーボードの写真を机に広げて指を置き、英語の単語を見てはその写真のどこに英数字があるのかを憶えようとしました。ある程度スピーディーに行なえるようになったら、目を閉じて指を動かしてみる。しかし記録が残らないのでほとんど意味がありませんよね。そこで母親に英文タイプライターを買ってもらいました。当時はマイコンよりも英文タイプライターは安価で入手できたのです。そこで実際に指でキーを押して活字がインクリボン越しに紙へ印字され、初めて自分の脳内のキーボードが実際に合っているのか違っているのかを知りました。
このおかげですぐに英文の入力が速くなって、一分間に百八十字入力できるまでになったのです。やはり実際に指で触るだけでなく打鍵すると憶えるのも早くなります。
たとえば「梅干し」を記憶しようとしてください。
まず字面を見る。「梅干し」と書いてあるのが見えます。では実際の「梅干し」を見てください。紅色でしわくちゃで丸い物体です。大きさもわかりますよね。これが「視覚」で「梅干し」を憶える行為です。
では「梅干し」と声を出してください。「うめぼし」と読みましたよね。これが「聴覚」で「梅干し」を憶える行為です。
では「梅干し」を触ってみてください。ちょっとぶよぶよしていて力を入れると水分がにじみ出てきますよね。これが「触覚」で「梅干し」を憶える行為です。
では「梅干し」の匂いを嗅いでみてください。シソと梅の香りが混じった、なんとも言えない風味を感じます。これが「嗅覚」で「梅干し」を憶える行為です。
では「梅干し」を舐めたり食べたりしてみてください。ひと舐めするだけで酸っぱさが伝わってきて口がしゅわしゅわになってしまいます。口の中に入れて噛んでみると酸っぱさだけでなく塩辛くて、実はすぐに崩れますが中に種が入っているので歯にガチリと当たります。これが「味覚」で「梅干し」を憶える行為です。
これで五感がすべて揃いました。ここまですれば、嫌でも「梅干し」を憶えるでしょう。
パパイヤ、マンゴー、ドリアンなどの果物は、五感を駆使すればすんなりと憶えられます。
ビールの銘柄によって味わいが異なることは、成年でお酒を飲まれる方ならご存知でしょう。私はアルコール飲料が駄目なので、ビールの味わいなんてひとつも知りはしませんが。
食べられないものは「味覚」が使えないので難しい。ですが可能なかぎり使える感覚を利用することで、何倍も憶えやすくなります。
英単語を憶えようと思ったら、五感を用いて対象を実際に見ながら、発音を聞きながら、触れるものなら触りながら憶えるようにしてください。それだけで驚くほど容易に憶えられます。
小説でいえば「語彙を増やそう」と言葉を憶えるときに利用できます。
「言う」の語彙は豊富ですが、使える場面や状態に合った単語に分けられるのです。
言語には触れませんし、匂いも嗅げませんし、味わえません。「目で視て」「耳で聴いて」憶えます。それだけではすんなり憶えられませんから、シチュエーションを想定して正しく使い分けられるようになりましょう。
必要に応じて「告げる」「語る」「述べる」「伝える」「のたまう」「おっしゃる」などを使い分けられるかどうか。
シチュエーションをどれだけ想定できるかで、憶えやすさが異なります。
つまり語彙は「場数を踏まないと憶えられない」のです。
だから類語辞典を引いてめぼしい単語を見つけたら、積極的に使うようにしてください。使用実績のない語彙はまず憶えられません。「あげつらう」という語彙が見つかったら、その意味を知って積極的に作品に書いていくのです。場合によっては、語彙を憶えるためだけに短編小説を書くのもよいでしょう。
ちなみに五感だけでなく人には「圧覚」「痛覚」「温度感覚」「運動感覚」「平衡感覚」「臓器感覚」などさまざまな感覚感知機能があります。
これらを活かした作品が書ければ、臨場感はいや増すでしょう。
何度も引っ張り出す
記憶は何度も引っ張り出していると錆びつきません。
よく老人が昔の自慢話を何度も繰り返すのを見ませんか。
あれは、一度思い出したら記憶がリフレッシュされて脳に再び格納されるため、新鮮な記憶になってしまうからです。
つまり自慢話をする、記憶がリフレッシュされる、脳へ新鮮に格納される、自慢話が新鮮な状態になる、取り出しやすい同じ自慢話を始める、……を延々とループしています。
どうしても憶えたいものがあったら、何度も記憶から引き出してみましょう。再度格納する際に新鮮な情報だと脳に誤認させるのです。
前項で「語彙を憶えるためだけに短編小説を書くのもよいでしょう」と書きました。これは、何度も脳から引っ張り出して記憶に定着させるためです。
「場数を踏まないと憶えられない」のなら、何度も引っ張り出して情報をリフレッシュさせて、脳へ新鮮に格納すればよい。
書き手によって語彙が偏るのは、その書き手が何度も用いている語彙だからです。
敬語を使い慣れていない方が敬語を用いると、ほとんどの場合誤ります。これも「使い慣れていない」からです。
小学生の国語から敬語を教わっているはずの私たちは、正しい敬語をなかなかうまく使えません。学生のうちはほとんど敬語を用いる必要がないからです。習った敬語は脳内で錆びついています。だから習ったはずの敬語が正しく使えないのです。
記憶したものをいろいろと引き出せるようになるには、折を見て何度も引き出しましょう。錆びつかないかぎり、脳内からスムーズに記憶が取り出せるようになりますよ。
最後に
今回は「記憶したいとき」について述べました。
要点は「興味を持つ」「五感を刺激する」「何度も引っ張り出す」の三つです。
この三条件が揃ってなお忘れる人はいません。
小説の書き方を憶えたいのであれば、小説を書くことに興味を持ちましょう。描写や表現は五感を刺激するように書きましょう。憶えたいことは何度も書きましょう。
これらは小説を書くだけでなく、勉学や仕事にも応用できます。
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