1129.鍛錬篇:受賞した人にあってあなたにないもの

 今回は「人の不幸は蜜の味」についてです。

 知人と一緒に「小説賞・新人賞」へ応募して、ともに落ちるとホッとしませんか。

 そんな知人はいないなとお思いでしたら、ランキング上位の書き手を想定してください。トップランカーでも落ちるのなら「この大賞は獲るのが難しいな」と感じるはずです。





受賞した人にあってあなたにないもの


 あなたが知人と一緒に「小説賞・新人賞」へ応募して、ともに落選すると妙にホッとしませんか。

「あぁ、落ちたのは私だけではないのか」と感じてしまう。

 それってちょっと後ろ向きだと思います。




知人も落ちるとホッとする

「人の不幸は蜜の味」と言います。

 落選した人の話は、それだけ興味を惹くのです。

 しかし知人も一緒に応募していて、あなただけでなく知人が落ちてもホッとします。

 これは「私以外にも落ちた人はいるんだ」と納得したいからかもしれません。

 知人や仲間がおらず、ひとりで「小説賞・新人賞」へ挑んでいる方にはわからない。

 またたとえば小説投稿サイトの「トップランカー」が落選すると「ざまぁ見ろ」と思ってしまうのです。

 これは今まで羨望の眼差しを向けていた相手が、「小説賞・新人賞」ではたいしたことはないと受け取れば、落選した気分がいくらか楽になります。

「小説賞・新人賞」で落選すると「他の人もそうであってくれ」と願ってしまうものなのです。とくに知り合いや有名人が落選すると「あの人も落選したのだから仕方がないな」「落選したのは自分だけじゃなかったんだ」と妙に納得できてしまいます。

 小説投稿サイトでランキング一位の作品が紙の書籍化もされず、三位の作品がアニメ化までされてしまうこともあるのです。これなどは小説投稿サイトのランキングが「小説賞・新人賞」で最終選考まで残るための試金石ではないと示しています。

 有名人で「小説賞・新人賞」といえば、お笑い芸人ピースの又吉直樹氏が芥川龍之介賞を授かったり、音楽ユニットSEKAI NO OWARIの藤崎彩織氏が直木三十五賞の最終選考に残ったりといろいろと話題になりました。

 最も有名なのは俳優の水嶋ヒロ氏でしょう。第四回まで大賞の出なかった「ポプラ社小説大賞」に授かりしましたが、とても大賞にふさわしい作品ではありませんでした。受賞作『KAGEROU』は本名・齋藤智裕氏の名で応募されていましたが、とにかく文章も物語も支離滅裂で「なにが言いたいのかわからない」作品でした。これで賞金一千万円ってなんのジョークかと思いましたよ。あれなら私が書いたほうがよっぽど面白い作品に仕上がるわ。そういうふうに小説を書く方のモチベーションにつながったと理解すれば、あの話題性は「文壇に新風をもたらした」点だけなら褒めてもよいでしょう。




受賞した作品との差を知ろう

 あなたや知人・仲間の作品は落選し、誰かが大賞を授かった。この事実は素直に受け止めるべきです。

 あなた方にはなくて受賞作にはあるもの。

 それがあなた方の作品に足りなかったものなのです。

 足りなかったものを知ろうともせず、「あの人も落選したからしょうがない」では危機感がありませんし進歩もしないでしょう。

 受賞者には見えていて、あなた方には見えていなかったもの。足りなかったものにこそ「小説賞・新人賞」を授かるための秘訣が隠されています。

 秘訣とはどんなものなのか。それを解読しなければ、いつまで経っても受賞はおぼつかないでしょう。

 あなたと同じような創作方法で執筆していた方が誰ひとり受賞せず、異なった創作方法の誰かが大賞をかっさらっていった。

 どんな創作方法なのでしょうか。

 これは「小説賞・新人賞」の受賞者インタビューを読むとわかります。

 ただし最近は「小説賞・新人賞」の受賞者インタビューはほとんど行われていません。そこで著者インタビューを行なっている『このライトノベルがすごい!』がとても参考になります。

 もしあなたのやり方と根本的に異なっていたら、太刀打ちできるはずがなかったのです。受賞者には大賞を射止めるに足る創作方法や筆力があった。あなたにはそれがなかった。その差が大賞と落選との大きな溝となっています。

 受賞した作品はあなたの応募作とどこが異なるのでしょうか。その差を知りましょう。




面白さの差とは

「物語の面白さ」が異なっているくらいはわかりますよね。ではどこに「面白さ」があったのかは分析できますか。

 最も「面白さ」を引き出すのは「独自性オリジナリティー」です。

 多くの作品が同じテンプレートを用いているとき、まったく毛色の異なる作品が応募されてきたら「意外性」がありますよね。凡百とは異なるため、選考さんから見てもかなり目立つはずです。

 なぜ多くの書き手が同じテンプレートを使ってしまうのか。執筆しているときの安心感があるからです。「今小説投稿サイトではこのテンプレートが流行っている。これを書けば間違いない」と思い込んでしまいます。

 しかし「皆が使うテンプレートを使えば間違いない」は「赤信号みんなで渡れば怖くない」と同じです。

 本来なら間違っているはずの手法を「皆が使っている」という理由だけで用いていては、落選するのも当たり前。それに気づけかどうかが問題です。

「小説賞・新人賞」には「なにをするべきなのか」を今一度考えてください。

 テンプレートを用いると、差別化要素は文章力・筆力だけです。よほど文章力・筆力が高くないと「面白さ」は伝わりません。

 安心感を持って執筆したいがためにテンプレートにしがみつく。

 あなたはテンプレートの作品を書きたいのでしょうか。「小説賞・新人賞」の大賞が獲りたいのでしょうか。

 もし大賞を狙っているのであれば、安心感のあるテンプレートからは距離をとってください。

 どんなに面白いテンプレートであっても、皆が同じものを使っている以上、選考さんは必ず飽きてきます。そんなときに新鮮な味わいを持った作品を読めば、過大評価すらしてくれるのです。


 たとえ同じテンプレートでも、それなりに「面白く」したいときは「語り口」を変えましょう。

 一人称視点で「俺」「わたし」が思っていること考えていること感じていることを書くのがライトノベルでは定番です。

 そこで差を出すのなら二人称視点に挑戦してみましょう。

「彼」「彼女」で進めていく物語は、文章のレベルが相当高くないとすらすらと読めないのです。

 文章力・筆力が高いのでしたら、それを最大限にアピールできるのが二人称視点。

 三人称視点は、ともすれば禁断の「神の視点」と混同しやすいので、「小説賞・新人賞」を狙っているときは避けるべきです。

 あえて主人公でなく、脇役の立場から語る一人称視点があってもよいでしょう。こちらは二人称視点に近いのですがさほど難しくはなく、主人公が超人的であればあるほど「脇役の一人称視点」は主人公の強さを巧みに表現できます。こちらはサー・アーサー・コナン・ドイル氏『シャーロック・ホームズの冒険』が主人公ホームズの超人的な推理力を、脇役のワトソン博士の視点から描くことで、より超人さを演出しているのです。

 この『シャーロック・ホームズの冒険』は一般的に二人称視点と解釈されます。私もこれまで「二人称視点です」と紹介してきました。

 しかし厳密に言えば、視点を持つワトソン博士の考えを直接文章に書いてあるため、二人称視点としては成立しづらくなっています。本来の二人称視点は「彼はそう考えているようだ」のように主人公の思考を推測でしか書けません。『シャーロック・ホームズの冒険』もおおかたその手法で書かれています。しかしときどきワトソン博士の思考が書かれてあるのです。そうなると二人称視点というより「脇役の一人称視点」と解釈するほうが自然かもしれません。

 そう考えるだけで「語り口」に変化を加えられます。活用しない手はないでしょう。

 まぁ私が推奨するのは「独自性オリジナリティー」のほうなのですが。





最後に

 今回は「受賞した人にあってあなたにないもの」について述べました。

 受賞作には「独自性オリジナリティー」があります。

 大賞を逸した作品の多くはテンプレートに従って書かれたものです。

 あなたの作品に「独自性オリジナリティー」はありますか。



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