1123.鍛錬篇:自分はツイていないと多くが思う
今回は「ツイていない」についてです。
前回「運がよかった」とは対になる考え方ともいえますね。
大賞を射止めると「運がよかった」で、外れると「ツイてなかった」と思うのです。
なんて身勝手な存在なのでしょうか。
自分はツイていないと多くが思う
小説に限らず、多くの人は「自分はツイていない」と思っています。
宝くじで一等前後賞に当たらない。競馬で賭けた馬が負けてしまう。テストでヤマを張っていたところが出ない。
小説なら「小説賞・新人賞」へ応募したのに大賞が獲れない。小説投稿サイトでトップランカーになれない。のみならず閲覧数ゼロ、ブックマーク・ゼロ、評価ゼロのトリプル・ゼロの作品ばかりになってしまう。
これ、本当に「ツキ」なのでしょうか。
多くの人がツイていないから成り立っている
まず宝くじを考えます。
もし購入者の過半数が一等前後賞に当たってしまったらどうなるでしょうか。
宝くじの運営を担っているみずほ銀行は大赤字になります。
なにせ1枚300円のくじは期待値▲150円であり、みずほ銀行に150円収入があるのです。だから三千万分の一の確率で一等前後賞を支払っても胴元は黒字になります。
過半数が一等前後賞に当たったら、日本の経済規模すらかるく凌駕してしまうのです。もうみずほ銀行なんて存立できません。
三千万分の二九九九万九九九九が一等前後賞を逃しているからこそ、一等前後賞合わせて十億円であってもみずほ銀行は儲けられるのです。
では競馬はどうでしょうか。
競馬は払戻率の変動する「オッズ」を採用しています。つまり人気が集まれば払戻率が低くなるのです。「万馬券」は、その馬に人気のない必要があります。人気のある馬を絡めた勝馬投票券でも「万馬券」は出ることもある。しかしまず難しい。本命と大穴の組み合わせでも、なかなか「万馬券」とはいきません。現在は「三連単」がありますから、これなら本命を買っても「万馬券」になりえます。
とにかく人気の薄い馬に賭けなければ「万馬券」は獲れませんし、そんな馬が滅多に勝たないからこそ「万馬券」になるのです。
ツイていない大勢がいるから「万馬券」が発生します。
テストのヤマ張りはどうでしょうか。
これは完全に「運」ばかりではありません。これまで授業を受けてきた中でどこからどこまでが出題されそうか、という傾向を考える。それがテストの「ヤマを張る」行為です。つまりきちんと授業を受けていれば、どこからどこまでが出題範囲かわかります。「ヤマを張る」のは、日頃授業をきちんと聞いていない人の行動です。
では「小説賞・新人賞」で大賞を獲るのは、どんなツキが必要なのでしょうか。
これは「テストのヤマを張る」のとほぼ同じです。
これまできちんと勉強していれば、「ヤマを張らなく」ても大賞は獲れます。
しかし大賞を獲るのはただひとり。その他大勢は大賞にはなれません。その他大勢に入ってしまえば「ツイていない」と感じてしまうものなのです。
「小説賞・新人賞」は多くの「ツイていない」人のもとに成り立っています。
原因はツイていないからではない
こう考えると「私はツイていないから大賞が獲れないんだ」のような印象を受けます。
それは誤解です。
確かに「同時に応募された何百、何千、何万もの作品の中から大賞に選ばれなかった」事実を見れば、「ツイていない」と言いたくもなります。
しかし「ツイていない」から受賞できなかったのではありません。
作品の質が他人の作品よりも劣っていたから大賞に選ばれなかったのです。
「ツイていない」で片づけてしまうと、大賞を獲れなかったのと同レベルの作品しか書けません。これではいつまで経っても大賞なんて獲れやしないのです。
「大賞に及ばなかった」のは実力が足りなかったから。大賞を獲った作品よりも魅力がなかったから。ただそれだけです。
それなのに「ツイていない」というのは自信過剰もよいところ。
そもそもあなたの作品が魅力的で筆力もじゅうぶんあるのなら、「ツイていなく」ても大賞に選ばれます。少なくとも佳作には残れるはずです。
ですがあなたは大賞を獲れなかった。
作品に魅力がなかったし、実力もなかったのです。
その事実から目を背けないでください。
いつまでも「ツイていない」なんて考えず、「なぜ大賞を獲れなかったのか」について反省会を開きましょう。
「ツイていない」は思考停止の表れです。なんにでも便利に使えるマジックワード。しかし便利すぎてすべて「ツイていない」で片づけようとする人が多いのです。
「ツキ」に人生を捧げるのは馬鹿らしいと思いませんか。
あなたがコントロールできない「ツキ」に頼るより、コントロールできる「筆力」を高めたほうが確実ですよね。
また「ツイていない」は「自分の才能を過大評価し」ています。
自分にはこれだけの実力があるのに、今回は大賞を逃してしまった。だから「ツイていない」と思いたがるのです。
ツキから実力の世界へ
「ツキ」に頼るのは精神の弱い人です。外れて元々、当たれば「ツイていた」と考えれば、外れても精神へのダメージは少なくて済みます。
しかし「ツキ」なんて本人が操れるものではありません。人によっては風水だったり占いだったり神社へお参りに行ったりして「ツキを高められる」と考えているようです。
しかしそれで本当に「ツキ」が高まるのでしょうか。
もし本当に「ツキ」が高まるのであれば、世の人はこぞって風水・占い・参拝に頼りますよね。「小説賞・新人賞」へ応募した人たちすべてが「ツキ」を高める行動をとってしまうのです。するとどうなるか。
結局「ツキ」は関係なくなります。人によっては「よりツイていた人が受賞する」と考えるかもしれません。
しかしそれが本当に正しい思考でしょうか。
宝くじで末等に当たる確率は十分の一です。しかし株式投資なら株価が上がるか、下がるか、そのままかの三択つまり三分の一になります。
どちらがより確率が高いのかは歴然でしょう。
宝くじを買う方からすれば「いや三千万分の一の確率で十億円当たるから、宝くじのほうが儲かる」と思ってしまうのです。
株式投資は、基本的に株式証券を「買う」か「売る」か「そのまま」かの三択になります。「そのまま」には「買った株式証券をそのまま」か「手元に株式証券がなくそのまま」かに分かれますが、動きとしては「そのまま」で変わりません。
「小説賞・新人賞」へ応募するのは「宝くじを買う」でなく「株式証券を買う」行為です。
つまり「買う」前に値上がりしそうかをじゅうぶんに検討し、「上がる」と判断したら「買い」ます。
「小説賞・新人賞」へも「大賞が獲れそうか」をじゅうぶん検討して推敲を行ない、「これなら大賞が獲れる」と判断したら応募するのです。
これは「ツキ」の世界ではなく「実力」の世界になります。
ただ書いて応募してみたら大賞が獲れた。よく芸能人が「家族が勝手に応募していて、自分が知らないうちに合格していた」と語るのとまったく同じです。そんな「ツキ」の世界で生きたいのなら「宝くじ」を買い続ければよいでしょうし、「小説賞・新人賞」へも書きたいものを書いて応募すればよいでしょう。
しかしより確実に大賞を獲りたいのであれば「実力」の世界で生きてください。
「小説賞・新人賞」へ応募し、惨憺たる結果を目の当たりにして「次回は必ず大賞の獲れる作品を書くんだ」と決意するのです。物語をより魅力的にし、文章を洗練させ、作品を輝かせる努力を怠らないでください。
小説に限らず創作業界は完全な「実力」の世界です。適当に仕上げても満足する結果は得られません。
あなたが生きるべきは「ツキ」の世界ですか、「実力」の世界ですか。
最後に
今回は「自分はツイていないと多くが思う」ことについて述べました。
「小説賞・新人賞」は「ツキ」の世界ではありません。
それなのに大賞を逃したのは「ツイていなかった」で片づけようとします。
自分の「実力」に無意識で自信過剰になっているのでしょう。
しかし実際に大賞を獲るには正しい「実力」だけが物を言います。
「ツキ」に逃げ込まず、「実力」を身につけるようにしてください。
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